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2013年02月28日 (木) | 編集 |
恐怖は、自分の中にいる。
カルト集団から脱走した若い女性を主人公に描く、異色の心理スリラー。
肉体的には自由になっても、心に深く刻み込まれたマインド・コントロールは彼女を簡単には逃さない。
監督は、本作で2011年度のサンダンス映画祭監督賞を受賞した若干29歳の新鋭、ショーン・ダーキン。
「レッド・ライト」などで知られるエリザベス・オルセンが、過去の記憶によって現在を蝕まれる主人公を繊細に演じている。
※ラストに触れています。
孤独な環境で育ったマーサ(エリザベス・オルセン)は、ある時若者たちのグループに勧誘される。
そこでリーダーのパトリック(ジョン・ホークス)から“マーシー・メイ”という新たな名を授けられた彼女は、山奥の農場で集団生活を送ることになる。
だが、次第に暴力的になる集団に疑問を抱き、ある年の夏に脱走を決意。
唯一の家族である姉夫婦を頼ったマーサは、静かな湖畔の別荘に身を寄せる。
だが、安全なはずのそこでも、彼女の心には過去の記憶が蘇り、次第に“奴ら”が自分を取り返しに来るという妄想にとりつかれてゆく・・・
ショーン・ダーキン監督が本作の制作に乗り出したのは、実際にカルト集団で暮らしていた少女の手記を読んだ事が切っ掛けだったという。
フィクション、ノンフィクションを問わず、カルトを描いた作品は珍しくない。
しかし、ここまで徹底的に個人の内面に寄り添い、脱退後のマインド・コントロールの恐怖をフィーチャーした劇映画は観た事がない。
カルトというと宗教と思いがちだが、ここに登場するのはむしろカリスマリーダーを頂いた事で、歪に変形したヒッピー・コミューンの出来損ないの様なものだ。
アメリカでは60年代以降、非宗教ながら反社会的な傾向を持つこの種のコミューンが数多く現れ、今も人知れず存在している。
もっとも有名なのは、1969年に起こったロマン・ポランスキー監督の妻で女優のシャロン・テート殺害事件など、数多くの犯罪を犯した事で知られるチャールズ・マンソンと彼の信奉者たち、いわゆるマンソン・ファミリーだろう。
実際、本作でジョン・ホークスが演じるカルトリーダーのパトリックの人物造形には、ミュージシャンでもあり歌が上手く、女性にとても人気があったという、マンソンの影響が見て取れる。
ドラッグを用いて陶酔状態を作り出す、マインド・コントロールの手法も同じだ。
映画は、マーサが山奥の農場を脱走するシーンから始まる。
疎遠ではあったものの、唯一の血縁者である姉の元に身を寄せるが、空白の二年間に何があったのか、どんな生活をしていたのかは嘘で誤魔化す。
裕福な姉夫婦も、最初はボーイフレンドと山で暮らしていたというマーサの言葉を信じているのだが、直ぐに妹の奇妙な言動に面食らう事になるのだ。
人目のある湖に全裸で飛び込んだり、姉夫婦が夜の営みをしている最中に平然と部屋に入って来たり。
明らかに常軌を逸した行動を姉夫婦が咎めても、マーサ自身は何が問題だか理解できず、逆に彼女の言うところの「模範的行動」をとっていないと姉夫婦を非難する始末。
一体、彼女は二年もの間隔絶された世界で、何を見て、何を経験したのか。
本作の原題は「Martha Marcy May Marlene」で、マーシー・メイはパトリックから与えられた新たな名前で、最後のマーリンとは、農場に外から電話がかかってきた場合、女性のメンバーが名乗る偽名。
つまり彼女はカルト内部ではマーシー・メイ、対外的にはマーリンであり、二年の間マーサという女性は幽霊の様に消滅してしまっていたのだ。
ダーキンは、現在のマーサとカルト集団でマーシー・メイと呼ばれていた頃の過去を交互に描いてゆくのだが、暗転からの場面転換が上手い。
例えば一人で湖で泳ぐシーンからは、多くの仲間たちと川で泳ぐシーンへ、夜中に屋根に落ちる松ぼっくりの音に怯えるシーンは、集団での“仕事”として空き巣にはいるシーンで、屋根に石を投げて住人の不在を確認する描写に繋がる。
この様に現在のマーサの視点に、不意に過去が現れることで、彼女の心はまだカルトの影響下にあり、決して本当の自由を手に入れた訳ではない事がわかるのだ。
そして、マーサの現実を過去が侵食する頻度はだんだんと高まり、現在のリアルは忌わしい過去の記憶によって支配されてゆくのである。
ユニークなのは、本作における主人公の葛藤は、外的な要因によるものではなく、基本的に彼女の内面の問題だという事だ。
マーサをカルト集団が実際に取り戻しに来る様な描写は一切なく、彼女の感じている不安や恐怖は全て心に刷り込まれた二年間の体験から想起されている。
思うに、ああいう無私の集団生活というのは慣れてしまえば楽しいのだと思う。
同世代の若者たちと交歓する喜び、他人のために自主的に仕事をし、必要とされる愉悦、何よりも人生の理想に向かっているという実感は、普通に社会生活を送っていてはなかなか経験できるものではない。
だから若者たちはカルトに惹きつけられる訳だが、おそらくそこからの思考停止の度合いには個人差もあるのだろう。
マーサの場合は、集団の暴力化、特に命に対する考え方が、脱退への大きな切っ掛けとなる。
集団に馴染んだ頃、パトリックはマーサに病気の猫を銃殺させようとする。
マーサはどうしても殺すことが出来ないが、他のメンバーはむしろパトリックに認められようと積極的に引金を引くのである。
そして、ある夜盗みに入った家で、彼らは遂に一線を超えてしまう。
凄惨な殺人現場を目の当たりにして動揺を隠せないマーサに、パトリックは「死は皆が恐れるからこそ美しい」と意味不明な理屈で説得しようとするが、これによって心にフツフツと沸き起こった疑念によって、マーサは長い長い白日夢から目覚め、現実へと戻る事を決意する。
しかし、外界を蔑み、自らの理想を維持するためなら殺人をも厭わぬ集団となってしまった彼らが、簡単に秘密を知るマーサを諦めるのか。
カルトの記憶が明かされてゆくと共に、マーサの心の奥底から噴出する恐怖は徐々に観客にも感染して行くのである。
はたして、彼女が感じているのは単なる妄想に過ぎないのか、それともパトリックの放った“奴ら”は虎視眈々と奪還のチャンスを狙っているのか。
遂に妄想と現実の区別さえつかなくなったマーサを入院させるため、病院へと向かう姉夫婦の車の中で、マーサをアップで捉えたラストカットが秀逸だ。
突然車の前に飛び出し、中を覗き込んで走り去る人影は、止めてあった車に飛び乗ると、背後から急速に追い上げて来る。
それが“奴ら”かどうかは明示されないが、少なくとも不安げな表情を浮かべるマーサの中では、それは逃れる事の出来ない過去から追っ手なのである。
今回は、“棘”や“毒針”、“皮肉”といった意味を持つ「スティンガー」をチョイス。
ブランデー45mlとペパーミント・ホワイト15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
落ち着いた琥珀色が美しいが、ブランデーの深いコクとペパーミントの清涼感が合わさると、名前の通り鋭い味わいとなる。
度数は高いので深酒すると思わぬ過去の傷が毒針の様に襲いかかって来るかも?
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カルト集団から脱走した若い女性を主人公に描く、異色の心理スリラー。
肉体的には自由になっても、心に深く刻み込まれたマインド・コントロールは彼女を簡単には逃さない。
監督は、本作で2011年度のサンダンス映画祭監督賞を受賞した若干29歳の新鋭、ショーン・ダーキン。
「レッド・ライト」などで知られるエリザベス・オルセンが、過去の記憶によって現在を蝕まれる主人公を繊細に演じている。
※ラストに触れています。
孤独な環境で育ったマーサ(エリザベス・オルセン)は、ある時若者たちのグループに勧誘される。
そこでリーダーのパトリック(ジョン・ホークス)から“マーシー・メイ”という新たな名を授けられた彼女は、山奥の農場で集団生活を送ることになる。
だが、次第に暴力的になる集団に疑問を抱き、ある年の夏に脱走を決意。
唯一の家族である姉夫婦を頼ったマーサは、静かな湖畔の別荘に身を寄せる。
だが、安全なはずのそこでも、彼女の心には過去の記憶が蘇り、次第に“奴ら”が自分を取り返しに来るという妄想にとりつかれてゆく・・・
ショーン・ダーキン監督が本作の制作に乗り出したのは、実際にカルト集団で暮らしていた少女の手記を読んだ事が切っ掛けだったという。
フィクション、ノンフィクションを問わず、カルトを描いた作品は珍しくない。
しかし、ここまで徹底的に個人の内面に寄り添い、脱退後のマインド・コントロールの恐怖をフィーチャーした劇映画は観た事がない。
カルトというと宗教と思いがちだが、ここに登場するのはむしろカリスマリーダーを頂いた事で、歪に変形したヒッピー・コミューンの出来損ないの様なものだ。
アメリカでは60年代以降、非宗教ながら反社会的な傾向を持つこの種のコミューンが数多く現れ、今も人知れず存在している。
もっとも有名なのは、1969年に起こったロマン・ポランスキー監督の妻で女優のシャロン・テート殺害事件など、数多くの犯罪を犯した事で知られるチャールズ・マンソンと彼の信奉者たち、いわゆるマンソン・ファミリーだろう。
実際、本作でジョン・ホークスが演じるカルトリーダーのパトリックの人物造形には、ミュージシャンでもあり歌が上手く、女性にとても人気があったという、マンソンの影響が見て取れる。
ドラッグを用いて陶酔状態を作り出す、マインド・コントロールの手法も同じだ。
映画は、マーサが山奥の農場を脱走するシーンから始まる。
疎遠ではあったものの、唯一の血縁者である姉の元に身を寄せるが、空白の二年間に何があったのか、どんな生活をしていたのかは嘘で誤魔化す。
裕福な姉夫婦も、最初はボーイフレンドと山で暮らしていたというマーサの言葉を信じているのだが、直ぐに妹の奇妙な言動に面食らう事になるのだ。
人目のある湖に全裸で飛び込んだり、姉夫婦が夜の営みをしている最中に平然と部屋に入って来たり。
明らかに常軌を逸した行動を姉夫婦が咎めても、マーサ自身は何が問題だか理解できず、逆に彼女の言うところの「模範的行動」をとっていないと姉夫婦を非難する始末。
一体、彼女は二年もの間隔絶された世界で、何を見て、何を経験したのか。
本作の原題は「Martha Marcy May Marlene」で、マーシー・メイはパトリックから与えられた新たな名前で、最後のマーリンとは、農場に外から電話がかかってきた場合、女性のメンバーが名乗る偽名。
つまり彼女はカルト内部ではマーシー・メイ、対外的にはマーリンであり、二年の間マーサという女性は幽霊の様に消滅してしまっていたのだ。
ダーキンは、現在のマーサとカルト集団でマーシー・メイと呼ばれていた頃の過去を交互に描いてゆくのだが、暗転からの場面転換が上手い。
例えば一人で湖で泳ぐシーンからは、多くの仲間たちと川で泳ぐシーンへ、夜中に屋根に落ちる松ぼっくりの音に怯えるシーンは、集団での“仕事”として空き巣にはいるシーンで、屋根に石を投げて住人の不在を確認する描写に繋がる。
この様に現在のマーサの視点に、不意に過去が現れることで、彼女の心はまだカルトの影響下にあり、決して本当の自由を手に入れた訳ではない事がわかるのだ。
そして、マーサの現実を過去が侵食する頻度はだんだんと高まり、現在のリアルは忌わしい過去の記憶によって支配されてゆくのである。
ユニークなのは、本作における主人公の葛藤は、外的な要因によるものではなく、基本的に彼女の内面の問題だという事だ。
マーサをカルト集団が実際に取り戻しに来る様な描写は一切なく、彼女の感じている不安や恐怖は全て心に刷り込まれた二年間の体験から想起されている。
思うに、ああいう無私の集団生活というのは慣れてしまえば楽しいのだと思う。
同世代の若者たちと交歓する喜び、他人のために自主的に仕事をし、必要とされる愉悦、何よりも人生の理想に向かっているという実感は、普通に社会生活を送っていてはなかなか経験できるものではない。
だから若者たちはカルトに惹きつけられる訳だが、おそらくそこからの思考停止の度合いには個人差もあるのだろう。
マーサの場合は、集団の暴力化、特に命に対する考え方が、脱退への大きな切っ掛けとなる。
集団に馴染んだ頃、パトリックはマーサに病気の猫を銃殺させようとする。
マーサはどうしても殺すことが出来ないが、他のメンバーはむしろパトリックに認められようと積極的に引金を引くのである。
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凄惨な殺人現場を目の当たりにして動揺を隠せないマーサに、パトリックは「死は皆が恐れるからこそ美しい」と意味不明な理屈で説得しようとするが、これによって心にフツフツと沸き起こった疑念によって、マーサは長い長い白日夢から目覚め、現実へと戻る事を決意する。
しかし、外界を蔑み、自らの理想を維持するためなら殺人をも厭わぬ集団となってしまった彼らが、簡単に秘密を知るマーサを諦めるのか。
カルトの記憶が明かされてゆくと共に、マーサの心の奥底から噴出する恐怖は徐々に観客にも感染して行くのである。
はたして、彼女が感じているのは単なる妄想に過ぎないのか、それともパトリックの放った“奴ら”は虎視眈々と奪還のチャンスを狙っているのか。
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この記事へのコメント
昨夜はありがとうございました。
あのラストの解釈、なうほどでした。
なるほど、これはマンソン・ファミリーに似ていますね。
そうか、彼も歌が上手かったのか…。
あのラストの解釈、なうほどでした。
なるほど、これはマンソン・ファミリーに似ていますね。
そうか、彼も歌が上手かったのか…。
>えいさん
こちらこそ楽しかったです。
ラストの解釈はあくまでも私見ですが、多分そういう事かと。
マンソンは元々ミュージシャンなんですよね。
だから初期のマンソンファミリーは彼のグルーピーみたいな物だったらしいです。
こちらこそ楽しかったです。
ラストの解釈はあくまでも私見ですが、多分そういう事かと。
マンソンは元々ミュージシャンなんですよね。
だから初期のマンソンファミリーは彼のグルーピーみたいな物だったらしいです。
鑑賞からかなり経ってしまったんですけど書いてみました。
おっしゃる通り、ラストがよかったですね。
ああいう終わり方、今ってあんまりなくて、全部わかるようにしちゃってるのが多いから、逆に新鮮でした。
パンフレット買いたかったんですけど、なくて残念。
おっしゃる通り、ラストがよかったですね。
ああいう終わり方、今ってあんまりなくて、全部わかるようにしちゃってるのが多いから、逆に新鮮でした。
パンフレット買いたかったんですけど、なくて残念。
>rose_chocolatさん
小規模だからかパンフは作ってないみたいですね。
あくまでも主人公の知り得る範囲しか描かない事で、サスペンスが増幅しましたね。
カルトを描く映画は多いけれど、本作のアプローチは新鮮でした。
小規模だからかパンフは作ってないみたいですね。
あくまでも主人公の知り得る範囲しか描かない事で、サスペンスが増幅しましたね。
カルトを描く映画は多いけれど、本作のアプローチは新鮮でした。
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2013/09/10(火) 10:32:47 | ★yukarinの映画鑑賞ぷらす日記★
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