2013年05月28日 (火) | 編集 |
見えないけど、パパはきっとそこにいる。
ある日突然、家族の目の前で、この世を去ってしまった父。
残された子供たちと妻は、やがて庭にそびえる巨木に彼の魂を感じ、少しずつ悲しみを乗り越えてゆく。
長編劇映画デビュー作の「やさしい嘘」で脚光を浴びたジュリー・ベルトゥチェリ監督が、シャルロット・ゲンズブールを主演に迎え、雄大なオーストラリアの自然を背景に、ある家族の喪失と再生を描いた人間ドラマだ。
オーストラリアに暮すドーン(シャルロット・ゲンズブール)は、夫のピーターと四人の子供たちと共に幸せな日々を送っていたが、ピーターが運転中に心臓発作を起こし、亡くなってしまう。
丁度家に帰って来たところだった彼の車は、庭のイチジクの木にぶつかって止まった。
あまりにも突然で、あっけない死を受け入れられず、悲しみに打ちひしがれる家族。
8歳の娘、シモーン(モルガナ・ディヴィス)は、木にパパがいると言い、木と会話するようになる。
最初は信じなかったドーンも、何時しか木に亡きピーターを感じる事で癒されてゆく。
やがて生活のために働く事を決意したドーンは、店のオーナーのジョージ(マートン・ソーカス)と、徐々に親しくなってゆくが・・・・
シャルロット・ゲンズブールが、普通の女の役をやっているのを久々に観た気がする。
近年はラース・フォン・トリアー作品などでエキセントリックなキャラクターが定番となっていたが、本作で彼女が演じているのは、母国フランスから遠く離れたオーストラリアへと嫁ぎ、ささやかな家庭を築いた女性だ。
ジュディー・パスコーの原作は未読だが、終始幼いシモーンの目線で語られる物語らしい。
対して、映画の視点は基本ゲンズブール演じるドーンに置かれ、途中でシモーンの視点へと移り、お互いの間を行き来する様に構成されている。
この変更は、監督のジュリー・ベルトゥチェリが、本作の制作前に撮影監督だった夫のクリストフ・ポロックを亡くしている事と無関係ではあるまい。
これをスクリーンの表と裏、虚構と現実で、それぞれに大切な存在を追悼し、人生の新たな一歩を踏み出そうとする、ある女性=監督自身の物語と捉えるとしっくりくる。
おそらくこの映画を作る事自体が、監督にとっては自らの喪失に向き合う“喪の仕事”であり、そのためには分身であるドーンだけでなく、シモーンという観察者の視点を加えた自己客観視が必要だったのだろう。
ピーターを深く愛していたドーンは、突然彼に先立たれた事で生きる気力を失い、抜け殻の様になってしまう。
しかし、悲しみの中でも家族は、それぞれのタイミングで時計の針を進め始めるのだ。
男として追うべき背中を失った長男は、塞ぎこむ母を横目で見ながら父の友人の木工会社でアルバイトを始め、娘のシモーンは家族と共に父の最期を看取ったイチジクの巨木から、亡き父の魂の声を聞く。
やがてシモーンからその“秘密”を聞いたドーンも、大地にどっしりと根を下ろした木に、今も地上に留まる夫の影を感じるのである。
もっとも、それは残された者の心を一時癒すことにはなっても、植物の様に歩まぬ存在に留め置く歪な状態だ。
ドーンが少しずつ心を修復し、今まで知らなかった家の外へと目を向け始めると、状況は大きく変わりだす。
先日読んだ吉田秋生の漫画「海街diary」に、夫を亡くして周りが心配するほどに嘆き悲しむ女性を見た主人公の一人が、「ああいう人は、(一人で生きられないから)すぐ別の頼れる人を見つける」と言い放つ描写があったのだが、本作のドーンもそんな感じだ。
良くも悪くも世間知らずの夢見る少女の部分が残っていて、寂しがりやで感情の起伏が激しい。
ピーターを亡くしてどん底まで落ちても、ジョージと出会えばわりと直ぐに親密になってしまう。
だが、ドーンが母親や妻ではなく、一人の女としての顔を見せる事は、パパが木と同化して見守っていると信じるシモーンにとっては、家族への裏切りに他ならず、彼女はますます木に固執する様になる。
家族の歴史を未来へと進めようとするベクトルと、過去に留まろうとするベクトルが、ドーンとシモーンによって体言され、葛藤を深めてゆくのだ。
本作において圧倒的な存在感を見せるのが、舞台となるオーストラリアの大地と、物語に組み込まれたアニミズム的モチーフであり、その象徴が「パパの木」となる庭のイチジクの巨木である。
四方へと複雑な枝を伸ばしたそのシルエットは、大陸に流れる悠久の時を感じさせる。
ベルトゥチェリの前作「やさしい嘘」は、グルジアに住むおばあちゃんに、パリで息子が死んだ事を知らせないために、偽の手紙を書き続ける娘と孫娘の物語だった。
この作品ではフランスとグルジアの距離が物語の成立に不可欠だった訳だが、本作においては、フランス人の監督から見た未知なるオーストラリアの自然という、異世界感溢れるビジュアルが、映画の影の主役であり、バックボーンとなっているのだ。
巨木はドーンとジョージが親しくなるにつれて、まるで意思を持って嫉妬するかのように急成長を始め、家の中にはコウモリやカエルが飛び込んでくる。
遂にはドーンの寝室に巨大に伸びすぎた枝を落とし、屋根を破壊してしまうのだが、面白いのは住人もそれほど動じない事。
自然もダイナミックスだが、屋根が無くても急いで修理する訳でもなく、そのまま暮らしている人間もまた野生的だ。
だが、パパの木によって、家が破壊されようとしてもなお、家族は木を伐採する事ができない。
ジョージと付き合い始めているドーンにしても、本心の部分ではピーターとの思い出に囚われたままなのだ。
そして、実際の大嵐を待って撮影したというクライマックスに至って、母なる自然と一体となったパパの木は遂に家族へと決断を迫る。
このまま自分と共に死ぬか、それとも生きるのかと。
肉体を失ったパパは、最後に自然そのものとなって、家族の背中を押すのである。
パパの木に象徴されるアニミズム的な寓意性が、本来対照的な文化圏出身の監督の中で完全に消化されないまま前面に出すぎているきらいはあるが、これはヨーロッパとオセアニアのカルチャーミックスによって生まれたユニークな力作。
スクリーンから、今を生きる元気をもらえる一本である。
これはフランス人の監督がオーストラリアで撮った映画なので、同じようにフランスのモエ・エ・シャンドンが、オーストラリアのヴィクトリア州で生産しているスパークリング・ロゼ「シャンドン・ロゼ」をチョイス。
すっきりフレッシュな果実の味わい、クリーミーで柔らかな喉ごしが爽やかだ。
これをアペリティフにして、肉厚のオージービーフにでも豪快にかぶりつきたい。
記事が気に入ったらクリックしてね

こちらもお願い
ある日突然、家族の目の前で、この世を去ってしまった父。
残された子供たちと妻は、やがて庭にそびえる巨木に彼の魂を感じ、少しずつ悲しみを乗り越えてゆく。
長編劇映画デビュー作の「やさしい嘘」で脚光を浴びたジュリー・ベルトゥチェリ監督が、シャルロット・ゲンズブールを主演に迎え、雄大なオーストラリアの自然を背景に、ある家族の喪失と再生を描いた人間ドラマだ。
オーストラリアに暮すドーン(シャルロット・ゲンズブール)は、夫のピーターと四人の子供たちと共に幸せな日々を送っていたが、ピーターが運転中に心臓発作を起こし、亡くなってしまう。
丁度家に帰って来たところだった彼の車は、庭のイチジクの木にぶつかって止まった。
あまりにも突然で、あっけない死を受け入れられず、悲しみに打ちひしがれる家族。
8歳の娘、シモーン(モルガナ・ディヴィス)は、木にパパがいると言い、木と会話するようになる。
最初は信じなかったドーンも、何時しか木に亡きピーターを感じる事で癒されてゆく。
やがて生活のために働く事を決意したドーンは、店のオーナーのジョージ(マートン・ソーカス)と、徐々に親しくなってゆくが・・・・
シャルロット・ゲンズブールが、普通の女の役をやっているのを久々に観た気がする。
近年はラース・フォン・トリアー作品などでエキセントリックなキャラクターが定番となっていたが、本作で彼女が演じているのは、母国フランスから遠く離れたオーストラリアへと嫁ぎ、ささやかな家庭を築いた女性だ。
ジュディー・パスコーの原作は未読だが、終始幼いシモーンの目線で語られる物語らしい。
対して、映画の視点は基本ゲンズブール演じるドーンに置かれ、途中でシモーンの視点へと移り、お互いの間を行き来する様に構成されている。
この変更は、監督のジュリー・ベルトゥチェリが、本作の制作前に撮影監督だった夫のクリストフ・ポロックを亡くしている事と無関係ではあるまい。
これをスクリーンの表と裏、虚構と現実で、それぞれに大切な存在を追悼し、人生の新たな一歩を踏み出そうとする、ある女性=監督自身の物語と捉えるとしっくりくる。
おそらくこの映画を作る事自体が、監督にとっては自らの喪失に向き合う“喪の仕事”であり、そのためには分身であるドーンだけでなく、シモーンという観察者の視点を加えた自己客観視が必要だったのだろう。
ピーターを深く愛していたドーンは、突然彼に先立たれた事で生きる気力を失い、抜け殻の様になってしまう。
しかし、悲しみの中でも家族は、それぞれのタイミングで時計の針を進め始めるのだ。
男として追うべき背中を失った長男は、塞ぎこむ母を横目で見ながら父の友人の木工会社でアルバイトを始め、娘のシモーンは家族と共に父の最期を看取ったイチジクの巨木から、亡き父の魂の声を聞く。
やがてシモーンからその“秘密”を聞いたドーンも、大地にどっしりと根を下ろした木に、今も地上に留まる夫の影を感じるのである。
もっとも、それは残された者の心を一時癒すことにはなっても、植物の様に歩まぬ存在に留め置く歪な状態だ。
ドーンが少しずつ心を修復し、今まで知らなかった家の外へと目を向け始めると、状況は大きく変わりだす。
先日読んだ吉田秋生の漫画「海街diary」に、夫を亡くして周りが心配するほどに嘆き悲しむ女性を見た主人公の一人が、「ああいう人は、(一人で生きられないから)すぐ別の頼れる人を見つける」と言い放つ描写があったのだが、本作のドーンもそんな感じだ。
良くも悪くも世間知らずの夢見る少女の部分が残っていて、寂しがりやで感情の起伏が激しい。
ピーターを亡くしてどん底まで落ちても、ジョージと出会えばわりと直ぐに親密になってしまう。
だが、ドーンが母親や妻ではなく、一人の女としての顔を見せる事は、パパが木と同化して見守っていると信じるシモーンにとっては、家族への裏切りに他ならず、彼女はますます木に固執する様になる。
家族の歴史を未来へと進めようとするベクトルと、過去に留まろうとするベクトルが、ドーンとシモーンによって体言され、葛藤を深めてゆくのだ。
本作において圧倒的な存在感を見せるのが、舞台となるオーストラリアの大地と、物語に組み込まれたアニミズム的モチーフであり、その象徴が「パパの木」となる庭のイチジクの巨木である。
四方へと複雑な枝を伸ばしたそのシルエットは、大陸に流れる悠久の時を感じさせる。
ベルトゥチェリの前作「やさしい嘘」は、グルジアに住むおばあちゃんに、パリで息子が死んだ事を知らせないために、偽の手紙を書き続ける娘と孫娘の物語だった。
この作品ではフランスとグルジアの距離が物語の成立に不可欠だった訳だが、本作においては、フランス人の監督から見た未知なるオーストラリアの自然という、異世界感溢れるビジュアルが、映画の影の主役であり、バックボーンとなっているのだ。
巨木はドーンとジョージが親しくなるにつれて、まるで意思を持って嫉妬するかのように急成長を始め、家の中にはコウモリやカエルが飛び込んでくる。
遂にはドーンの寝室に巨大に伸びすぎた枝を落とし、屋根を破壊してしまうのだが、面白いのは住人もそれほど動じない事。
自然もダイナミックスだが、屋根が無くても急いで修理する訳でもなく、そのまま暮らしている人間もまた野生的だ。
だが、パパの木によって、家が破壊されようとしてもなお、家族は木を伐採する事ができない。
ジョージと付き合い始めているドーンにしても、本心の部分ではピーターとの思い出に囚われたままなのだ。
そして、実際の大嵐を待って撮影したというクライマックスに至って、母なる自然と一体となったパパの木は遂に家族へと決断を迫る。
このまま自分と共に死ぬか、それとも生きるのかと。
肉体を失ったパパは、最後に自然そのものとなって、家族の背中を押すのである。
パパの木に象徴されるアニミズム的な寓意性が、本来対照的な文化圏出身の監督の中で完全に消化されないまま前面に出すぎているきらいはあるが、これはヨーロッパとオセアニアのカルチャーミックスによって生まれたユニークな力作。
スクリーンから、今を生きる元気をもらえる一本である。
これはフランス人の監督がオーストラリアで撮った映画なので、同じようにフランスのモエ・エ・シャンドンが、オーストラリアのヴィクトリア州で生産しているスパークリング・ロゼ「シャンドン・ロゼ」をチョイス。
すっきりフレッシュな果実の味わい、クリーミーで柔らかな喉ごしが爽やかだ。
これをアペリティフにして、肉厚のオージービーフにでも豪快にかぶりつきたい。

記事が気に入ったらクリックしてね

こちらもお願い
![]() ドメーヌ・シャンドン シャンドン ロゼ 750ml【スパークリングワイン・オーストラリア】 |
スポンサーサイト
この記事へのコメント
モエのピンクのロゼ、こんなのあるんですね。女の子っぽくて可愛い。
木も風景もすっごく綺麗で、本当ウットリでした。
嵐の撮影シーン、本物の嵐を待って撮影されただなんて…。知らなかった!
嵐が起こるためにここにずっと居ることが出来るなんて…その商売、すっごく羨ましい!
木も風景もすっごく綺麗で、本当ウットリでした。
嵐の撮影シーン、本物の嵐を待って撮影されただなんて…。知らなかった!
嵐が起こるためにここにずっと居ることが出来るなんて…その商売、すっごく羨ましい!
>とらねこさん
これまあまあ美味しいよ。値段もお買い得だし。
ま、嵐を待ったというより、雨期を狙ってロケして撮影して本物の嵐が来たらそれを使う段取りだったんじゃないかと思いますけどね。
いずれにしてもオーストラリアの自然というのが本作のもう一つの主役でした。
これまあまあ美味しいよ。値段もお買い得だし。
ま、嵐を待ったというより、雨期を狙ってロケして撮影して本物の嵐が来たらそれを使う段取りだったんじゃないかと思いますけどね。
いずれにしてもオーストラリアの自然というのが本作のもう一つの主役でした。
2013/06/13(木) 00:53:38 | URL | ノラネコ #xHucOE.I[ 編集]
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
フランス人女性監督ジュリー・ベルトゥチェリがオーストラリアで撮った映画『パパの木
2013/05/29(水) 22:21:18 | 大江戸時夫の東京温度
オーストラリアの大自然の中、庭に大きなオーストラリア・ゴムの木がある家で、妻ドーンと夫ピーターは4人の子どもたちと幸せに暮らしていた。 ところが、ピーターは心臓発作を起
2013/05/30(木) 23:46:40 | 象のロケット
パパの木@文京シビック
2013/06/01(土) 09:04:43 | あーうぃ だにぇっと
原題 The Tree
2010年 フランス・オーストラリア
舞台はオーストラリア
大自然の中、庭に大木が建つ家で幸せに暮らす家族を突然襲った、一家の大黒柱の死
残された家族の再生の物
2013/07/08(月) 08:17:54 | 読書と映画とガーデニング
目の前で家族を亡くした一家が少しずつ再生していく様子を、『アンチクライスト』などのシャルロット・ゲンズブール主演を務めたヒューマン・ドラマ。夫亡き後、人生の目的を見いだ...
2013/08/09(金) 22:27:48 | パピとママ映画のblog
| ホーム |