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2015年05月17日 (日) | 編集 |
今年2月に封切られた、ももいろクローバーZ主演の映画「幕が上がる」の舞台版。
脚本は原作者の平田オリザが執筆し、演出は映画と同じく本広克行が務めているが、ただ映画のストーリーをそのまま舞台に移し変えるのではなく、映画では描かれなかった原作のエピソードを、更に膨らませたスピンオフとなっている。
とは言っても、この舞台版は単独では作品として成立しておらず、完全に映画版の追補編として構成されているのがユニークだ。
映画は、ももクロのアイドル映画としての色彩が強く、同じキャストによる舞台の客層も基本的には彼女たちのファン、あるいは演劇ファン。
ならば当然映画を観た上でこちらも観に来るだろうという、ある種の割りきりが可能とした大胆な作劇である。
舞台版で描かれるのは、県立富士ヶ丘高校演劇部が地区大会を突破し、部の躍進を牽引していた吉岡先生が学校を辞めた直後の約一週間。
いわば信じていた大人に梯子を外され、動揺を隠せない部員たちが、いかにして県大会に向けて立ち直るかの物語だ。
舞台に登場するのはももクロの5人と、二年生、一年生役の部員7人だけで、吉岡先生役の黒木華はもちろん、ムロツヨシも出てこない。
それでも「吉岡先生だったらこうする」「吉岡先生はこう言ってた」など、数々の台詞によって舞台を支配するのは、姿無き黒木華なのである。
演劇部員たちは、吉岡先生の呪縛を振りほどき、あまりに大きすぎる穴を、自分たちの力だけで埋めねばならない。
映画では尺の関係もあってかあまり描かれなかった、地区大会の反省を踏まえ、部員たちが「銀河鉄道の夜」を作り込んで行く過程をじっくり見せる。
この舞台版で追加された、中西さんの過去に纏わるある設定によって、さおりは演出家としての新たな壁にぶち当たり、芝居作りの中心にいる彼女の葛藤は、周りを巻き込んで広がってゆく。
同時にこのエピソードは、なぜ今の時代に「銀河鉄道の夜」なのか?という疑問に対して、作者・平田オリザからの一つのアンサーとなっているのである。
舞台というライブであるゆえ、芝居の中に芝居があるメタ的構造は映画版より必然的に強調され、おそろしく自然な演劇部の“日常”を見ていると、いつしかこの“部活”はホンモノで、百田夏菜子は本当に演出家なのだと錯覚するほど。
いや映画のメイキング、「幕が上がる、その前に。彼女たちのひと夏の挑戦」を見ると、劇中劇の役者たちの意識としては、直接的にさおりに演技指導を受けているので、あながち錯覚でもないっぽいが。
まず弱小高校演劇部を描いた小説があり、その小説を演技経験の無いももクロが演じる事によって、彼女たちの役者としての成長を描く、ある意味でドキュメンタリー的な味わいのある映画が作られた。
そして、今回は映画を経由して物語は舞台に回帰し、ももクロたちはついに本当に演劇人としての第一歩を踏み出したわけだが、彼女たちの演技は映画版よりさらに成長して、これが初舞台とはとても思えない仕上がりだ。
映画では百田夏菜子と他のメンバーの間で、キャラクターの完成度に若干の差を感じたが、今回は皆完璧に役を自分のものとしていて、自信に満ちた堂々たる演技だった。
やはり本広監督の俳優の演技を引き出す能力は、確実に非凡だと思う。
だから、ももクロと演劇との出会いとなる、平田オリザ主催の演劇ワークショップへの参加から、映画の制作と公開、そして今回の舞台版という約1年に渡る、どこでもないどこかへの旅の集大成として、「幕が上がる」と「銀河鉄道の夜」が一つに溶け合い、メタのメタとなるラストはとても感動的だ。
平田オリザは、小説の「幕が上がる」の一つのテーマは「出会い」だと言う。
小説と映画と舞台がトライアングルを形作り、ももクロと部員役の少女たちのリアルな成長とシンクロさせたユニークな試みは、作り手と観客双方に確実に幾つもの新しい出会いをもたらしたと思う。
おそらく映画も舞台も、少女たちが歩み出した長い長い旅の通過点にすぎないのかもしれないが、いつの日か、旅の第2章を期待したい。
ところで、私が観に行った日は、映画版でがるるの祖父を演じた鶴瓶師匠が見に来ていて、幕間に“お祖父ちゃん、部室にがるるを訪ねる”的なアドリブ寸劇を見せてくれたのは、嬉しいサプライズだった。
お祖父ちゃん、校門でがるるに会えたんだろうか?
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脚本は原作者の平田オリザが執筆し、演出は映画と同じく本広克行が務めているが、ただ映画のストーリーをそのまま舞台に移し変えるのではなく、映画では描かれなかった原作のエピソードを、更に膨らませたスピンオフとなっている。
とは言っても、この舞台版は単独では作品として成立しておらず、完全に映画版の追補編として構成されているのがユニークだ。
映画は、ももクロのアイドル映画としての色彩が強く、同じキャストによる舞台の客層も基本的には彼女たちのファン、あるいは演劇ファン。
ならば当然映画を観た上でこちらも観に来るだろうという、ある種の割りきりが可能とした大胆な作劇である。
舞台版で描かれるのは、県立富士ヶ丘高校演劇部が地区大会を突破し、部の躍進を牽引していた吉岡先生が学校を辞めた直後の約一週間。
いわば信じていた大人に梯子を外され、動揺を隠せない部員たちが、いかにして県大会に向けて立ち直るかの物語だ。
舞台に登場するのはももクロの5人と、二年生、一年生役の部員7人だけで、吉岡先生役の黒木華はもちろん、ムロツヨシも出てこない。
それでも「吉岡先生だったらこうする」「吉岡先生はこう言ってた」など、数々の台詞によって舞台を支配するのは、姿無き黒木華なのである。
演劇部員たちは、吉岡先生の呪縛を振りほどき、あまりに大きすぎる穴を、自分たちの力だけで埋めねばならない。
映画では尺の関係もあってかあまり描かれなかった、地区大会の反省を踏まえ、部員たちが「銀河鉄道の夜」を作り込んで行く過程をじっくり見せる。
この舞台版で追加された、中西さんの過去に纏わるある設定によって、さおりは演出家としての新たな壁にぶち当たり、芝居作りの中心にいる彼女の葛藤は、周りを巻き込んで広がってゆく。
同時にこのエピソードは、なぜ今の時代に「銀河鉄道の夜」なのか?という疑問に対して、作者・平田オリザからの一つのアンサーとなっているのである。
舞台というライブであるゆえ、芝居の中に芝居があるメタ的構造は映画版より必然的に強調され、おそろしく自然な演劇部の“日常”を見ていると、いつしかこの“部活”はホンモノで、百田夏菜子は本当に演出家なのだと錯覚するほど。
いや映画のメイキング、「幕が上がる、その前に。彼女たちのひと夏の挑戦」を見ると、劇中劇の役者たちの意識としては、直接的にさおりに演技指導を受けているので、あながち錯覚でもないっぽいが。
まず弱小高校演劇部を描いた小説があり、その小説を演技経験の無いももクロが演じる事によって、彼女たちの役者としての成長を描く、ある意味でドキュメンタリー的な味わいのある映画が作られた。
そして、今回は映画を経由して物語は舞台に回帰し、ももクロたちはついに本当に演劇人としての第一歩を踏み出したわけだが、彼女たちの演技は映画版よりさらに成長して、これが初舞台とはとても思えない仕上がりだ。
映画では百田夏菜子と他のメンバーの間で、キャラクターの完成度に若干の差を感じたが、今回は皆完璧に役を自分のものとしていて、自信に満ちた堂々たる演技だった。
やはり本広監督の俳優の演技を引き出す能力は、確実に非凡だと思う。
だから、ももクロと演劇との出会いとなる、平田オリザ主催の演劇ワークショップへの参加から、映画の制作と公開、そして今回の舞台版という約1年に渡る、どこでもないどこかへの旅の集大成として、「幕が上がる」と「銀河鉄道の夜」が一つに溶け合い、メタのメタとなるラストはとても感動的だ。
平田オリザは、小説の「幕が上がる」の一つのテーマは「出会い」だと言う。
小説と映画と舞台がトライアングルを形作り、ももクロと部員役の少女たちのリアルな成長とシンクロさせたユニークな試みは、作り手と観客双方に確実に幾つもの新しい出会いをもたらしたと思う。
おそらく映画も舞台も、少女たちが歩み出した長い長い旅の通過点にすぎないのかもしれないが、いつの日か、旅の第2章を期待したい。
ところで、私が観に行った日は、映画版でがるるの祖父を演じた鶴瓶師匠が見に来ていて、幕間に“お祖父ちゃん、部室にがるるを訪ねる”的なアドリブ寸劇を見せてくれたのは、嬉しいサプライズだった。
お祖父ちゃん、校門でがるるに会えたんだろうか?

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この記事へのコメント
こんにちは。そんな寸劇をアドリブで行った日だったんですねw
ふふふ面白い!
ノラネコさんのレビューを読むことで『幕が上がる、その前に』でどんなことが描かれていたのかも分かっちゃった!
ノラネコさんてば、今や立派なモノノフ?
電話なかなか繋がらなかったんじゃありません?
ふふふ面白い!
ノラネコさんのレビューを読むことで『幕が上がる、その前に』でどんなことが描かれていたのかも分かっちゃった!
ノラネコさんてば、今や立派なモノノフ?
電話なかなか繋がらなかったんじゃありません?
ご無沙汰しています。
映画版「幕が上がる」は、3月に草津にご一緒した際に、猛プッシュされていたのが観に行くきっかけでした。ももクロ映画ということで、それほど興味もなかったのですが、「シムソンズが好きなら、絶対気に入るはず」の一言が決め手となって、やや無理をして横浜の港北にある映画館に観に行ったのでした。
そうなれば、舞台版が観たくなるのは、もう抗えない自然の流れでした。その舞台版も、ノラネコさんが書かれているような素晴らしい出来!いやぁ、行ってよかった、と切に思いました。
というわけで、濃密かつ替えがたい体験をさせていただき、感謝!です。
映画版「幕が上がる」は、3月に草津にご一緒した際に、猛プッシュされていたのが観に行くきっかけでした。ももクロ映画ということで、それほど興味もなかったのですが、「シムソンズが好きなら、絶対気に入るはず」の一言が決め手となって、やや無理をして横浜の港北にある映画館に観に行ったのでした。
そうなれば、舞台版が観たくなるのは、もう抗えない自然の流れでした。その舞台版も、ノラネコさんが書かれているような素晴らしい出来!いやぁ、行ってよかった、と切に思いました。
というわけで、濃密かつ替えがたい体験をさせていただき、感謝!です。
>とらねこさん
チケット発売日にがんばってとりましたよ。
モノノフとまでは行かなくても、なんかこれだけ流れを見てきてしまうと、何となく応援しようと思っちゃいますよね。
鶴瓶師匠の寸劇は、アドリブ受ける部員役の役者さんたちもたいしたもんでした。
「幕があがる、その前に」はfilmarksのほうに短くレビューしてますので、よかったらそちらもご覧ください。
>マサルさん
いや~映画のみならず、舞台版まで鑑賞されるとは、オススメしたかいがありました。
舞台版はほんと、期待をはるかに上回る名作でしたね。
ももクロたちの芝居も、正直ここまでの完成度に仕上げてくるとは思っていませんでした。
ライブビューイングがDVD化されたら、是非とももう一回観たい作品です。
チケット発売日にがんばってとりましたよ。
モノノフとまでは行かなくても、なんかこれだけ流れを見てきてしまうと、何となく応援しようと思っちゃいますよね。
鶴瓶師匠の寸劇は、アドリブ受ける部員役の役者さんたちもたいしたもんでした。
「幕があがる、その前に」はfilmarksのほうに短くレビューしてますので、よかったらそちらもご覧ください。
>マサルさん
いや~映画のみならず、舞台版まで鑑賞されるとは、オススメしたかいがありました。
舞台版はほんと、期待をはるかに上回る名作でしたね。
ももクロたちの芝居も、正直ここまでの完成度に仕上げてくるとは思っていませんでした。
ライブビューイングがDVD化されたら、是非とももう一回観たい作品です。
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