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2014年03月30日 (日) | 編集 |
物語の裏側にあるもの。
あまりにも有名なディズニーのミュージカル映画、「メリー・ポピンズ」のビハインド・ザ・シーン。
魔法使いのナニー、メリー・ポピンズは、本当は誰を助けにやって来たのだろうか。
映画は子供の頃に何度も観たし、原作も読んだが、この話は全く知らなかった。
原作者のパメラ・L・トラヴァース夫人と、プロデューサーのウォルト・ディズニーの間に交わされた約束とは。
物語の裏に物語があり、更にその裏にも物語がある三重構造が形作る創作の連環。
これは人はなぜ物語るのか、作者にとって作品とは何なのかを描き出した、実に奥深い物語論であり作家論である。
創作に関わる全ての人は、スクリーンの中のどこかに自らを見出し、必ず心をかき乱されるだろう。
ジョン・リー・ハンコック監督は、見事に自身の最高傑作を作り上げた。
※核心部分に触れています。
1961年。
英国に住む作家のパメラ・L・トラヴァース(エマ・トンプソン)は、20年に渡ってオファーを受けていた「メリー・ポピンズ」の映画化を話し合うために、ハリウッドのディズニースタジオへと向かう。
しかし気難しいパメラの性格は、出迎えたディズニー(トム・ハンクス)らを困惑させる。
主演俳優からミュージカル化の案まで、ことごとくダメだしされ、作業は全く進まない。
どうしても契約書にサインさせたいディズニーは、パメラの他者を寄せ付けない頑なな心に何があるのか、彼女が作品に込めた想いを知ろうとする。
やがて「メリー・ポピンズ」の裏側に隠された、約半世紀前の彼女の幼少期の悲劇が浮かび上がってくる・・・
先日公開された「アナと雪の女王」の併映短編「ミッキーのミニー救出大作戦」は、モノクロスタンダードのクラッシックなアニメーションで始まる。
なんだ、1930年ごろの旧作かな?と思っていると、やがてキャラクターたちは3DCGとなってスクリーンを飛び出し、シネスコの画面の中に存在する劇場の、ビスタサイズのスクリーンの内と外で大騒動を繰り広げるのである。
この僅か6分ほどの短編の中に、スタンダードからビスタ、シネスコへ、そしてモノクロ手描きアニメからカラー3DCGへというディズニーアニメーションの歴史が内包されている訳だ。
カンザス出身のアニメーター、ウォルト・イライアス・ディズニーが兄のロイと共にアニメーション製作会社を興したのは1923年。
以来、会社形態の変遷はあるが一貫して自社製作によるアニメーション、実写映画を作り続けてきた。
また自らの作品及びキャラクターをブランド化して、製作から何十年経っても、その存在を生かし続けるというビジネスモデルを確立した人物でもあるのだ。
“ディズニープリンセス”と言えば1937年の白雪姫から最新のアナとエルサまで、一つのブランドイメージの歴史の中で繋がり、ミッキーマウスは1920年代末から一世紀近くが経過した現在に至るまでディズニーのシンボルであり続けている。
この強固なブランドと歴史の一体性を生かし、近年のディズニーは自らの遺産を上手く新たな創作に繋げている。
前記した「ミッキーのミニー救出大作戦」もそうだが、「アナと雪の女王」もディズニープリンセスの王道を踏襲しつつも、ある意味で過去へのアンチテーゼとして現代的な価値観を付与する事で、フレッシュなイメージを作り出していた。
またセルフパロディ化するギリギリの線で、ディズニー世界をメタ的に俯瞰した作品と言えば、アニメ世界のプリンセスが現実の世界にやって来る「魔法にかけられて」が記憶に新しい。
そして本作もまた、伝説化されたディズニーの豊かな歴史をモチーフとした物語である。
邦題は「ウォルト・ディズニーの約束」だが、主人公はウォルトではなくパメラ・L・トラヴァースだ。
映画はロンドンに暮らす彼女が、映画化の話し合いのためにハリウッドへ向かうところから始まる。
以降、「メリー・ポピンズ」の映画化準備を巡る顛末と、それより半世紀前のオーストラリアでの出来事が交互に描かれる。
最初のうち、二つの時系列の関係は明示されない。
オーストラリアの平原に家族と共に住んでいる想像力豊かな少女が、後のパメラであろう事は何となく示唆されるのだが、名前が違うのである。
もしこの少女がパメラなら、一体なぜ彼女は英国の作家パメラ・L・トラヴァースとなったのだろうか?
過去と現在、並行する二つの物語の間に横たわるミステリーによって、観客の興味をひきつける巧みな構成だ。
一方、1961年のハリウッドでは、あまりにも偏屈なパメラの態度に、ウォルトたちは困惑を深めるばかり。
パメラはアメリカ人など頭カラッポの金の亡者と決め付けているかのごとく、彼らの提案をことごとく却下する。
主演候補のディック・ヴァン・ダイクは気に入らない、ミュージカル化は論外、アニメ表現もダメ、挙句の果てには劇中に赤の色は使わせない。
ウォルトたちは、一体パメラが何を求めているのか、何が気に入らないかも分からず、20年越しの映画化企画は空中分解寸前となる。
ちなみに本作にも登場する作曲家のリチャード・シャーマンによると、本物のパメラはエマ・トンプソンが演じたキャラクターよりももっと辛らつで、映画はそれでもいくぶんマイルドに描写されているそうだが、序盤にはパメラは無理難題をまくし立てる意固地なおばさんにしか見えない。
だが中盤以降、二つの時系列の物語は徐々にその関連性を明らかにしてゆく。
オーストラリアで暮らすギンティと呼ばれる少女には、夢追い人ゆえに社会に馴染めず、アルコールで身を持ち崩した父親がいるが、彼のファーストネームこそがトラヴァースなのだ。
トラヴァースは仕事を首になり、病に倒れても酒を飲み続け、絶望した母親は自殺未遂する。
父親が大好きだったギンティが、幼い心に抱いた幾つものなぜ、そして父親の最期の願いを叶えられなかった小さな罪悪感。
孤独に傷ついた彼女は、やがて父の名をペンネームに作家パメラ・L・トラヴァースとなり、切なく悲しい思い出の断片から、珠玉の物語を生み出したのだ。
魔法使いのメリー・ポピンズは、ある日空の上からパラソルを手に降りてきて、厳格な父親に支配されたバンクス家のナニーとなる。
すると彼女は、魔法の力で一家を笑いの絶えない幸せな家庭に変えてしまい、皆の幸せを見届けると去ってゆく。
それは幼いギンティが、いや父のトラヴァースが熱望し叶えられなかった理想の家族の姿だ。
パメラにとっての創作とは、嘗て救えなかった自らの家族を、フィクションの中で救済する事によって、自分の心の傷と向き合う行為だったのである。
ディズニー側が作品を理解していないと思ったパメラは、こう言い放つ。
「メリー・ポピンズが子供たちを救いにやって来たですって?あきれた」
救われるべきは子供たちではなく、社会という牢獄に閉じ込められ、葛藤を抱えたかわいそうな父親、トラヴァースを投影したバンクス氏だ。
バンクス氏を救う事が、即ち子供たちを救う事にも繋がる。
それ故に本作の原題は、少々ネタバレ気味ながら「Saving Mr. Banks 」となっているのだ。
パメラとウォルト、一見すると全くタイプの違う二人は、しかしクリエイターとして内面に良く似た部分を持っており、ウォルトも本質的な部分で「メリー・ポピンズ」のテーマを理解している。
彼もまた厳格だった父イライアスの姿を原作のバンクス氏に見ており、二人の偉大なクリエイターは、同じキャラクターに違った角度からそれぞれの家族の物語を投影していたのだ。
クリエイターにとって、物語の種となる葛藤は常に自分の中にあり、だからこそ苦闘の末に生み出した物語は愛おしい。
パメラがメリー・ポピンズを“家族”と呼ぶ様ぶように、ウォルトにとっても映画のキャラクターは“家族”である。
若い頃に「しあわせウサギのオズワルド」の権利をユニバーサルに奪われた経験のあるウォルトは、愛するキャラクターを汚されるのではないかというパメラの心痛が良く分かるのだ。
基本的に観客の視点はウォルトに置かれているので、二人の心が溶け合ってゆくにつれて、意固地なおばさんという表層的なキャラクターだったパメラが、どんどんと人間的に見えてくる。
ハリウッドでの彼女の専属運転手との泣かせるエピソードなどサブプロットも上手く機能し、観客はいつの間にかパメラにどっぷり感情移入している事に気付くだろう。
脚本のケリー・マーセルとスー・スミスによる作劇の妙は物語の細部にまで行き渡り、実に見事である。
それにしても、夢いっぱいの映画の裏に、こんな悲しい物語が秘められていたとは。
もともとの原作ファンに言わせると映画版のメリー・ポピンズ像は違和感があるそうだが、私は子供の頃にテレビで映画を観て、後から原作を読んだパターンなので、メリー・ポピンズはやはりジュリー・アンドリュースの印象が強い。
結果的に原作とかなり違ったイメージの作品となったが、なるほど本作の邦題通り、ウォルトは作品のコアな部分、物語のテーマの部分はきっちりと守ったというわけだ。
なんだか次に「メリー・ポピンズ」を観るときには、この映画の事を思い出して、楽しいシーンで泣いてしまいそうな気がするよ。
今回は物語の故郷、オーストラリアでモエ・エ・シャンドンが設立したドメーヌ・シャンドンが生産する「シャンドン・ブリュット・ロゼ」をチョイス。
シャンパンの名は名乗れないが、味わいはフランス産のものにもさほど劣らず、むしろコストパフォーマンスの高さがうれしい。
きめ細かい泡の感覚と、フルーティな香りが楽しめる華やかなスパークリングだ。
ピンクのラベルもどこか映画版の「メリー・ポピンズ」っぽい?
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あまりにも有名なディズニーのミュージカル映画、「メリー・ポピンズ」のビハインド・ザ・シーン。
魔法使いのナニー、メリー・ポピンズは、本当は誰を助けにやって来たのだろうか。
映画は子供の頃に何度も観たし、原作も読んだが、この話は全く知らなかった。
原作者のパメラ・L・トラヴァース夫人と、プロデューサーのウォルト・ディズニーの間に交わされた約束とは。
物語の裏に物語があり、更にその裏にも物語がある三重構造が形作る創作の連環。
これは人はなぜ物語るのか、作者にとって作品とは何なのかを描き出した、実に奥深い物語論であり作家論である。
創作に関わる全ての人は、スクリーンの中のどこかに自らを見出し、必ず心をかき乱されるだろう。
ジョン・リー・ハンコック監督は、見事に自身の最高傑作を作り上げた。
※核心部分に触れています。
1961年。
英国に住む作家のパメラ・L・トラヴァース(エマ・トンプソン)は、20年に渡ってオファーを受けていた「メリー・ポピンズ」の映画化を話し合うために、ハリウッドのディズニースタジオへと向かう。
しかし気難しいパメラの性格は、出迎えたディズニー(トム・ハンクス)らを困惑させる。
主演俳優からミュージカル化の案まで、ことごとくダメだしされ、作業は全く進まない。
どうしても契約書にサインさせたいディズニーは、パメラの他者を寄せ付けない頑なな心に何があるのか、彼女が作品に込めた想いを知ろうとする。
やがて「メリー・ポピンズ」の裏側に隠された、約半世紀前の彼女の幼少期の悲劇が浮かび上がってくる・・・
先日公開された「アナと雪の女王」の併映短編「ミッキーのミニー救出大作戦」は、モノクロスタンダードのクラッシックなアニメーションで始まる。
なんだ、1930年ごろの旧作かな?と思っていると、やがてキャラクターたちは3DCGとなってスクリーンを飛び出し、シネスコの画面の中に存在する劇場の、ビスタサイズのスクリーンの内と外で大騒動を繰り広げるのである。
この僅か6分ほどの短編の中に、スタンダードからビスタ、シネスコへ、そしてモノクロ手描きアニメからカラー3DCGへというディズニーアニメーションの歴史が内包されている訳だ。
カンザス出身のアニメーター、ウォルト・イライアス・ディズニーが兄のロイと共にアニメーション製作会社を興したのは1923年。
以来、会社形態の変遷はあるが一貫して自社製作によるアニメーション、実写映画を作り続けてきた。
また自らの作品及びキャラクターをブランド化して、製作から何十年経っても、その存在を生かし続けるというビジネスモデルを確立した人物でもあるのだ。
“ディズニープリンセス”と言えば1937年の白雪姫から最新のアナとエルサまで、一つのブランドイメージの歴史の中で繋がり、ミッキーマウスは1920年代末から一世紀近くが経過した現在に至るまでディズニーのシンボルであり続けている。
この強固なブランドと歴史の一体性を生かし、近年のディズニーは自らの遺産を上手く新たな創作に繋げている。
前記した「ミッキーのミニー救出大作戦」もそうだが、「アナと雪の女王」もディズニープリンセスの王道を踏襲しつつも、ある意味で過去へのアンチテーゼとして現代的な価値観を付与する事で、フレッシュなイメージを作り出していた。
またセルフパロディ化するギリギリの線で、ディズニー世界をメタ的に俯瞰した作品と言えば、アニメ世界のプリンセスが現実の世界にやって来る「魔法にかけられて」が記憶に新しい。
そして本作もまた、伝説化されたディズニーの豊かな歴史をモチーフとした物語である。
邦題は「ウォルト・ディズニーの約束」だが、主人公はウォルトではなくパメラ・L・トラヴァースだ。
映画はロンドンに暮らす彼女が、映画化の話し合いのためにハリウッドへ向かうところから始まる。
以降、「メリー・ポピンズ」の映画化準備を巡る顛末と、それより半世紀前のオーストラリアでの出来事が交互に描かれる。
最初のうち、二つの時系列の関係は明示されない。
オーストラリアの平原に家族と共に住んでいる想像力豊かな少女が、後のパメラであろう事は何となく示唆されるのだが、名前が違うのである。
もしこの少女がパメラなら、一体なぜ彼女は英国の作家パメラ・L・トラヴァースとなったのだろうか?
過去と現在、並行する二つの物語の間に横たわるミステリーによって、観客の興味をひきつける巧みな構成だ。
一方、1961年のハリウッドでは、あまりにも偏屈なパメラの態度に、ウォルトたちは困惑を深めるばかり。
パメラはアメリカ人など頭カラッポの金の亡者と決め付けているかのごとく、彼らの提案をことごとく却下する。
主演候補のディック・ヴァン・ダイクは気に入らない、ミュージカル化は論外、アニメ表現もダメ、挙句の果てには劇中に赤の色は使わせない。
ウォルトたちは、一体パメラが何を求めているのか、何が気に入らないかも分からず、20年越しの映画化企画は空中分解寸前となる。
ちなみに本作にも登場する作曲家のリチャード・シャーマンによると、本物のパメラはエマ・トンプソンが演じたキャラクターよりももっと辛らつで、映画はそれでもいくぶんマイルドに描写されているそうだが、序盤にはパメラは無理難題をまくし立てる意固地なおばさんにしか見えない。
だが中盤以降、二つの時系列の物語は徐々にその関連性を明らかにしてゆく。
オーストラリアで暮らすギンティと呼ばれる少女には、夢追い人ゆえに社会に馴染めず、アルコールで身を持ち崩した父親がいるが、彼のファーストネームこそがトラヴァースなのだ。
トラヴァースは仕事を首になり、病に倒れても酒を飲み続け、絶望した母親は自殺未遂する。
父親が大好きだったギンティが、幼い心に抱いた幾つものなぜ、そして父親の最期の願いを叶えられなかった小さな罪悪感。
孤独に傷ついた彼女は、やがて父の名をペンネームに作家パメラ・L・トラヴァースとなり、切なく悲しい思い出の断片から、珠玉の物語を生み出したのだ。
魔法使いのメリー・ポピンズは、ある日空の上からパラソルを手に降りてきて、厳格な父親に支配されたバンクス家のナニーとなる。
すると彼女は、魔法の力で一家を笑いの絶えない幸せな家庭に変えてしまい、皆の幸せを見届けると去ってゆく。
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パメラにとっての創作とは、嘗て救えなかった自らの家族を、フィクションの中で救済する事によって、自分の心の傷と向き合う行為だったのである。
ディズニー側が作品を理解していないと思ったパメラは、こう言い放つ。
「メリー・ポピンズが子供たちを救いにやって来たですって?あきれた」
救われるべきは子供たちではなく、社会という牢獄に閉じ込められ、葛藤を抱えたかわいそうな父親、トラヴァースを投影したバンクス氏だ。
バンクス氏を救う事が、即ち子供たちを救う事にも繋がる。
それ故に本作の原題は、少々ネタバレ気味ながら「Saving Mr. Banks 」となっているのだ。
パメラとウォルト、一見すると全くタイプの違う二人は、しかしクリエイターとして内面に良く似た部分を持っており、ウォルトも本質的な部分で「メリー・ポピンズ」のテーマを理解している。
彼もまた厳格だった父イライアスの姿を原作のバンクス氏に見ており、二人の偉大なクリエイターは、同じキャラクターに違った角度からそれぞれの家族の物語を投影していたのだ。
クリエイターにとって、物語の種となる葛藤は常に自分の中にあり、だからこそ苦闘の末に生み出した物語は愛おしい。
パメラがメリー・ポピンズを“家族”と呼ぶ様ぶように、ウォルトにとっても映画のキャラクターは“家族”である。
若い頃に「しあわせウサギのオズワルド」の権利をユニバーサルに奪われた経験のあるウォルトは、愛するキャラクターを汚されるのではないかというパメラの心痛が良く分かるのだ。
基本的に観客の視点はウォルトに置かれているので、二人の心が溶け合ってゆくにつれて、意固地なおばさんという表層的なキャラクターだったパメラが、どんどんと人間的に見えてくる。
ハリウッドでの彼女の専属運転手との泣かせるエピソードなどサブプロットも上手く機能し、観客はいつの間にかパメラにどっぷり感情移入している事に気付くだろう。
脚本のケリー・マーセルとスー・スミスによる作劇の妙は物語の細部にまで行き渡り、実に見事である。
それにしても、夢いっぱいの映画の裏に、こんな悲しい物語が秘められていたとは。
もともとの原作ファンに言わせると映画版のメリー・ポピンズ像は違和感があるそうだが、私は子供の頃にテレビで映画を観て、後から原作を読んだパターンなので、メリー・ポピンズはやはりジュリー・アンドリュースの印象が強い。
結果的に原作とかなり違ったイメージの作品となったが、なるほど本作の邦題通り、ウォルトは作品のコアな部分、物語のテーマの部分はきっちりと守ったというわけだ。
なんだか次に「メリー・ポピンズ」を観るときには、この映画の事を思い出して、楽しいシーンで泣いてしまいそうな気がするよ。
今回は物語の故郷、オーストラリアでモエ・エ・シャンドンが設立したドメーヌ・シャンドンが生産する「シャンドン・ブリュット・ロゼ」をチョイス。
シャンパンの名は名乗れないが、味わいはフランス産のものにもさほど劣らず、むしろコストパフォーマンスの高さがうれしい。
きめ細かい泡の感覚と、フルーティな香りが楽しめる華やかなスパークリングだ。
ピンクのラベルもどこか映画版の「メリー・ポピンズ」っぽい?

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この記事へのコメント
こんにちは。
ぼくは、この映画の内容が
ディズニーとトラヴァースの軋轢と聞いて、
これはぜひ観なくては…と、そう思ったものでした。
それだけ、
メリー・ポピンズの原作と映画とはかけ離れていました。
この映画では、自分のその長年の違和感が
あながち的はずれではなかったことを
映画として見せてくれてとても嬉しかったです。
アメリカ人ではない監督、
たとえば、
ピーター・ジャクソンあたりがリメイクしてくれると嬉しいのですが…。
ぼくは、この映画の内容が
ディズニーとトラヴァースの軋轢と聞いて、
これはぜひ観なくては…と、そう思ったものでした。
それだけ、
メリー・ポピンズの原作と映画とはかけ離れていました。
この映画では、自分のその長年の違和感が
あながち的はずれではなかったことを
映画として見せてくれてとても嬉しかったです。
アメリカ人ではない監督、
たとえば、
ピーター・ジャクソンあたりがリメイクしてくれると嬉しいのですが…。
>えいさん
原作を先に読んだ人はやはり映画の「メリーポピンズ」は違和感があるんですね。
その場合は本作のトラヴァース夫人にも感情移入しやすいのかもしれませんね。
そういう意味では先に映画を観た私は映画の観客としては幸せなのかな。
ピーター・ジャクソン監督の「メリー・ポピンズ」、何となくダークなものを感じてしまいますが、面白そう。
原作を先に読んだ人はやはり映画の「メリーポピンズ」は違和感があるんですね。
その場合は本作のトラヴァース夫人にも感情移入しやすいのかもしれませんね。
そういう意味では先に映画を観た私は映画の観客としては幸せなのかな。
ピーター・ジャクソン監督の「メリー・ポピンズ」、何となくダークなものを感じてしまいますが、面白そう。
どっちかって言うと私もえいさんよりでディズニーを信用してないなー。メリーポピンズはいっそ三池崇史で
2014/04/15(火) 07:36:01 | URL | ふじき78 #rOBHfPzg[ 編集]
この物語についてはノラネコさんとお話したいなーと思ってました。
やっぱり気合の入ったレビュー!
私はMr.バンクスを救うことは、子供たちばかりでなく
父親その人と、父親への愛と彼の喪失から立ち直れなかった彼女自身をも
救うことになったと思うのですよ。
やっぱり気合の入ったレビュー!
私はMr.バンクスを救うことは、子供たちばかりでなく
父親その人と、父親への愛と彼の喪失から立ち直れなかった彼女自身をも
救うことになったと思うのですよ。
>ふじき78さん
>いっそ三池崇史で
それだけはヤダ(´-ω-`)
>とらねこさん
その通りです。一番救われたかったのは作者本人ですよね。
これは観ていて凄く苦しい、でも目が離せなくて最後には涙が止まらなくなってしまいました。
創作という行為をメタ的に捉えて、核心に切り込んだ大傑作でした。
>いっそ三池崇史で
それだけはヤダ(´-ω-`)
>とらねこさん
その通りです。一番救われたかったのは作者本人ですよね。
これは観ていて凄く苦しい、でも目が離せなくて最後には涙が止まらなくなってしまいました。
創作という行為をメタ的に捉えて、核心に切り込んだ大傑作でした。
客寄せのための2大キャストという風に思っていたので興味がわかなかったのですが、映画館で観てびっくり。創作の葛藤を描いたさまに心打たれました。作品を構想し作り公開に至るまでそのプロセスに幾多の人生が関わる様がとっても興味深いものでした。
完成映画試写会の招待客をめぐるウオルトが経営的判断や、その後の作品を仕上げていくパメラのプロの顔などに、私はおとぎ話の世界から現実世界に急速に引き戻されました。
もし私がビジネススクールの講師なら(非常勤でもいいですが、笑)この映画は取り上げてみたい気がします。
最後まで温かい気持ちに包まれて劇場をあとにすることができました。
完成映画試写会の招待客をめぐるウオルトが経営的判断や、その後の作品を仕上げていくパメラのプロの顔などに、私はおとぎ話の世界から現実世界に急速に引き戻されました。
もし私がビジネススクールの講師なら(非常勤でもいいですが、笑)この映画は取り上げてみたい気がします。
最後まで温かい気持ちに包まれて劇場をあとにすることができました。
2014/04/22(火) 09:00:00 | URL | さゆりん #mQop/nM.[ 編集]
>さゆりんさん
たしかに、これビジネススクールの教材にしたら面白いかもしれないですね。
その時そのときの相手との駆け引きや交渉術、そして相手の信頼を得るとはどういう事か。
お互いに色々妥協してるんだけど、核心部分は守った。
そしてその核心はお互いにとって大切な部分だった。
これがスッキリとした後味の要因でしょうね。
たしかに、これビジネススクールの教材にしたら面白いかもしれないですね。
その時そのときの相手との駆け引きや交渉術、そして相手の信頼を得るとはどういう事か。
お互いに色々妥協してるんだけど、核心部分は守った。
そしてその核心はお互いにとって大切な部分だった。
これがスッキリとした後味の要因でしょうね。
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父への想い 公式サイト http://ugc.disney.co.jp/blog/movie/category/walt 監督: ジョン・リー・ハンコック 「しあわせの隠れ場所」 1961年、経済的
2014/03/31(月) 14:44:08 | 風に吹かれて
ていねいに、心のこもったドラマがつむがれていって好感。
映画「メリー・ポピンズ」は大好きだから、なおさら感動する。
2014/03/31(月) 22:56:10 | 或る日の出来事
ディズニー映画「メリー・ポピンズ」(1964)をリバイバル名画座で、初めて観た時のことを良く覚えている。
高校受験が無事に終了、放心状態に陥っていた私に、母が名作だし行ってきたらと水を向けたのだ。
その時の感想は…
ガキ向け映画だと舐めていたら、いい意味で...
2014/04/01(火) 06:53:20 | 日々 是 変化ナリ 〜 DAYS OF STRUGGLE 〜
先週末に鑑賞した「ウォルト・ディズニーの約束」Saving Mr. Banks は、「メリー・ポピンズ」(1964)製作過程を描く映画。
直後にアップした記事から以下。
<20年断り続けてきた「メリー・ポピンズ」原作者の"P・L"・トラバース (エマ・トンプソン)
...
2014/04/01(火) 06:53:37 | 日々 是 変化ナリ 〜 DAYS OF STRUGGLE 〜
“ミッキーマウス”の生みの親で、記録的なアカデミー賞受賞歴を誇る映画人ウォルト・ディズニー(1901〜1966)。 彼はイギリス在住の女流作家P(パメラ).L.トラヴァース(1899〜1996)の小説「メリー・ポピンズ(メアリー・ポピンズ)」の映画化を決意する。 しかしパメラは、脚本も音楽も気に入らないと言い、映画化を拒み続けるのだった…。 名作映画『メリーポピンズ』(1964年製作)誕生秘話。
2014/04/02(水) 09:24:02 | 象のロケット
(原題:Saving Mr. Banks)
----今日の映画、『ウォルト・ディズニーの約束』って、
だれと約束した映画ニャの?
「これはね。
後にミュージカルとなった『メリー・ポピンズ』の原作者
P・L・トラヴァースとディズニーが交わした約束のことなんだ。
でも、どんな約束...
2014/04/02(水) 18:59:50 | ラムの大通り
ウォルト・ディズニーの約束Saving Mr. Banks/監督:ジョン・リー・ハンコック/2013年/アメリカ、オーストラリア、イギリス
わたしが紡ぐ物語は誰かを救うのに、わたしはずっと救われなかった
TOHOシネマズシャンテE-8で鑑賞。ディズニー好きだしトム・ハンクスだからっていう理由だけで見ました。
そうしたらねこれすごい良かった!
あらすじ:「メリー・ポピンズ」を映画化...
2014/04/02(水) 22:35:45 | 映画感想 * FRAGILE
1960年代の名作映画、メリー・ポピンズの制作秘話というこの作品。メリー・ポピンズは子供のころみたので、ほとんど覚えていないのですが、それでも十分楽しめました。ファンだったらなおさらたまらないでしょうね。 作品情報 2013年アメリカ映画 監督:ジ…
2014/04/03(木) 09:29:30 | 映画好きパパの鑑賞日記
1961年、ロンドン。
パメラ・L・トラヴァース(エマ・トンプソン)は、ウォルト・ディズニー(トム・ハンクス)が長年熱望する「メリー・ポピンズ」の映画化について話し合うため、ロサンゼルスへと向かう。
気難しい性格のトラヴァースは、アニメやミュージカルに難癖をつけ、スタッフの脚本や構想にも頑なで、一向に了解を取り付けられない。
手を焼くウォルトは、映画化の契約書に署名してもらおうとト...
2014/04/03(木) 22:46:33 | 心のままに映画の風景
五つ星評価で【★★★ディズニーとトラヴァースのどちらを支持するかで言えばトラヴァース】
『メリー・ポピンズ』原作は未読、映画は大昔見た筈だけど記憶が曖昧。
ディズニー ...
2014/04/15(火) 07:36:33 | ふじき78の死屍累々映画日記
ディズニー映画『メリー・ポピンズ』の製作秘話。娘との約束で『メリー・ポピンズ』映画化を狙うウォルト・ディズニーだったが、原作者のP.L.トラヴァースは頑として首を縦に振らない。20年もの歳月が流れ経済的に困窮し、やっと重い腰を上げて映画化に向けての話し合いに応じる意向を見せたトラヴァースだったが、脚本に文句をつけ、ミュージカル化、アニメ化には悉く反対、出演俳優にもクレームを付ける有様。一体彼...
2014/04/16(水) 21:14:38 | 【徒然なるままに・・・】
『ウォルト・ディズニーの約束』を新宿武蔵野館で見ました。
(1)タイトルからはパスしようと思っていたものの、評判が良さそうなので映画館に行ってみました。
本作は、映画『メリー・ポピンズ』(1964年)の原作者であるパメラ・トラヴァース(エマ・トンプソン)...
2014/04/29(火) 20:13:34 | 映画的・絵画的・音楽的
SAVING MR. BANKS
1961年。児童文学の世界的ベストセラー 『メリー・ポピンズ』 の原作者P.
L.トラヴァース(エマ・トンプソン)は、ロサンゼルスに向かう。ディズニーラン
ドの創業者にしてハリウッドの大物プロデューサーであるウォルト・ディズニー
(トム・ハンクス)から、20年来持ち掛けられている映画化オファーの契約の
ためであったが...
2014/04/30(水) 15:05:36 | 真紅のthinkingdays
「アナと雪の女王」が世界中で大ヒット、ディズニーの黄金期がまた訪れたとも言える現
2014/05/04(日) 22:47:47 | はらやんの映画徒然草
ディズニー映画『メリー・ポピンズ』制作の裏側を描いた作品。
いやぁ、このP・L・トラバース。自分の近くにいたら、嫌になりますね(苦笑)。でもそれは、自分の作品を愛しているからこそ。自分の作品を愛すると言えば、ウォルト・ディズニーも負けないはずですが、そのウ...
2014/05/06(火) 08:15:14 | 勝手に映画評
ウォルト・ディズニーの約束
'13:米
◆原題:Saving Mr. Banks
◆監督:ジョン・リー・ハンコック「しあわせの隠れ場所」「アラモ」
◆主演:トム・ハンクス、エマ・トンプソン、コリン・ファレル、ポール・ジアマッティ
◆STORY◆夢のある映画を作り人々を喜ばせてきた...
2014/05/11(日) 23:05:41 | C’est joli〜ここちいい毎日を♪〜
なるほど原題が「Saving Mr. Banks」(バンクス氏の救済)だったんですね。バンクス氏というのは、「メリー・ポピンズ」に出てくる乳母として働く屋敷の主人の名前です。子供たちの父親。トラヴァース夫人は、かのキャラクターをとても大切に思ってらしたんですね。
1964年の名作ミュージカル映画「メリー・ポピンズ」の製作秘話です。とにかく役者が巧い。最初は、偏屈で映画化に難癖ばかりつける鼻...
2014/08/08(金) 08:27:45 | いやいやえん
3日のことですが、映画「ウォルト・ディズニーの約束」を鑑賞しました。
ウォルト・ディズニーは娘が愛読している児童文学「メリー・ポピンズ」の映画化を熱望し、原作者パメラ・トラバースに打診する。
映画の製作者たちが提案する脚本のアイデアをことごとく却下、なぜ...
2014/10/20(月) 00:43:27 | 笑う社会人の生活
『東の風が吹き、霧がかかる。
不思議なことが起きそうな予感・・・・
何とも言えない胸騒ぎ・・・前にもあったような・・・
そんな気がする・・・』
奇跡はいつでも東風と共 ...
2015/07/29(水) 22:06:27 | トリ猫家族
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