2015年06月01日 (月) | 編集 |
言葉が、閉ざされた闇に光を導く。
19世紀末のフランスの片田舎。
見えず、聞こえず、話せない、三重苦の少女と、彼女を暗闇と沈黙の牢獄から解き放った、ある修道女を描く実話ベースの作品。
邦題通り、もう一つのヘレン・ケラーとサリバン先生の物語で、主演二人の圧倒的な名演技が見どころだ。
特に三重苦のマリーを演じるアリアーナ・リヴォアールは、実際に聴覚障害者なのだけど、単にリアルなだけでない繊細な役作り。
彼女とシスター・マルグリット役のベテラン、イザベル・カレとの火花散る絡み合いだけでも、十分に観る価値ありだ。
監督・脚本は、「デルフィーヌの場合」のジャン=ピエール・アメリス。
彼は、思春期にアーサー・ペン監督版の「奇跡の人」を観て、盲聾の人々に関心を持ち、この史実を知ったのだという。
※核心部分に触れています。
聾唖の子供たちを受け入れているライネル聖母学院に、ある日マリー(アリアーナ・リヴォアール)という少女が連れてこられる。
彼女は、聾唖に盲という三重苦を抱え、生まれてから14年間、一度も教育を受けたことが無い。
まるで野獣のようなマリーを見たシスター・マルグリット(イザベル・カレ)は、彼女の鮮烈な生と無垢な魂に心惹かれ、教育係に名乗り出る。
だが、言葉を知らず本能のままに生きるマリーに、人間社会の理を教えるのは至難の業で、終わりの見えない壮絶な闘いが続く。
そして、マリーが来てから8か月目、遂に彼女はものには“名前”がある事を理解する。
大きなブレイクスルーを果たし、マリーとの絆が深まる間にも、マルグリットの体は次第に変調をきたしていた・・・・
マリーとほぼ同時代を生きたヘレン・ケラーは、高熱で障害を負った生後19ヶ月までは目も見えていたし、耳も聞こえていたので、記憶のどこかに映像と音のイメージが残っていた可能性は高いだろう。
しかし、マリーの場合は生まれながらの三重苦だ。
彼女の世界は、自分が触れて感じることのできる範囲だけで、世話をしてくれている“誰か”がいる事は認識していても、それが“両親”と呼ばれる概念であることは理解できていない。
目の開かない赤ん坊のまま肉体だけが成長する彼女を、貧しい農家である両親はただ生かすだけで精一杯。
しつけや教育など与える術もなく、結果的にマリーは14歳まで本能と感情のみで生きる、獣のように育ってしまう。
遂に両親の手には負えなくなり、聾唖の子供の寄宿学校となっているライネル聖母学院にやって来るのだが、当初学院は盲聾の子を受け入れた経験がないと拒否しようとする。
ところが、運命的にマリーに惹きつけられたシスター・マルグリットが、教育係になる事を申し出たことで、野性の少女を人間社会へと導く、壮絶な“教育”が始まるのだ。
なぜマルグリットは、不可能とも思える困難な役割を自ら買ってでたのか。
実は、彼女は不治の病に侵されており、自分の命がもう長くないことを知っている。
そんな彼女の前に現れたのは、あまりにも小さくて脆い、むき出しの魂を持つ瑞々しい生であり、消えゆく命を自覚しているマルグリットは、その命の炎の眩しさから目が離せない。
彼女を動かした衝動は、もしかしたら刹那的な母性だったかもしれないし、神の愛を伝える信仰者としての義務感だったかもしれないし、あるいは自分の生きた証を誰かに継承してもらいたいという気持もあったかもしれない。
いずれにしても運命の邂逅によって二人の人生は共鳴し、マルグリットは残り少ない命を削ってでも、マリーの魂の導き手をなる事を決めるのだ。
ここから、アリアーナ・リヴォアールとイザベル・カレという、素晴らしい俳優によって表現される、数か月間に及ぶ肉体と精神の激突は凄まじく、文字通り全存在をかけた死闘である。
何度も諦めそうになりながらも、マルグリットは試行錯誤しながら根気よくマリーに教えつづけ、遂に彼女はこの世界には“言葉”があり、物や人には“名前”があることを理解する。
最初の一歩を超えてしまえば、あとは雨季の畑に雨が染み渡り、作物が一気に育つが如く。
マリーの心が知の欲求に目覚め、言葉がほとばしり、他者とコミュニケーションする喜びを感じるプロセスは本当に感動的だ。
自分を永遠の孤独から解放してくれたマルグリットをマリーは深く信頼し、やがて二人は本当の親子以上の深い絆で結ばれてゆくのである。
しかし、マルグリットを蝕む病魔は容赦なく、二人の永遠の別れは刻々と迫ってくる。
彼女にとって、マリーに最後に伝えるべき事、魂の継承の儀式の最終章は、自らの死によって、命の持つ本当の意味、生きる喜びを感じさせること。
映画の作りとしては超がつくほどの正攻法で、ストーリーにもテリングにも奇をてらった部分は一切ない。
実話ベースの重みに、素晴らしい演技があれば、余計なデコレーションは不要。
キャラクターの心に寄り添い、状況を丁寧に作りこむだけで十分なのである。
誠実に描かれる人間の絆と、生と死の命のドラマに、気持ちよくドラ泣きさせてもらった。
今回は、フレッシュな味わいと鮮やかなブルーが特徴の、ブルゴーニュ産のソーヴィニヨン・ブランのスパークリング「ラ・ヴァーグ・ブルー」をチョイス。
青は聖母マリアの象徴であるために、結婚式などのパーティーシーンで人気の一本。
やや辛口で柑橘系の爽やかな味わいに適度な苦み、バランスに優れた酸味を持ち、口当たりの良い爽やかな味わい。
映画で流した涙の水分は、フレッシュなスパークリングで補充してしまおう。
追記:因みに本作の配給チームが「映画『奇跡のひとマリーとマルグリット』バリアフリー版を作ってみんなで映画を楽もう!!」という試みへの支援を、クラウドファンディングで募集している。
映画公開前という事で、まだ10%ほど足りていない模様で、締め切りまで残りあと5日、興味のある人は是非。
私も微力ながら支援させていただいた。
http://kibi-dango.jp/info.php?type=items&id=I0000100
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19世紀末のフランスの片田舎。
見えず、聞こえず、話せない、三重苦の少女と、彼女を暗闇と沈黙の牢獄から解き放った、ある修道女を描く実話ベースの作品。
邦題通り、もう一つのヘレン・ケラーとサリバン先生の物語で、主演二人の圧倒的な名演技が見どころだ。
特に三重苦のマリーを演じるアリアーナ・リヴォアールは、実際に聴覚障害者なのだけど、単にリアルなだけでない繊細な役作り。
彼女とシスター・マルグリット役のベテラン、イザベル・カレとの火花散る絡み合いだけでも、十分に観る価値ありだ。
監督・脚本は、「デルフィーヌの場合」のジャン=ピエール・アメリス。
彼は、思春期にアーサー・ペン監督版の「奇跡の人」を観て、盲聾の人々に関心を持ち、この史実を知ったのだという。
※核心部分に触れています。
聾唖の子供たちを受け入れているライネル聖母学院に、ある日マリー(アリアーナ・リヴォアール)という少女が連れてこられる。
彼女は、聾唖に盲という三重苦を抱え、生まれてから14年間、一度も教育を受けたことが無い。
まるで野獣のようなマリーを見たシスター・マルグリット(イザベル・カレ)は、彼女の鮮烈な生と無垢な魂に心惹かれ、教育係に名乗り出る。
だが、言葉を知らず本能のままに生きるマリーに、人間社会の理を教えるのは至難の業で、終わりの見えない壮絶な闘いが続く。
そして、マリーが来てから8か月目、遂に彼女はものには“名前”がある事を理解する。
大きなブレイクスルーを果たし、マリーとの絆が深まる間にも、マルグリットの体は次第に変調をきたしていた・・・・
マリーとほぼ同時代を生きたヘレン・ケラーは、高熱で障害を負った生後19ヶ月までは目も見えていたし、耳も聞こえていたので、記憶のどこかに映像と音のイメージが残っていた可能性は高いだろう。
しかし、マリーの場合は生まれながらの三重苦だ。
彼女の世界は、自分が触れて感じることのできる範囲だけで、世話をしてくれている“誰か”がいる事は認識していても、それが“両親”と呼ばれる概念であることは理解できていない。
目の開かない赤ん坊のまま肉体だけが成長する彼女を、貧しい農家である両親はただ生かすだけで精一杯。
しつけや教育など与える術もなく、結果的にマリーは14歳まで本能と感情のみで生きる、獣のように育ってしまう。
遂に両親の手には負えなくなり、聾唖の子供の寄宿学校となっているライネル聖母学院にやって来るのだが、当初学院は盲聾の子を受け入れた経験がないと拒否しようとする。
ところが、運命的にマリーに惹きつけられたシスター・マルグリットが、教育係になる事を申し出たことで、野性の少女を人間社会へと導く、壮絶な“教育”が始まるのだ。
なぜマルグリットは、不可能とも思える困難な役割を自ら買ってでたのか。
実は、彼女は不治の病に侵されており、自分の命がもう長くないことを知っている。
そんな彼女の前に現れたのは、あまりにも小さくて脆い、むき出しの魂を持つ瑞々しい生であり、消えゆく命を自覚しているマルグリットは、その命の炎の眩しさから目が離せない。
彼女を動かした衝動は、もしかしたら刹那的な母性だったかもしれないし、神の愛を伝える信仰者としての義務感だったかもしれないし、あるいは自分の生きた証を誰かに継承してもらいたいという気持もあったかもしれない。
いずれにしても運命の邂逅によって二人の人生は共鳴し、マルグリットは残り少ない命を削ってでも、マリーの魂の導き手をなる事を決めるのだ。
ここから、アリアーナ・リヴォアールとイザベル・カレという、素晴らしい俳優によって表現される、数か月間に及ぶ肉体と精神の激突は凄まじく、文字通り全存在をかけた死闘である。
何度も諦めそうになりながらも、マルグリットは試行錯誤しながら根気よくマリーに教えつづけ、遂に彼女はこの世界には“言葉”があり、物や人には“名前”があることを理解する。
最初の一歩を超えてしまえば、あとは雨季の畑に雨が染み渡り、作物が一気に育つが如く。
マリーの心が知の欲求に目覚め、言葉がほとばしり、他者とコミュニケーションする喜びを感じるプロセスは本当に感動的だ。
自分を永遠の孤独から解放してくれたマルグリットをマリーは深く信頼し、やがて二人は本当の親子以上の深い絆で結ばれてゆくのである。
しかし、マルグリットを蝕む病魔は容赦なく、二人の永遠の別れは刻々と迫ってくる。
彼女にとって、マリーに最後に伝えるべき事、魂の継承の儀式の最終章は、自らの死によって、命の持つ本当の意味、生きる喜びを感じさせること。
映画の作りとしては超がつくほどの正攻法で、ストーリーにもテリングにも奇をてらった部分は一切ない。
実話ベースの重みに、素晴らしい演技があれば、余計なデコレーションは不要。
キャラクターの心に寄り添い、状況を丁寧に作りこむだけで十分なのである。
誠実に描かれる人間の絆と、生と死の命のドラマに、気持ちよくドラ泣きさせてもらった。
今回は、フレッシュな味わいと鮮やかなブルーが特徴の、ブルゴーニュ産のソーヴィニヨン・ブランのスパークリング「ラ・ヴァーグ・ブルー」をチョイス。
青は聖母マリアの象徴であるために、結婚式などのパーティーシーンで人気の一本。
やや辛口で柑橘系の爽やかな味わいに適度な苦み、バランスに優れた酸味を持ち、口当たりの良い爽やかな味わい。
映画で流した涙の水分は、フレッシュなスパークリングで補充してしまおう。
追記:因みに本作の配給チームが「映画『奇跡のひとマリーとマルグリット』バリアフリー版を作ってみんなで映画を楽もう!!」という試みへの支援を、クラウドファンディングで募集している。
映画公開前という事で、まだ10%ほど足りていない模様で、締め切りまで残りあと5日、興味のある人は是非。
私も微力ながら支援させていただいた。
http://kibi-dango.jp/info.php?type=items&id=I0000100

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1895年、フランス西部。 聾唖(ろうあ:耳が聴こえず、声を出して喋れない)の少女たちを教育するラルネイ聖母学院に、聾唖で盲目の少女マリーが父親に連れられてやって来た。 一旦は入学を断られたものの、修道女マルグリットはマリーの教育係になりたいと学院長に訴える。 マリーは、ナイフやフォークが使えないのはもちろん服の着替えすら出来ない、野生児のような状態だった…。 実話から生まれたヒューマンドラマ。
2015/06/04(木) 20:50:38 | 象のロケット
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