2011年07月14日 (木) | 編集 |
生きる事は痛みを伴う。
しかし、それでも人は生きなければならない。
「BIUTIFUL ビューティフル」は、メキシコの鬼才アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督が、スペインの名優ハビエル・バルデムを主演に迎え、「バベル」以来4年ぶりに放った問題作だ。
裏社会の男が、末期癌に侵され、余命は僅かに二ヶ月。
彼は、愛する幼い子供達のため、自分が搾取してきた社会の最底辺の人たちのため、残された時間を生きる事を決意する。
スペイン、バルセロナ。
不法移民の斡旋を生業にするウスバル(ハビエル・バルデム)は、二人の幼い子供を抱えた男やもめ。
元妻のマランブラ(マリセル・アルバレス)とは、距離を置いて生活している。
ある日、体調の異変を感じ、病院で検査を受けたウスバルは、末期癌の告知を受ける。
既に全身に転移しており、残された時間はたった二ヶ月。
ウスバルは、家族に真実を告白出来ないまま、今まで自分が関わった人々のために、最後に出来るだけの事をしようとするのだが・・・
過酷な映画である。
人生、上手くいく時は何をやっても上手くいくが、ダメな時はどんなに足掻こうが、潮目はなかなか変わらないもの。
主人公のウスバルは、文字通り人生のどん詰まりに追い込まれた存在である。
もちろん、彼にも良い時期はあったはずだ。
愛する妻を娶り、可愛い子供にも恵まれ、世界の美しさを噛み締めていた時期が。
だが、今は全てが思い通りにならない。
心を病んで離れて行った元妻のマランブラは、ウスバルの兄と寝ている。
不法移民の中国人が工場で作った粗悪な偽ブランド品を、アフリカ人の露店商に斡旋する仕事は、厳しい取り締まりで売り上げは上がらず、子供達に好物を食べさせてやる事も出来ない有様だ。
そんな悪運に取り憑かれたウスバルに、とどめを刺すかの様に末期癌の宣告が突き付けられる。
この設定でもわかる様に、本作は黒澤明監督の名作、「生きる」にインスパイアされた作品であり、イニャリトゥのプロダクション“Ikiru films”の名前もこの映画に由来するという。
「生きる」は、同じ様に末期癌に侵された市役所職員の主人公が、無気力だった自分の人生を後悔し、最後に市民のための公園を作り上げるという物語だったが、本作のウスバルはそこまで具体的な目標を持たない。
彼は突然降りかかった運命に戸惑い、自らが死にゆく事を誰に告げる事も出来ず、身辺整理に取り掛かる踏ん切りもつかない。
両者に共通するのは、避け難い死を目前にしたからこそ、今を生きる事に必死になる事だろう。
ウスバルに出来るのは、残してゆく人々の状況を少しでも改善する事くらいである。
子供達のためにはマランブラとの関係を修復しようとし、劣悪な環境で暮らす中国人労働者たちには暖房器具を贈り、行くあての無いセネガル人のイヘ母子には自らのアパートを貸す。
中国人、セネガル人、そして自らの元妻と子ら、ウスバルが特に母子を救済しようとするのは、彼自身が父親を写真でしかしらず、母子家庭で育ったからだろう。
しかし、彼の行為はことごとく裏目に出る。
マランブラと兄の関係が発覚し、彼女は再び心の症状を悪化させて入院。
そして凍える様な倉庫で雑魚寝している中国人たちのために、自腹で買った暖房器具は粗悪品で、なんと一酸化炭素中毒で17人もの命を奪ってしまう。
そして最後に、子供達を託そうとしていたイヘもまた、ウスバルの元を去る。
一生懸命になればなるほど、彼の善意は空回りし、状況を悪化させてしまうという絶望的な悪循環。
面白いのは、ウスバルにはある種の霊能力が備わっていて、死者の姿を見て、その声を聞く事が出来る事だ。
ウスバルは、生者にして既に死後の世界を覗いている、言わば境界に生きる者なのである。
この設定によって、本作には「生きる」にプラスして「ヒア アフター」的な、自らの力をどう解釈するのかという“ギフト”を受けた者特有の葛藤も加わっており、それがウスバルの曖昧な死生観にも繋がっている。
生きていても死との繋がりを感じてしまうウスバルは、自分を両方の世界からも浮いた存在として認識してしまっており、生と死のどちらにも現実感が薄い。
彼は自らの死を具体的に実感する事で、初めて本当の意味での生を感じていたのではないだろうか。
主人公のウスバルを演じる、ハビエル・バルデムが圧巻である。
本作ではカンヌ映画祭男優賞を受賞し、オスカーにもノミネートされたが、何でもイニャリトゥは、最初から彼をイメージして脚本を書いたそうで、なるほどこの役柄はピッタリ。
一見とっつき難そうなキャラクターだが、くたびれていながら、中年男のセクシーさ、人生の年輪を感じさせ、実に魅力的だ。
元妻のマランブラを演じマリセル・アルバレスは、聞いた事が無い人だと思っていたら、アルゼンチンの舞台女優で本作が初の映画出演だという。
壊れそうな危うさと、家族を思う優しさという、二面性のあるキャラクターを繊細に作り上げ、デビュー作とは思えない素晴らしい演技を見せる。
他にも、バリバリのプロフェッショナルから、全くの素人までが混在するキャストによる見事なアンサンブルは、さすがイニャリトゥである。
タイトルの「BIUTIFUL」とはウスバルが娘に「“美しい”のスペルは?」と聞かれて教えてしまう間違ったスペル。
“美しい”けれども、どこかが間違ってしまったその単語は、まるでウスバル自身を象徴しているかの様だ。
だが、間違ったものが、本質から外れているとは限らない。
本作には、凡ゆる不幸が詰め込まれており、ウスバルの人生は悲劇そのものにも見える。
だが、泣けない。
イニャリトゥも決して泣かせには走らず、ウスバルの身に起こった事を淡々と描写する。
派手さは全く無いが、ウスバルの行動が、憂を含んだ表情が、一つ一つの台詞が、観客の心の奥底に、グイグイと入り込んでくる。
「ブロークバック・マウンテン」の名手、ロドリゴ・プエリトのカメラが、これら極めて映画的瞬間を永遠に封じ込める。
もう一つ注目すべきは、素晴らしく効果的な音響演出だ。
ウスバルの主観を感じさせる“音”によって、彼の心の機微が繊細に伝わってくるのである。
本作のオープニングとラストは、ループする様に二つのシーンで繋がっている。
一つはウスバルが両親から受け継いだ指輪を、娘のアナに託すシーン。
もう一つは、寒々とした冬の森で、ウスバルが彼が赤ん坊の時に死んだ父親と出会う、死後の世界(?)のシーン。
この二つのシーンは、三つの世代に受け継がれた命を描写し、本作のテーマを象徴的に表している。
ウスバルは、結局誰も救えなかったかも知れないが、少なくとも彼は自分の人生を生き切った。
人生は厳しく、痛く、そして同時に美しく、人間は何があろうと、自分自身の今を懸命に生きる事しか出来ないのである。
今回は、映画の舞台になったバルセロナの地ビール、S.A.ダム社の「ヴォル・ダム」をチョイス。
都内のカタルーニャ料理店でもちょくちょく見かける銘柄だが、適度な苦味とコクを持つ濃厚な味わいの本格ピルスナー。
深みのあるボディは、正にこの重厚な映画にピッタリだ。
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しかし、それでも人は生きなければならない。
「BIUTIFUL ビューティフル」は、メキシコの鬼才アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督が、スペインの名優ハビエル・バルデムを主演に迎え、「バベル」以来4年ぶりに放った問題作だ。
裏社会の男が、末期癌に侵され、余命は僅かに二ヶ月。
彼は、愛する幼い子供達のため、自分が搾取してきた社会の最底辺の人たちのため、残された時間を生きる事を決意する。
スペイン、バルセロナ。
不法移民の斡旋を生業にするウスバル(ハビエル・バルデム)は、二人の幼い子供を抱えた男やもめ。
元妻のマランブラ(マリセル・アルバレス)とは、距離を置いて生活している。
ある日、体調の異変を感じ、病院で検査を受けたウスバルは、末期癌の告知を受ける。
既に全身に転移しており、残された時間はたった二ヶ月。
ウスバルは、家族に真実を告白出来ないまま、今まで自分が関わった人々のために、最後に出来るだけの事をしようとするのだが・・・
過酷な映画である。
人生、上手くいく時は何をやっても上手くいくが、ダメな時はどんなに足掻こうが、潮目はなかなか変わらないもの。
主人公のウスバルは、文字通り人生のどん詰まりに追い込まれた存在である。
もちろん、彼にも良い時期はあったはずだ。
愛する妻を娶り、可愛い子供にも恵まれ、世界の美しさを噛み締めていた時期が。
だが、今は全てが思い通りにならない。
心を病んで離れて行った元妻のマランブラは、ウスバルの兄と寝ている。
不法移民の中国人が工場で作った粗悪な偽ブランド品を、アフリカ人の露店商に斡旋する仕事は、厳しい取り締まりで売り上げは上がらず、子供達に好物を食べさせてやる事も出来ない有様だ。
そんな悪運に取り憑かれたウスバルに、とどめを刺すかの様に末期癌の宣告が突き付けられる。
この設定でもわかる様に、本作は黒澤明監督の名作、「生きる」にインスパイアされた作品であり、イニャリトゥのプロダクション“Ikiru films”の名前もこの映画に由来するという。
「生きる」は、同じ様に末期癌に侵された市役所職員の主人公が、無気力だった自分の人生を後悔し、最後に市民のための公園を作り上げるという物語だったが、本作のウスバルはそこまで具体的な目標を持たない。
彼は突然降りかかった運命に戸惑い、自らが死にゆく事を誰に告げる事も出来ず、身辺整理に取り掛かる踏ん切りもつかない。
両者に共通するのは、避け難い死を目前にしたからこそ、今を生きる事に必死になる事だろう。
ウスバルに出来るのは、残してゆく人々の状況を少しでも改善する事くらいである。
子供達のためにはマランブラとの関係を修復しようとし、劣悪な環境で暮らす中国人労働者たちには暖房器具を贈り、行くあての無いセネガル人のイヘ母子には自らのアパートを貸す。
中国人、セネガル人、そして自らの元妻と子ら、ウスバルが特に母子を救済しようとするのは、彼自身が父親を写真でしかしらず、母子家庭で育ったからだろう。
しかし、彼の行為はことごとく裏目に出る。
マランブラと兄の関係が発覚し、彼女は再び心の症状を悪化させて入院。
そして凍える様な倉庫で雑魚寝している中国人たちのために、自腹で買った暖房器具は粗悪品で、なんと一酸化炭素中毒で17人もの命を奪ってしまう。
そして最後に、子供達を託そうとしていたイヘもまた、ウスバルの元を去る。
一生懸命になればなるほど、彼の善意は空回りし、状況を悪化させてしまうという絶望的な悪循環。
面白いのは、ウスバルにはある種の霊能力が備わっていて、死者の姿を見て、その声を聞く事が出来る事だ。
ウスバルは、生者にして既に死後の世界を覗いている、言わば境界に生きる者なのである。
この設定によって、本作には「生きる」にプラスして「ヒア アフター」的な、自らの力をどう解釈するのかという“ギフト”を受けた者特有の葛藤も加わっており、それがウスバルの曖昧な死生観にも繋がっている。
生きていても死との繋がりを感じてしまうウスバルは、自分を両方の世界からも浮いた存在として認識してしまっており、生と死のどちらにも現実感が薄い。
彼は自らの死を具体的に実感する事で、初めて本当の意味での生を感じていたのではないだろうか。
主人公のウスバルを演じる、ハビエル・バルデムが圧巻である。
本作ではカンヌ映画祭男優賞を受賞し、オスカーにもノミネートされたが、何でもイニャリトゥは、最初から彼をイメージして脚本を書いたそうで、なるほどこの役柄はピッタリ。
一見とっつき難そうなキャラクターだが、くたびれていながら、中年男のセクシーさ、人生の年輪を感じさせ、実に魅力的だ。
元妻のマランブラを演じマリセル・アルバレスは、聞いた事が無い人だと思っていたら、アルゼンチンの舞台女優で本作が初の映画出演だという。
壊れそうな危うさと、家族を思う優しさという、二面性のあるキャラクターを繊細に作り上げ、デビュー作とは思えない素晴らしい演技を見せる。
他にも、バリバリのプロフェッショナルから、全くの素人までが混在するキャストによる見事なアンサンブルは、さすがイニャリトゥである。
タイトルの「BIUTIFUL」とはウスバルが娘に「“美しい”のスペルは?」と聞かれて教えてしまう間違ったスペル。
“美しい”けれども、どこかが間違ってしまったその単語は、まるでウスバル自身を象徴しているかの様だ。
だが、間違ったものが、本質から外れているとは限らない。
本作には、凡ゆる不幸が詰め込まれており、ウスバルの人生は悲劇そのものにも見える。
だが、泣けない。
イニャリトゥも決して泣かせには走らず、ウスバルの身に起こった事を淡々と描写する。
派手さは全く無いが、ウスバルの行動が、憂を含んだ表情が、一つ一つの台詞が、観客の心の奥底に、グイグイと入り込んでくる。
「ブロークバック・マウンテン」の名手、ロドリゴ・プエリトのカメラが、これら極めて映画的瞬間を永遠に封じ込める。
もう一つ注目すべきは、素晴らしく効果的な音響演出だ。
ウスバルの主観を感じさせる“音”によって、彼の心の機微が繊細に伝わってくるのである。
本作のオープニングとラストは、ループする様に二つのシーンで繋がっている。
一つはウスバルが両親から受け継いだ指輪を、娘のアナに託すシーン。
もう一つは、寒々とした冬の森で、ウスバルが彼が赤ん坊の時に死んだ父親と出会う、死後の世界(?)のシーン。
この二つのシーンは、三つの世代に受け継がれた命を描写し、本作のテーマを象徴的に表している。
ウスバルは、結局誰も救えなかったかも知れないが、少なくとも彼は自分の人生を生き切った。
人生は厳しく、痛く、そして同時に美しく、人間は何があろうと、自分自身の今を懸命に生きる事しか出来ないのである。
今回は、映画の舞台になったバルセロナの地ビール、S.A.ダム社の「ヴォル・ダム」をチョイス。
都内のカタルーニャ料理店でもちょくちょく見かける銘柄だが、適度な苦味とコクを持つ濃厚な味わいの本格ピルスナー。
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この記事へのコメント
私はこの作品のハビエルが『ノーカントリー』の彼より好きなんです。冷徹な現実があり、霊能力のようなオカルト要素もありながら、それらが変にバラバラにならず見事にウスバルという男に収斂されていたのは一重に彼あってこそだと。
地味だけど好きな作品です。
地味だけど好きな作品です。
2011/07/14(木) 23:57:34 | URL | KLY #5spKqTaY[ 編集]
>KLYさん
キャラとして一貫しているだけでなく、彼が作品全体のコアになってましたよね。
イニャリトゥは最初からバルデムを想定してシナリオを書いたそうですから、正にぴったり。
内容的には確かに地味ですが、良い映画だったと思います。
キャラとして一貫しているだけでなく、彼が作品全体のコアになってましたよね。
イニャリトゥは最初からバルデムを想定してシナリオを書いたそうですから、正にぴったり。
内容的には確かに地味ですが、良い映画だったと思います。
2011/07/15(金) 00:49:11 | URL | ノラネコ #xHucOE.I[ 編集]
唐突で申し訳ないのですが、質問させてください。
イへは結局彼の元を去ったのでしょうか?
彼女がバルセロナを離れようとするシーンの後に、
「イへ戻ったのかい?」
「ええ」
というやりとりがありましたが、あれは彼の幻想みたいなものなのでしょうか?
ノラネコさんの解釈をお聞かせいただけると嬉しいです。
イへは結局彼の元を去ったのでしょうか?
彼女がバルセロナを離れようとするシーンの後に、
「イへ戻ったのかい?」
「ええ」
というやりとりがありましたが、あれは彼の幻想みたいなものなのでしょうか?
ノラネコさんの解釈をお聞かせいただけると嬉しいです。
2011/07/17(日) 10:15:32 | URL | 青山 #-[ 編集]
>青山さん
この映画、色々な解釈が可能な部分が複数あるんですよね。
最後のイへのシーンもその一つ。
ウスバル視点で、イへが天井に張り付いてる(つまり霊だという)描写がありましたから、実体でないのは間違いないと思います。
私は、あれは“子供達に心を残して去ったイへの生霊”だと解釈しました。
あのシーンで他に可能な解釈としては。
1.ウスバルの見た幻影
2.イへはどこかで死んで霊となって戻ってきた
ととる事も可能ですが、1だとすると彼女を霊として描写をする意味が無い。2はいくらなんでも都合良く人が死にすぎ。なので、生霊が妥当かと。
この映画、色々な解釈が可能な部分が複数あるんですよね。
最後のイへのシーンもその一つ。
ウスバル視点で、イへが天井に張り付いてる(つまり霊だという)描写がありましたから、実体でないのは間違いないと思います。
私は、あれは“子供達に心を残して去ったイへの生霊”だと解釈しました。
あのシーンで他に可能な解釈としては。
1.ウスバルの見た幻影
2.イへはどこかで死んで霊となって戻ってきた
ととる事も可能ですが、1だとすると彼女を霊として描写をする意味が無い。2はいくらなんでも都合良く人が死にすぎ。なので、生霊が妥当かと。
2011/07/17(日) 12:03:29 | URL | ノラネコ #xHucOE.I[ 編集]
なるほど。生霊と言う解釈がしっくり来ますね。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
2011/07/18(月) 14:05:58 | URL | 青山 #-[ 編集]
こんにちは、
私これ好きです。
イニャリトゥ監督の撮りたかった父親の物語だけど、
自己満足にいきそうなところを
ハビエルの素晴らしい存在感と演技で釘付け。
世界観がすごく良かった
他の俳優だったらここまでじゃなかったかも、
やっぱりさすが!
私これ好きです。
イニャリトゥ監督の撮りたかった父親の物語だけど、
自己満足にいきそうなところを
ハビエルの素晴らしい存在感と演技で釘付け。
世界観がすごく良かった
他の俳優だったらここまでじゃなかったかも、
やっぱりさすが!
>migさん
内面を巡る物語ですから難しいんですよね。
前作のバベルは言わばキャラクターの外側の状況からアプローチして、上手くいったところと失敗したところがありましたが、今回は思いっきり内的な作りに徹して成功していたと思います。
ハビエル・バルデムは圧巻でした。
内面を巡る物語ですから難しいんですよね。
前作のバベルは言わばキャラクターの外側の状況からアプローチして、上手くいったところと失敗したところがありましたが、今回は思いっきり内的な作りに徹して成功していたと思います。
ハビエル・バルデムは圧巻でした。
2011/07/24(日) 15:15:21 | URL | ノラネコ #xHucOE.I[ 編集]
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2011/07/31(日) 07:42:41 | 映画的・絵画的・音楽的
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2011/09/24(土) 18:20:56 | kintyre's Diary 新館
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2012/01/13(金) 14:06:44 | C'est joli~ここちいい毎日を~
DVDにて早くもリリース、早速レンタル観賞
解説
バルセロナを舞台に、闇社会に生きる男が末期がんで余命
いくばくもないことを知り、愛する子どもたちのために精
いっぱい尽くそうと奮起する感動作。
『バベル』の名匠アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
...
2012/02/01(水) 23:09:22 | A Day In The Life
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