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2014年05月27日 (火) | 編集 |
大林宣彦の、シネマティック・ワンダーランド第2章。
「この空の花-長岡花火物語」の新潟県長岡から、北海道の芦別へ。
街が持つ遠大な歴史と、そこに住む人々の記憶を巡る、壮大な映像クロニクルの幕が再び開く。
一人の老医師の死から始まる物語は、一気に時をさかのぼり、第二次世界大戦の忘れられた樺太の戦いから、衰退した芦別炭鉱のなりたち、そして3.11後のまだ見ぬ未来へと疾走する。
この世界では、前作同様に時間も空間も、生と死も、現実と虚構の壁も意味を失い、脈々と受け継がれる生命の循環の中に飲み込まれる。
元祖映像の魔術師による、もやは“映画”の概念すら超越した、超パワフルで神秘的な映像体験。
濃密なる2時間51分は、まったく長さを感じさせない。
3月11日14時46分、北海道芦別。
地元の歴史を集めた古物商、“星降る文化堂”を営んでいる92歳の元医師、鈴木光男(品川徹)は、看護師をしている孫のカンナ(寺島咲)や82歳の妹・英子(左時枝)らに看取られて死去。
光男の二人の息子は既に他界しており、孫たちが葬儀のために集まってくる。
長男の長男で大学教授の冬樹(村田雄浩)、その娘のかさね(山崎紘菜)、次男で泊原発職員の春彦(重松豊)と妻の節子(柴山智加)。
星降る文化堂で光男と暮らしていた次男の娘のカンナには、自由人の兄・秋人(窪塚俊介)がいる。
そして突然現れた謎めいた女・信子(常盤貴子)。
彼女の持つ一冊の詩集によって浮かび上がる、1945年8月に光男が樺太で体験した出来事。
はたして信子は何者なのか、光男の記憶の中の少女・綾野(安達祐実)との関係は・・・・?
常盤貴子が演じる信子は、光男の臨終に駆けつけるとこう言う。
「まだ、間に合いましたか?」
この台詞はもちろん、「この空の花」の「まだ、戦争には間に合う」を受けたものだろう。
実際には本作の方が先に企画されていたそうだが、AKB48のPVとして作られた「So Long ! THE MOVIE」を実質的な第1.5章として間にはさみ、3.11と戦争の記憶にリンクした姉妹編となった。
例によって情報量は凄まじく、この作品の魅力を言葉にするのはとても難しい。
舞台となるのは、嘗て炭鉱で栄えた芦別。
映画は、医師としてこの街に長年暮らしてきた鈴木光男の大往生から始まり、死者の魂が生と死の境界にいる“なななのか(四十九日)”の間、人々は時空を巡る旅に出るのである。
外連味たっぷりの映像に圧倒された前作と比べると、本作の画作りはおとなしく思えるが、その代わりに押し寄せるのは膨大な台詞による言葉の洪水だ。
大林監督は、本作と「この空の花」を“シネマ・ゲルニカ”と呼んでいるそうだ。
言うまでもなく、ゲルニカとはパブロ・ピカソがナチスドイツのスペインのゲルニカ爆撃に抗議するために描いた、キュビズム表現の極致ともいえる傑作である。
無差別爆撃によって人々が殺戮された悲劇、しかしそれをそのまま写実的に描写したとしても、いつかは風化し、忘れ去られてしまう。
ところが、キュビズムによるカリカチュカという他には無い創造性を加える事によって、ゲルニカは70年以上が経過した今もなお、人々の心を捉えて離さない。
方法論は、なるほど同じだ。
本作も「この空の花」も、モチーフは戦争、震災、原発と徹底的にリアルだが、そのものは描写しない。
戦争を描きながら戦いの描写はなく、原発の問題を提起しながら福島のそれはワンカットも画面に映らないのである。
かわりに映画は、繰り返し、繰り返し、観客に働きかける。
さあ、想像せよ、と。
デジタルでの映画制作の究極を目指したという本作のチームには、驚くべき事に照明部が存在しないという。
フィルムでは撮影する事の出来ない闇の中でも、デジタルなら微かな光を捉えられる。
ならばいっそ照明をやめてしまい、そのことによって生まれる新たなる可能性を引き出せばいい。
監督曰く「フィルムで出来る事は、決してデジタルでは出来ない」。ならば、「デジタルで出来る事は、決してフィルムでは出来ぬ」。
齢76歳にして、なんというチャレンジャー。
過去100年以上にわたって蓄積された、“映画たるもの”という既成概念の呪縛から逃れ、新たなツールを使い倒すことで生まれた即興性と未見性。
生者が、死者が、その思いのたけを語りつくす異色の時空間は、さらに極端に刈り込まれた編集の間合いによって加速し、観客はおのずと置いて行かれまいとして作品に巻き込まれ、この奇妙なワンダーランドの一員となる。
そこで体感するのは映像の外連味を封じ、言葉が作り出すイマジネーションのエコーと、数々象徴的アイコンが作り出す時空の連鎖。
中原中也の詩集と、光男の油絵、そして午後2時46分で止まった時計が、1945年8月と2011年3月を結ぶ。
玉音放送が流れた8月15日に、すべてが終わった訳ではない。
ソ連軍の侵攻した樺太では、8月25日まで戦闘が続き、軍民5000人を超える犠牲を出した。
若き光男と彼の愛した綾野は、炭鉱労働者として多くの芦別出身者が移住していた戦火の樺太へ、友を探すために渡ったのである。
2時46分は、戦いに巻き込まれた綾野が非業の死を遂げ、66年後に東日本大震災が起こった時間。
やがて綾野の魂を受け継いだ信子を媒介に途切れた記憶が受け継がれ、光男のなななのかが終わったとき、時計は再び時を刻み始めるのだ。
ただ観るのではなく参加し、主体的に想像する。
映画はスクリーンを飛び出して、観客一人ひとりが自分の心の中で完成させるという事を、本作ほどはっきりと感じさせてくれる作品が過去にあったか。
抑制された映像表現の中でも、印象的なショットは多い。
映画の幕開けから出現し、音楽を奏でる妖怪チックな“野の楽師”は、14人編成のバンド、パスカルズ。
時に原野を、時に廃墟を歩き続ける楽団は、過去と現代とを繋ぐ時の精霊なのだろうか。
そして血を流す肖像や真っ赤な空のイメージは、大林監督の長編デビュー作「HOUSE ハウス」を思わせる。
思えばあの映画も、ポップなホラー映画の装いながら、その背景には戦争で愛する人を亡くした女性の悲しい運命の物語があり、37年を経て自身の映画的記憶の原点に回帰したとも捉えられるだろう。
坊さん一家の楽屋オチ的ネーミングネタも、長年観続けているファンへ向けた遊び心か。
人は生きている限り誰かと繋がり、その誰かもまた別の誰かと繋がってゆく。
映画は、芦別に暮らす一族の歴史と記憶を、循環する大いなる生命の物語へと昇華させる。
鈴木家の中で一番若いのは、山崎紘菜演じるかさね。
“かさね=重ね”であり、彼女の中には他の登場人物すべての記憶と想いが重なりあって、いつか彼女自身の記憶も重ねて、また次なる世代へと受け渡してゆくのだろう。
そして、映画もまた同じである。
冒頭に紹介されるように、本作は嘗て大林映画に憧れ、1993年に故郷の芦別に“星の降る里・芦別映画学校”を立ち上げたものの、志半ばで病に倒れた故・鈴木評詞さんの想いに、大林監督らが20年越しの歳月をかけて応えたものだ。
誰かに繋がった作り手が、その意思を受け継いで映画を世に出し、今度は観た私たちの中に重なって、いつかまた誰かに繋がってゆく。
ああ、映画とは永遠の命をもった、一つの生き物なのだな!
北海道の物語という事で、芦別からもほど近い滝川市の金滴酒造の「金滴 北の純米酒」をチョイス。
地元産の酒米“吟風”を使用し、典型的なちょい辛のど越しスッキリ系に仕上がった。
お米の旨味は程よく感じ、吟醸香も心地よいが、クセはなくシチュエーションを選ばずに楽しめる。
ぬる燗くらいの温度でも美味しく飲めるが、これからは北海道も冷酒が気持ちいい季節かな。
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「この空の花-長岡花火物語」の新潟県長岡から、北海道の芦別へ。
街が持つ遠大な歴史と、そこに住む人々の記憶を巡る、壮大な映像クロニクルの幕が再び開く。
一人の老医師の死から始まる物語は、一気に時をさかのぼり、第二次世界大戦の忘れられた樺太の戦いから、衰退した芦別炭鉱のなりたち、そして3.11後のまだ見ぬ未来へと疾走する。
この世界では、前作同様に時間も空間も、生と死も、現実と虚構の壁も意味を失い、脈々と受け継がれる生命の循環の中に飲み込まれる。
元祖映像の魔術師による、もやは“映画”の概念すら超越した、超パワフルで神秘的な映像体験。
濃密なる2時間51分は、まったく長さを感じさせない。
3月11日14時46分、北海道芦別。
地元の歴史を集めた古物商、“星降る文化堂”を営んでいる92歳の元医師、鈴木光男(品川徹)は、看護師をしている孫のカンナ(寺島咲)や82歳の妹・英子(左時枝)らに看取られて死去。
光男の二人の息子は既に他界しており、孫たちが葬儀のために集まってくる。
長男の長男で大学教授の冬樹(村田雄浩)、その娘のかさね(山崎紘菜)、次男で泊原発職員の春彦(重松豊)と妻の節子(柴山智加)。
星降る文化堂で光男と暮らしていた次男の娘のカンナには、自由人の兄・秋人(窪塚俊介)がいる。
そして突然現れた謎めいた女・信子(常盤貴子)。
彼女の持つ一冊の詩集によって浮かび上がる、1945年8月に光男が樺太で体験した出来事。
はたして信子は何者なのか、光男の記憶の中の少女・綾野(安達祐実)との関係は・・・・?
常盤貴子が演じる信子は、光男の臨終に駆けつけるとこう言う。
「まだ、間に合いましたか?」
この台詞はもちろん、「この空の花」の「まだ、戦争には間に合う」を受けたものだろう。
実際には本作の方が先に企画されていたそうだが、AKB48のPVとして作られた「So Long ! THE MOVIE」を実質的な第1.5章として間にはさみ、3.11と戦争の記憶にリンクした姉妹編となった。
例によって情報量は凄まじく、この作品の魅力を言葉にするのはとても難しい。
舞台となるのは、嘗て炭鉱で栄えた芦別。
映画は、医師としてこの街に長年暮らしてきた鈴木光男の大往生から始まり、死者の魂が生と死の境界にいる“なななのか(四十九日)”の間、人々は時空を巡る旅に出るのである。
外連味たっぷりの映像に圧倒された前作と比べると、本作の画作りはおとなしく思えるが、その代わりに押し寄せるのは膨大な台詞による言葉の洪水だ。
大林監督は、本作と「この空の花」を“シネマ・ゲルニカ”と呼んでいるそうだ。
言うまでもなく、ゲルニカとはパブロ・ピカソがナチスドイツのスペインのゲルニカ爆撃に抗議するために描いた、キュビズム表現の極致ともいえる傑作である。
無差別爆撃によって人々が殺戮された悲劇、しかしそれをそのまま写実的に描写したとしても、いつかは風化し、忘れ去られてしまう。
ところが、キュビズムによるカリカチュカという他には無い創造性を加える事によって、ゲルニカは70年以上が経過した今もなお、人々の心を捉えて離さない。
方法論は、なるほど同じだ。
本作も「この空の花」も、モチーフは戦争、震災、原発と徹底的にリアルだが、そのものは描写しない。
戦争を描きながら戦いの描写はなく、原発の問題を提起しながら福島のそれはワンカットも画面に映らないのである。
かわりに映画は、繰り返し、繰り返し、観客に働きかける。
さあ、想像せよ、と。
デジタルでの映画制作の究極を目指したという本作のチームには、驚くべき事に照明部が存在しないという。
フィルムでは撮影する事の出来ない闇の中でも、デジタルなら微かな光を捉えられる。
ならばいっそ照明をやめてしまい、そのことによって生まれる新たなる可能性を引き出せばいい。
監督曰く「フィルムで出来る事は、決してデジタルでは出来ない」。ならば、「デジタルで出来る事は、決してフィルムでは出来ぬ」。
齢76歳にして、なんというチャレンジャー。
過去100年以上にわたって蓄積された、“映画たるもの”という既成概念の呪縛から逃れ、新たなツールを使い倒すことで生まれた即興性と未見性。
生者が、死者が、その思いのたけを語りつくす異色の時空間は、さらに極端に刈り込まれた編集の間合いによって加速し、観客はおのずと置いて行かれまいとして作品に巻き込まれ、この奇妙なワンダーランドの一員となる。
そこで体感するのは映像の外連味を封じ、言葉が作り出すイマジネーションのエコーと、数々象徴的アイコンが作り出す時空の連鎖。
中原中也の詩集と、光男の油絵、そして午後2時46分で止まった時計が、1945年8月と2011年3月を結ぶ。
玉音放送が流れた8月15日に、すべてが終わった訳ではない。
ソ連軍の侵攻した樺太では、8月25日まで戦闘が続き、軍民5000人を超える犠牲を出した。
若き光男と彼の愛した綾野は、炭鉱労働者として多くの芦別出身者が移住していた戦火の樺太へ、友を探すために渡ったのである。
2時46分は、戦いに巻き込まれた綾野が非業の死を遂げ、66年後に東日本大震災が起こった時間。
やがて綾野の魂を受け継いだ信子を媒介に途切れた記憶が受け継がれ、光男のなななのかが終わったとき、時計は再び時を刻み始めるのだ。
ただ観るのではなく参加し、主体的に想像する。
映画はスクリーンを飛び出して、観客一人ひとりが自分の心の中で完成させるという事を、本作ほどはっきりと感じさせてくれる作品が過去にあったか。
抑制された映像表現の中でも、印象的なショットは多い。
映画の幕開けから出現し、音楽を奏でる妖怪チックな“野の楽師”は、14人編成のバンド、パスカルズ。
時に原野を、時に廃墟を歩き続ける楽団は、過去と現代とを繋ぐ時の精霊なのだろうか。
そして血を流す肖像や真っ赤な空のイメージは、大林監督の長編デビュー作「HOUSE ハウス」を思わせる。
思えばあの映画も、ポップなホラー映画の装いながら、その背景には戦争で愛する人を亡くした女性の悲しい運命の物語があり、37年を経て自身の映画的記憶の原点に回帰したとも捉えられるだろう。
坊さん一家の楽屋オチ的ネーミングネタも、長年観続けているファンへ向けた遊び心か。
人は生きている限り誰かと繋がり、その誰かもまた別の誰かと繋がってゆく。
映画は、芦別に暮らす一族の歴史と記憶を、循環する大いなる生命の物語へと昇華させる。
鈴木家の中で一番若いのは、山崎紘菜演じるかさね。
“かさね=重ね”であり、彼女の中には他の登場人物すべての記憶と想いが重なりあって、いつか彼女自身の記憶も重ねて、また次なる世代へと受け渡してゆくのだろう。
そして、映画もまた同じである。
冒頭に紹介されるように、本作は嘗て大林映画に憧れ、1993年に故郷の芦別に“星の降る里・芦別映画学校”を立ち上げたものの、志半ばで病に倒れた故・鈴木評詞さんの想いに、大林監督らが20年越しの歳月をかけて応えたものだ。
誰かに繋がった作り手が、その意思を受け継いで映画を世に出し、今度は観た私たちの中に重なって、いつかまた誰かに繋がってゆく。
ああ、映画とは永遠の命をもった、一つの生き物なのだな!
北海道の物語という事で、芦別からもほど近い滝川市の金滴酒造の「金滴 北の純米酒」をチョイス。
地元産の酒米“吟風”を使用し、典型的なちょい辛のど越しスッキリ系に仕上がった。
お米の旨味は程よく感じ、吟醸香も心地よいが、クセはなくシチュエーションを選ばずに楽しめる。
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この記事へのコメント
「シネマ・ゲルニカ」。なるほど…思わず納得してしまいました。
こちらの作品も、ゲルニカ的要素を感じられますよね。
デジタルカメラだからと、一切光を使っていなかったとは…。照明が足りないと感じる部分が全然ありませんでしたよね。
カメラ、SONYで凄いのありましたよね。蝋燭の光を綺麗に映すやつ。もしかして、それでしょうか…。あれ気になります。
こちらの作品も、ゲルニカ的要素を感じられますよね。
デジタルカメラだからと、一切光を使っていなかったとは…。照明が足りないと感じる部分が全然ありませんでしたよね。
カメラ、SONYで凄いのありましたよね。蝋燭の光を綺麗に映すやつ。もしかして、それでしょうか…。あれ気になります。
>とらねこさん
ゲルニカというのはなるほど言い得て妙だと思います。
これは正に映画の既成概念から脱したキュビズムなのでしょう。
前作の「この空の花」とは同じ肖像の別の横顔を描いているのかもしれませんね。
技術的なチャレンジも含めて、いやあ恐ろしくパワフルです。
ゲルニカというのはなるほど言い得て妙だと思います。
これは正に映画の既成概念から脱したキュビズムなのでしょう。
前作の「この空の花」とは同じ肖像の別の横顔を描いているのかもしれませんね。
技術的なチャレンジも含めて、いやあ恐ろしくパワフルです。
2014/06/07(土) 22:22:14 | URL | ノラネコ #xHucOE.I[ 編集]
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2014/05/28(水) 21:32:18 | タニプロダクション
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21世紀の大林映画って、なんかズレちゃた気がして、正直つらいんです。好評を博した
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