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マクナイーマ・・・・・評価額1350円
2010年11月20日 (土) | 編集 |
密林の幻想狂想曲。
ブラジル近代文学にその名を残す、マリオ・デ・アンドラーデの原作小説を、1969年にジョアキン・ペドロ・デ・アンドラーデ監督が映像化したカルトシネマ。
不吉を意味する“マクナイーマ”と名付けられた、奇妙な男の一生を描く、ある種の神話的冒険譚だ。
ヌーヴェルヴァーグとほぼ同時代に、ブラジルで一世を風靡した、シネマ・ノーヴォの終焉期に登場した作品だが、完成から40年を経てデジタルリマスター版として復元され、日本初公開の運びとなった。

アマゾンの奥地、老婆から産み落とされたのは、中年の黒人男性の姿をした不気味な赤子(グランデ・オテロ)。
マクナイーマという不吉な名を付けられた男は、ある時魔法の泉の水を浴びて、ハンサムな白人青年(パウロ・ジョセ)に変身する。
白人の老人の長兄と、黒人の次兄と共に街へ出たマクナイーマは、シー(ディナ・スファト)という美しい女ゲリラと恋に落ち、二人の間にはやはり黒人の中年の様な子供が生まれる。
だが、シーは自分の作った爆弾で子供と共に爆死、マクナイーマは悲しみに打ちひしがれる。
そんな時、シーが持っていたはずの幸運を呼ぶ石“ムイラキタン”が、“人食い巨人”の異名を持つ大金持ちのヴェンセスラウ(ジャルデウ・フィーリョ)の手に渡った事がわかる。
“ムイラキタン”を取り戻したいマクナイーマは、女装してヴェンセスラウの屋敷に侵入し、誘惑しようとするのだが・・・・


異色作であることは間違いないが、何とも論評しにくい作品である。
正直なところ、映画が始まってからしばらくは、一体この作品が何を表現しようとしているのかさっぱりわからなかった。
いや、ナレーションで、マクナイーマを“ブラジルのヒーロー”と呼ぶフレーズが繰り返し出てくるので、なんとなく彼はブラジルという国自体のメタファーで、描かれているのは言わば創世神話なのだとは理解できる。
彼が中年の黒人に生まれて、途中で魔法をかけられて白人の王子になったり、元の黒人に戻ったり、更に泉の水を浴びて完全に白人になったりと、次々と変化してゆくのも、ブラジルの複雑な歴史を体言しているのだろう。
だが、前半何とか理解できるのは、精々そこまで。
映画はまさに比喩表現のアンサンブルだが、そもそもブラジル自体についてそれほど知っている訳ではないので、映画の描写が観客に何をイメージさせたいのかが掴めないのである。
かといって、物語らしい物語は最低限しか存在せず、通常の映画的文法はことごとく無視されているので、普通の映画として楽しむことも難しい。
何しろ、本作にはクローズアップが殆ど存在しない。
登場人物は、皆なにがしかのメタファーであるから、生身の個人としての感情を表現しようと言う意図が無いのである。
後半になると、手持ちカメラで俳優の顔に寄るカットも存在するが、それも特に感情表現のためではないので、一般的なクローズアップとは意味が異なる。
誰かに感情移入して物語に入るような観方はできないのだ。

例えば、中南米系カルトシネマの帝王と言われるホドロフスキーあたりと比較しても、本作の特異さは際立っている。
もちろん、ホドロフスキーの作品にも中南米独特の文化的な背景は見て取れるが、描いているモチーフは基本的に人間の精神性に根差した普遍的な物で、実はそれほどわかり難くは無い。
対して、本作の場合は、描いているのがブラジルという特定の国のカリカチュアなので、前提となる時代と社会に対する知識が存在しないと、作者の意図が伝わってこないのである。

それでも、中盤マクナイーマが街へ出るあたりから、内容がブラジル近代史と符合するようになり、モチーフがわかりやすくなるので、ある程度作り手が言いたい事を理解できる様にはなって来る。
ブラジルでは1964年にブランコ将軍がクーデターを起こし、軍事独裁政権が生まれる。
本作で描かれる「人食い巨人」の一族は、明らかに軍とその既得権者たちを比喩しており、マクナイーマが恋するシーは、当時の都市ゲリラだろう。
後半のキーとなる“ムイラキタン”は、古代インディオの時代に石を削って作られたペンダントで、アマゾンに伝わるアマゾネス伝説では、女戦士たちが愛の証として大切な人に贈ったとも言われている。
ここには、遠い民族的な記憶と、植民地化から独立を経て、自由と独裁を繰り返してきたブラジル近代史の葛藤を見て取る事が出来る。
クーデター以降、メディアへの締め付けは苛酷になり、映画産業にも相当な圧力がかかったという。
私自身は、シネマ・ノーヴォ作品も「リオ40度」くらいしか観たことがないが、50年代から続くこのムーブメントも大きな打撃を受けて、先細りとなってしまう。
本作が極めて抽象的な寓話となったのも、表現の自由を制限された中での精一杯の抵抗なのかもしれない。

それにしても、このぶっ飛んだ作品が当時商業的にも成功したというのが驚きだ。
思うに、本作は1969年のブラジルでしか生まれ得なかった作品で、良くも悪くも時代を超越する普遍性は無く、その時代にブラジルで観賞する事が極めて重要なのだ。
映画は時代を映す鏡であり、本作に散りばめられた比喩は、当時のブラジル人が観たら何を意味するのかは一目瞭然で、案外とストレートな娯楽作品なのかもしれない。
故に、本作を2010年の東京で観賞するのは、当然本来の作品の存在意義からは外れるし、本気で読み解こうとすれば、ブラジルの歴史・文化・社会に関する相当な知識を必要とする。
文化史的な興味を別にすると、私を含めて、ブラジルと言うとサッカーとセナとカーニバルしか想像出来ない大多数の日本人には、娯楽としては結構敷居の高い作品だというのが正直なところである。

一方で本作の持つ独特のムードと、既存の映画文法にとらわれない狂った展開は魅力でもある。
かつてアマゾンの先住民には、戦いで倒した相手を食べる事で、自らの力として取り入れるという風習があり、原作者のマリオ・デ・アンドラーデは“ブラジルもまた全てを食いつくし、独自の文化を生み出す”事を提唱したという。
なるほど、本作はまさに有史以来ブラジルが吸収してきたあらゆる要素を全てぶち込んで、ごった煮にしたメルティングポットの様な物で、混沌と混乱もまた意図された物だろう。
“ムイラキタン”のデザインは、アマゾンに住む毒蛙が多く、その毒からは先住民の儀式で使われるドラッグが作られると言う。
二十一世紀の外国人が本作を楽しむ場合、無理に時代を読み解こうとするよりも、サイケな狂想曲、映像ドラッグとして奇妙なムードを楽しんだ方が正解かもしれない。
いずれにしても、本作を劇場で観られる機会がとても貴重である事は間違い無く、カルトシネマという言葉にピンと反応してしまう人には、見逃せない珍品であることは間違いない。

ブラジルの酒と言えば、サトウキビの蒸留酒、ピンガが有名。
今回はピンガのトップブランドであるカシャーサ51を使った「カイピリーニャ」をチョイス。
ライム1/3程度をぶつ切りにしてグラスに入れ、1~2tspの砂糖をまぶし押しつぶす。
クラッシュド・アイスを加えて、ピンガ45mlを注いで、ステアする。
カイピリーニャとは田舎者の意味だが、その名の通り素朴ながらすっきりフレッシュな味わいだ。
コテコテの映画の後にはこのくらいシンプルな酒が良い。

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コメント
この記事へのコメント
むむむ、何だか不思議そうな映画ですね。
全然知らなかったですが、見たいかも。
情報ありがとうございました。
2010/12/01(水) 23:38:24 | URL | とおりすがりのぬこ #xHucOE.I[ 編集]
こんばんは
>とおりすがりのぬこさん
本日初日でした。
まあ非常に変わった作品であることは間違いないです。
強烈に好みが分かれそうなので、もしごらんになったら感想書き込んでください。
2010/12/04(土) 16:12:38 | URL | ノラネコ #xHucOE.I[ 編集]
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