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2013年04月15日 (月) | 編集 |
映画の黙示録。
※ラストに触れています。
異才レオス・カラックス13年ぶりの劇場用長編作品は、幻の都で“映画の死”を描く先鋭的な実験映画だ。
運転手付のリムジンでパリを巡りながら、様々な役柄を演じてゆく謎の男。
ある時はホームレスの老婆、ある時はモーションキャプチャの俳優、ある時は殺し屋、ある時は瀕死の病人。
カラックスが1エピソードを担当した2008年のオムニバス映画「TOKYO!」で、地下道から出没して人々を恐怖に陥れた怪人“メルド”も、本作の主人公が演じるキャラクターの一人として登場する。
彼の前にはカメラは無いし、観客もいない。
ただ、指定された場所へいって、一つの人生のごく短い断片を生き、終わればまた次なる断片の主人公へと姿を変える。
ここは言わば、スクリーンの枠の中だけに存在するパリという名の劇場で、主人公は永遠の虚構を生きる“映画”の象徴だ。
この世界は映画で出来ている。
が、そこは何故か死の香りが充満しているのである。
物言わぬ人々が、まったく無反応にスクリーンを見つめる冒頭部分と、逆に“カーズ”の車の様に言葉を持ったリムジンたちが、映画と観客について語るラスト。
基本的に移動の間以外素を持たない主人公にとって、演じるキャラクターの死もまた虚構。
しかし、その中で唯一本物の死をイメージするシーンが終盤にある。
観客の心の中で生の断片として積み重ねられ、永遠の命を持つかに思われる映画もまた、人々が興味を失うと共に、その虚構性の光を失うのかもしれない。
映画の死はしかし、フィルムかデジタルかなどという些細な事ではない。
人間たちが“光る機械”に興味を失う。
それはつまり、洞窟の中揺らぐ炎の光で壁画を見ることで、静止した絵から動きを感じ取った古代の体験から続く、暗闇の中で時空を超越する創造の叡智=イデアを観るという数万年に及ぶ神秘の共有体験の終わりである。
カラックスは、それこそが映画の死を意味すると考えている様だ。
映画は、トーマス・エジソンによってそのハードはほとんど完成されていたが、今日映画の発明者とされているのはエジソンではなく、リュミエール兄弟である。
彼らが、暗闇の劇場に張られた銀幕に、虚構と現実の狭間に存在する光の世界を映写する事で、初めて映画は完成したのだ。
未来の光であるデジタルで本作を撮りながら、同時に劇場の衰萎による本質的な映画の終焉を予見して見せたカラックスは、さすがに鋭い。
もっとも、それはネットワークを無限の共有空間とし、今までの定義では語る事の出来ない新しい時代の“ネオ映画”の誕生なのかも知れないのだけど。
今回は「パリジャン」をチョイス。
ドライジン30ml、ドライ・ベルモット15ml、クレーム・ド・カシス15mlをステアしてグラスに注ぐ。
美しいルビー色に濃厚な味わいを持つ甘口のカクテルだ。
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※ラストに触れています。
異才レオス・カラックス13年ぶりの劇場用長編作品は、幻の都で“映画の死”を描く先鋭的な実験映画だ。
運転手付のリムジンでパリを巡りながら、様々な役柄を演じてゆく謎の男。
ある時はホームレスの老婆、ある時はモーションキャプチャの俳優、ある時は殺し屋、ある時は瀕死の病人。
カラックスが1エピソードを担当した2008年のオムニバス映画「TOKYO!」で、地下道から出没して人々を恐怖に陥れた怪人“メルド”も、本作の主人公が演じるキャラクターの一人として登場する。
彼の前にはカメラは無いし、観客もいない。
ただ、指定された場所へいって、一つの人生のごく短い断片を生き、終わればまた次なる断片の主人公へと姿を変える。
ここは言わば、スクリーンの枠の中だけに存在するパリという名の劇場で、主人公は永遠の虚構を生きる“映画”の象徴だ。
この世界は映画で出来ている。
が、そこは何故か死の香りが充満しているのである。
物言わぬ人々が、まったく無反応にスクリーンを見つめる冒頭部分と、逆に“カーズ”の車の様に言葉を持ったリムジンたちが、映画と観客について語るラスト。
基本的に移動の間以外素を持たない主人公にとって、演じるキャラクターの死もまた虚構。
しかし、その中で唯一本物の死をイメージするシーンが終盤にある。
観客の心の中で生の断片として積み重ねられ、永遠の命を持つかに思われる映画もまた、人々が興味を失うと共に、その虚構性の光を失うのかもしれない。
映画の死はしかし、フィルムかデジタルかなどという些細な事ではない。
人間たちが“光る機械”に興味を失う。
それはつまり、洞窟の中揺らぐ炎の光で壁画を見ることで、静止した絵から動きを感じ取った古代の体験から続く、暗闇の中で時空を超越する創造の叡智=イデアを観るという数万年に及ぶ神秘の共有体験の終わりである。
カラックスは、それこそが映画の死を意味すると考えている様だ。
映画は、トーマス・エジソンによってそのハードはほとんど完成されていたが、今日映画の発明者とされているのはエジソンではなく、リュミエール兄弟である。
彼らが、暗闇の劇場に張られた銀幕に、虚構と現実の狭間に存在する光の世界を映写する事で、初めて映画は完成したのだ。
未来の光であるデジタルで本作を撮りながら、同時に劇場の衰萎による本質的な映画の終焉を予見して見せたカラックスは、さすがに鋭い。
もっとも、それはネットワークを無限の共有空間とし、今までの定義では語る事の出来ない新しい時代の“ネオ映画”の誕生なのかも知れないのだけど。
今回は「パリジャン」をチョイス。
ドライジン30ml、ドライ・ベルモット15ml、クレーム・ド・カシス15mlをステアしてグラスに注ぐ。
美しいルビー色に濃厚な味わいを持つ甘口のカクテルだ。

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この記事へのコメント
なるほど、カラックスなりの「映画そのものの死」論。
『メルド!』でドニ・ラヴァンが素晴らしかったのは、小奇麗で瀟洒な大都会に、突然蓋をしていたはずの「怪人」が現れて現実が一変する様でした。
妖精や怪物の存在を信じていた中世の復活、イマジネーションの復活であるかのように恐ろしく、面白く思えたものです。
そこからさらに自由にそれを繋げていったように思えた本作、ここを更に押し広げて「映画の死」というノラネコさんの解釈には納得がいきます。
『汚れなき祈り』もですが、ノラネコさんのショートレビューは本当に素晴らしい。
今後も出来れば書きませんか。
P.S.TBに関してですが、すみません、こちらから送っているのですが、どうやら反映されないようです…。
『メルド!』でドニ・ラヴァンが素晴らしかったのは、小奇麗で瀟洒な大都会に、突然蓋をしていたはずの「怪人」が現れて現実が一変する様でした。
妖精や怪物の存在を信じていた中世の復活、イマジネーションの復活であるかのように恐ろしく、面白く思えたものです。
そこからさらに自由にそれを繋げていったように思えた本作、ここを更に押し広げて「映画の死」というノラネコさんの解釈には納得がいきます。
『汚れなき祈り』もですが、ノラネコさんのショートレビューは本当に素晴らしい。
今後も出来れば書きませんか。
P.S.TBに関してですが、すみません、こちらから送っているのですが、どうやら反映されないようです…。
>とらねこさん
まあ寓話的な作品なので、解釈は如何様にも可能だと思うのですが、この映画にはやはり死のイメージが漂っている様に感じました。
ショートレビューは今後も未レビュー作が多くなったらやります。
今週末あたりも、何本か書き溜めているので。
普通のレビューとショートレビューを半々くらいにして、少し数を増やそうかと思ってます。
tbは良くあることなんでお気になさらずに・・・
まあ寓話的な作品なので、解釈は如何様にも可能だと思うのですが、この映画にはやはり死のイメージが漂っている様に感じました。
ショートレビューは今後も未レビュー作が多くなったらやります。
今週末あたりも、何本か書き溜めているので。
普通のレビューとショートレビューを半々くらいにして、少し数を増やそうかと思ってます。
tbは良くあることなんでお気になさらずに・・・
2013/05/10(金) 23:38:45 | URL | ノラネコ #xHucOE.I[ 編集]
こんにちは。時々Twitterでリプ飛ばしたりして、失礼しています。
この作品のこともチラッとやりとりしていただいて、メルドが出てくるらしい…と、楽しみにしていました。
人生が映画なのか、映画とは何なのか、演じているのは何故、何のためなのか…などと、いろいろ想いを巡らせながら観ました。
ノラネコさんの“未来の光であるデジタルで本作を撮りながら、同時に劇場の衰萎による本質的な映画の終焉を予見して見せたカラックスは、さすがに鋭い。”を拝読して、一層この作品の面白味が増しました。
この作品のこともチラッとやりとりしていただいて、メルドが出てくるらしい…と、楽しみにしていました。
人生が映画なのか、映画とは何なのか、演じているのは何故、何のためなのか…などと、いろいろ想いを巡らせながら観ました。
ノラネコさんの“未来の光であるデジタルで本作を撮りながら、同時に劇場の衰萎による本質的な映画の終焉を予見して見せたカラックスは、さすがに鋭い。”を拝読して、一層この作品の面白味が増しました。
2013/06/25(火) 20:33:26 | URL | うめ #-[ 編集]
>うめさん
映画に関する映画であることは間違いないでしょうが、解釈はいろいろできますね。
私はこの映画における死のイメージが特に印象に残ったので、こういう捉え方になりました。
カラックスは久しぶりだったけど、結構好きな映画です。
映画に関する映画であることは間違いないでしょうが、解釈はいろいろできますね。
私はこの映画における死のイメージが特に印象に残ったので、こういう捉え方になりました。
カラックスは久しぶりだったけど、結構好きな映画です。
2013/06/25(火) 23:01:28 | URL | ノラネコ #xHucOE.I[ 編集]
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という噂を聞いて、心躍ってしまった。
なんたってその監督は、鬼才レオス・カラックスだからだ!
なんとわけわからかった
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