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ショートレビュー「楽園からの旅人・・・・・評価額1550円」
2013年09月07日 (土) | 編集 |
黙示録の劇場。

もちろん全て観ている訳ではないが、エルマンノ・オルミの作品は、キリスト教的な寓話の要素が強い。
貧しい生活の中で、強固な信仰を心の糧とする人々の物語「木靴の樹」、飲んだくれのホームレスに訪れる奇跡を描く「聖なる酔っぱらいの伝説」、そして現代のキリストをモチーフにした「ポー川のひかり」など、どの作品にもキリストへの信仰が深く刻まれている。
その傾向は本作において特に色濃く、ほとんどその部分だけに純化した様な作品と言えるだろう。

イタリアのとある街で、信徒の減少から教会が廃止され、ずっと信仰に生きてきた司祭は失意に沈む。
ところが廃墟となった神の家に、当局に追われたアフリカからの不法移民の一団が助けを求めてやって来るのだ。
司祭は彼らを受け入れ、自らの使命とは何かを考え、人生を捧げてきた信仰について葛藤を深めるのである。
舞台となるのは教会の内部のみ、つまり神の胎内という閉鎖空間で展開する、極めて演劇的な物語
嘗てフェデリコ・フェリーニは「甘い生活」の冒頭で、ヘリコプターに吊り下げられた巨大なキリスト像という強烈なイメージを見せつけて、それが退廃しモラルを失った時代の物語である事を示唆してみせた。
本作のオープニングシークエンスでも、役目を終えた教会からキリスト像がクレーンに吊り下げられて運び出される。
オルミ流の偉大な先輩に対するオマージュ、と言うか半世紀後の世界に生きる作家としてのアンサーか。
もはやキリストの家ではない聖なる空間に、入れ替わる様に大勢のイスラムの客たちがやって来る。
彼らの中には父親のいない赤ん坊、即ちキリストを彷彿とさせる人物もいれば、自爆テロを企てているグループもいるし、突然カメラに向かって身の上話を語りかける老人もいる。

しかし、これはいわゆる社会派映画ではない。
例えば、同じモチーフを扱っていても、海に生きるイタリア人とアフリカからの密入国者を描く「海と大陸」の方がずっと社会的な視点が強い。
本作はいわば作者の分身である司祭の見た、信仰が失われた社会に訪れた神の啓示、黙示録の風景を描いた遺言的寓話なのだと思う。
物資的には豊かだが、その進むべき目標を信仰と共に失ってしまった社会。
隣人を愛さず、現状に閉じこもる現代ヨーロッパは、老巨匠の目にはゆっくりと滅びへと向かっている様に見えているのだろう。
廃墟の教会堂の中に作られたダンボールの村は、終末であり希望でもある、いわば可能性の未来の象徴だ。
絶望と葛藤の末に、遂に司祭は「信仰よりも善行の方が尊い」とつぶやく。
この時点で彼の行為は、既にキリストとかイスラムといった宗教を超越している。
人々を愛し、導くために本当に必要なものは何なのか。
82歳のエルマンノ・オルミは、静かに、しかし思慮深く我々に問いかけるのである。

いぶし銀の輝きの映画には、イタリア最古のビール銘柄として知られる「ビッラ モレッティ」をチョイス。
創業は1859年に遡り、当時のオーストリア帝国の影響を色濃く受けた、クラッシクでバランスの良いピルスナー。
マフィアっぽい髭のおじさんのラベルも特徴的で、イタリア料理店にいくとつい頼みたくなる一本だ。
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