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※タイトルインディックスを作りました。こちらからご利用ください。
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2008年09月17日 (水) | 編集 |
マーク・ミラーのグラフィック・ノベルを原作としたアクション大作。
1000年の歴史を持つ暗殺組織にまつわる物語だが、これが普通の人間ではなく、まるでジェダイ騎士団みたいな超能力を持った連中なので、ビルからビルへ飛び移るわ、弾丸の玉を曲げるわもう無茶苦茶。
怒涛のビジュアルに圧倒されて、あっという間の110分だが、どうも物語を額面どおりには解釈し難い。
顧客管理担当のサラリーマンとしては働くウェズリー(ジェームズ・マカヴォイ)は、ストレス100%の毎日を送っており、持病のパニック障害も悪化の一途。
ところがある日、スーパーマーケットで見ず知らずの男に銃撃され、突然現れた謎の美女フォックス(アンジェリーナ・ジョリー)に救われる。
実はウェズリーは、暗殺団「フラタニティ」の敏腕エージェントの息子で、銃撃してきたのは父を殺し、ウェズリーの命も狙う裏切り者のクロス(トーマス・クレッチマン)という男だという。
フラタニティのボス、スローン(モーガン・フリーマン)はウェズリーに受け継がれている暗殺者としての特殊能力を見抜き、組織の一員として迎え入れようとするのだが・・・
ダメ男が実は超能力暗殺団の敏腕エージェントの息子で、今まで想像もしなかった血と暴力の世界へ導かれるという導入部は、映像表現も含めて何となく「マトリックス」に似ているなあと思ったら、原作は元々「マトリックス」に強い影響を受けて描かれたらしい。
この物語を映像化するのは、「ナイト・ウォッチ/NOCHNOI DOZOR」で注目されたロシアのティムール・ペクマンペトフ監督。
私は「ナイト・ウォッチ」も、その続編の「デイ・ウォッチ」も、混乱したストーリーラインに、ひたすらスタイリッシュな映像を詰め込んだだけの一人よがりな代物にしか見えず、全く楽しめなかった。
ただハリウッド進出となった本作では、ペクマンペトフの最大の欠点である脚本を別チームが手がけているおかげで、少なくとも物語が追える分、彼の得意の大胆な映像表現を楽しむ事が出来た。
物語的には、「マトリックス」+「スターウォーズ」といった感じで、凄腕エージェントの血を引く主人公ウェズリーを、「ナルニア国物語」のタムナスさんで有名になったジェームズ・マカヴォイが演じ、彼を暗殺のプロに育て上げる、オビ・ワン的キャラクターであるフォクスにアンジェリーナ・ジョリー、組織の謎めいたボスにモーガン・フリーマンと芸達者が揃う。
宣伝ではアンジェリーナ・ジョリー主演が強調されているが、実際にはこれは完全にウェズリーの物語であり、終始彼の目線で物語が進む。
マカヴォイは強迫性障害気味のサラリーマンから、地獄の特訓を経て、目がイっちゃってる暗殺者になるまで、なかなかの好演と言える。
売り物のアクションも、冒頭の「マトリックス」ばりの高層ビルでのジャンピング・アタックから、マーケットの銃撃戦、ヴァイパーV10とトラックのカーチェイスと畳み掛け、殆ど息つく間もない。
ウェズリーが一人前になって、クロスとの追撃戦に移ってからも、列車アクションに一人対無数の銃撃戦と、やや既視感を感じさせながらも、工夫を凝らしたアクションシークエンスの連続で、物語の構成という不得意分野から開放されたペクマンペトフの演出もノリがよく、「帝国の逆襲」の有名なシーンを連想してしまうドンデン返し以降も中ダレすることなく最後まで一気呵成に突っ走る。
しかし、見所は盛りだくさんなのに、全体に爽快感を感じない。
それは結局のところ、映画の中で実際に描かれているのが、ヤクザの抗争にも似た、ちっちゃな、ちっちゃな組織の内部抗争に過ぎないからだ。
「一を殺して千を救う」という台詞から想像する、ストレートにヒロイズムを連想させる物語はここにはなく、洗脳されて殺人マシーンと化したマヌケな男が、一般市民も巻き込んだ、やりたい放題の大虐殺の結果、自分の欲求を晴らすだけの話になってしまっている。
ぶっちゃけ、この話で爽快感など得られる訳が無いのである。
しかし私は、この映画を観て、「マトリックス」と同時期に作られた、もう一つの問題作、デビッド・フィンチャーの「ファイトクラブ」を連想してしまった。
私には、この映画全体が、社会生活のストレスを限界まで抱えたウェズリーの破壊的な妄想と考えた方がシックリ来るし、その方が物語としても皮肉が利いている様に思う。
あのコロンバイン高校乱射事件の犯人が、「バスケットボール・ダイアリーズ」という映画の、主人公の高校生が学校で銃を乱射する妄想シーンに影響を受け、そのまんま実行してしまったという話は有名だが、この映画のウェズリーも実はそういう事ではないのか。
そう考えると、これは現実と仮想の曖昧さを巧みなレトリックで表現した「マトリックス」と、精神世界の物語を映画的なビジュアル表現に昇華した「ファイトクラブ」を合体させた進化形と捉えた方が正解なのかもしれない。
ただ、ペクマンペトフの映画は、「ナイト・ウォッチ」や「デイ・ウォッチ」も、ドラッグでもやって幻覚に浸っている様な映画だったから、単に演出家のスタイルがたまたまそう見せたと言えなくもない。
「ファイトクラブ」的な物語の解釈も、私の好意的な妄想に過ぎない訳で、実際に作者の意図したものがそっちだとすると、完成した映画が少々中途半端なのも確かだろう。
本作のヒットで、どうやら作られる事は確実そうな続編を観れば、そのあたりの応えも示されるのだろうか。
今回は、監督の出身地にちなんでロシアのワイン・・・ではなくて、カリフォルニアはソノマのロシアン・リバーのワインをチョイス。
カリフォルニアワインの最高峰の一つである、オーパス・ワンの醸造責任者として知られる、セシル・レマール・ダービーズが独立して作り出した、「ダービーズ・ワイン シャルドネ・ソノマ」の2002をチョイス。
いわゆるノン・フィルターワインで、徹底的な手作りへの拘りで、少量生産されるマニアックな酒。
華やかな果実味とオーク香が楽しめ、華やかで透明感のあるスッキリ味。
今後徐々に値段が上がってくる銘柄である事は確実なので、比較的リーズナブルな今が買いどきかもしれない。
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1000年の歴史を持つ暗殺組織にまつわる物語だが、これが普通の人間ではなく、まるでジェダイ騎士団みたいな超能力を持った連中なので、ビルからビルへ飛び移るわ、弾丸の玉を曲げるわもう無茶苦茶。
怒涛のビジュアルに圧倒されて、あっという間の110分だが、どうも物語を額面どおりには解釈し難い。
顧客管理担当のサラリーマンとしては働くウェズリー(ジェームズ・マカヴォイ)は、ストレス100%の毎日を送っており、持病のパニック障害も悪化の一途。
ところがある日、スーパーマーケットで見ず知らずの男に銃撃され、突然現れた謎の美女フォックス(アンジェリーナ・ジョリー)に救われる。
実はウェズリーは、暗殺団「フラタニティ」の敏腕エージェントの息子で、銃撃してきたのは父を殺し、ウェズリーの命も狙う裏切り者のクロス(トーマス・クレッチマン)という男だという。
フラタニティのボス、スローン(モーガン・フリーマン)はウェズリーに受け継がれている暗殺者としての特殊能力を見抜き、組織の一員として迎え入れようとするのだが・・・
ダメ男が実は超能力暗殺団の敏腕エージェントの息子で、今まで想像もしなかった血と暴力の世界へ導かれるという導入部は、映像表現も含めて何となく「マトリックス」に似ているなあと思ったら、原作は元々「マトリックス」に強い影響を受けて描かれたらしい。
この物語を映像化するのは、「ナイト・ウォッチ/NOCHNOI DOZOR」で注目されたロシアのティムール・ペクマンペトフ監督。
私は「ナイト・ウォッチ」も、その続編の「デイ・ウォッチ」も、混乱したストーリーラインに、ひたすらスタイリッシュな映像を詰め込んだだけの一人よがりな代物にしか見えず、全く楽しめなかった。
ただハリウッド進出となった本作では、ペクマンペトフの最大の欠点である脚本を別チームが手がけているおかげで、少なくとも物語が追える分、彼の得意の大胆な映像表現を楽しむ事が出来た。
物語的には、「マトリックス」+「スターウォーズ」といった感じで、凄腕エージェントの血を引く主人公ウェズリーを、「ナルニア国物語」のタムナスさんで有名になったジェームズ・マカヴォイが演じ、彼を暗殺のプロに育て上げる、オビ・ワン的キャラクターであるフォクスにアンジェリーナ・ジョリー、組織の謎めいたボスにモーガン・フリーマンと芸達者が揃う。
宣伝ではアンジェリーナ・ジョリー主演が強調されているが、実際にはこれは完全にウェズリーの物語であり、終始彼の目線で物語が進む。
マカヴォイは強迫性障害気味のサラリーマンから、地獄の特訓を経て、目がイっちゃってる暗殺者になるまで、なかなかの好演と言える。
売り物のアクションも、冒頭の「マトリックス」ばりの高層ビルでのジャンピング・アタックから、マーケットの銃撃戦、ヴァイパーV10とトラックのカーチェイスと畳み掛け、殆ど息つく間もない。
ウェズリーが一人前になって、クロスとの追撃戦に移ってからも、列車アクションに一人対無数の銃撃戦と、やや既視感を感じさせながらも、工夫を凝らしたアクションシークエンスの連続で、物語の構成という不得意分野から開放されたペクマンペトフの演出もノリがよく、「帝国の逆襲」の有名なシーンを連想してしまうドンデン返し以降も中ダレすることなく最後まで一気呵成に突っ走る。
しかし、見所は盛りだくさんなのに、全体に爽快感を感じない。
それは結局のところ、映画の中で実際に描かれているのが、ヤクザの抗争にも似た、ちっちゃな、ちっちゃな組織の内部抗争に過ぎないからだ。
「一を殺して千を救う」という台詞から想像する、ストレートにヒロイズムを連想させる物語はここにはなく、洗脳されて殺人マシーンと化したマヌケな男が、一般市民も巻き込んだ、やりたい放題の大虐殺の結果、自分の欲求を晴らすだけの話になってしまっている。
ぶっちゃけ、この話で爽快感など得られる訳が無いのである。
しかし私は、この映画を観て、「マトリックス」と同時期に作られた、もう一つの問題作、デビッド・フィンチャーの「ファイトクラブ」を連想してしまった。
私には、この映画全体が、社会生活のストレスを限界まで抱えたウェズリーの破壊的な妄想と考えた方がシックリ来るし、その方が物語としても皮肉が利いている様に思う。
あのコロンバイン高校乱射事件の犯人が、「バスケットボール・ダイアリーズ」という映画の、主人公の高校生が学校で銃を乱射する妄想シーンに影響を受け、そのまんま実行してしまったという話は有名だが、この映画のウェズリーも実はそういう事ではないのか。
そう考えると、これは現実と仮想の曖昧さを巧みなレトリックで表現した「マトリックス」と、精神世界の物語を映画的なビジュアル表現に昇華した「ファイトクラブ」を合体させた進化形と捉えた方が正解なのかもしれない。
ただ、ペクマンペトフの映画は、「ナイト・ウォッチ」や「デイ・ウォッチ」も、ドラッグでもやって幻覚に浸っている様な映画だったから、単に演出家のスタイルがたまたまそう見せたと言えなくもない。
「ファイトクラブ」的な物語の解釈も、私の好意的な妄想に過ぎない訳で、実際に作者の意図したものがそっちだとすると、完成した映画が少々中途半端なのも確かだろう。
本作のヒットで、どうやら作られる事は確実そうな続編を観れば、そのあたりの応えも示されるのだろうか。
今回は、監督の出身地にちなんでロシアのワイン・・・ではなくて、カリフォルニアはソノマのロシアン・リバーのワインをチョイス。
カリフォルニアワインの最高峰の一つである、オーパス・ワンの醸造責任者として知られる、セシル・レマール・ダービーズが独立して作り出した、「ダービーズ・ワイン シャルドネ・ソノマ」の2002をチョイス。
いわゆるノン・フィルターワインで、徹底的な手作りへの拘りで、少量生産されるマニアックな酒。
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2008年09月15日 (月) | 編集 |
中島哲也という人は、文句なしに素晴らしい才能に恵まれた人だと思うのだが、しばしばサービス精神が旺盛過ぎて、お腹いっぱいなのに更に詰め込まれるという苦しさがある。
私は、世評の高かった「嫌われ松子の一生」を、それほど楽しむ事が出来ず・・・というか途中で飽きちゃったので、輪をかけて濃そうなこの作品にはあまり期待していなかった。
この人の作品は、現実に虚構のフィルターを何重にもかぶせていって、一つの様式化された世界に再構築して寓話性を際立たせるというスタイルだが、何しろこの作品は予告編のビジュアルだけみても、前提となる「現実」が思いっきり希薄に思えた。
虚構の世界に虚構を重ねて言ったら、一体どんな腹にもたれるレイヤーケーキが出来上がるのかと思っていたのだが、いやこれは良い意味で裏切られた。
「パコと魔法の絵本」は日本映画には珍しい、徹底的に作りこまれた本格的なファンタジーであり、大人が観ても十分に感動的な作品に仕上がっている。
一代で大企業を築き、他人を一切信用せずに生きてきた大貫(役所広司)は、体調を崩して入院中。
その病院には、芝居狂の院長先生(上川隆也)を初め、オカマの木之元(國村隼)やヤクザの龍門寺(山内圭哉)、自殺未遂を繰り返す俳優の室町(妻夫木聡)など、奇妙な人たちが集まっていた。
「お前が私を知っている事に腹が立つ!」と言い放つ大貫は、ここでも嫌われ者。
病院には、毎日「ガマ王子対ザリガニ魔王」という絵本を朗読している少女パコ(アヤカ・ウィルソン)も入院していて、彼女は交通事故の後遺症で、一日しか記憶が持たないという障害を抱えている。
パコの病気の事を知らない大貫は、ある日大切にしていた純金のライターを、パコに盗まれたと勘違いして彼女を殴ってしまい、ひどく後悔するのだが・・・
たぶん、中島作品が好きな人でも、この作品の導入部には面食らうだろう。
舞台となるのは、とある病院なのだが、これがド派手な原色で彩られたあり得ない空間で、登場人物もルックスからキャラクターまで、超エキセントリックにぶっ飛んだ連中ばかり。
なんというか、アングラ劇団の芝居を観ている様な感覚に囚われるのだが、実はこの作品の原作は後藤ひろひと作の「MIDSUMMER CAROL ガマ王子vsザリガニ魔人」という舞台劇。
そっちは観ていないので、物語を含めてどこまで忠実なのかはわからないが、舞台のスチル写真と見比べても、映画の造形感覚の派手さと意図的な作り物臭さは強烈で、やり過ぎ感漂う阿部サダヲを語り部として物語が展開する冒頭から、多くの観客に戸惑いを感じさせるだろう。
正直なところ、私はこの冒頭で「こりゃやっぱりダメかも」と思ってしまったのだが、やがて奇想天外なキャラクターたちの紹介が終わり、大貫とタイトルロールであるパコとの絡みが始まると、物語は俄然面白くなる。
冒頭、故人である大貫の家を年老いた語り部役の阿部ダサヲが訪ね、仏壇に置かれていた絵本にまつわる物語を、大貫のヲタクの甥に語って聞かせるという全体の構成は、「嫌われ松子の一生」と少し似ている。
中心となるのは、人間を信じられない偏屈老人の大貫と、少女パコの心の交流の物語。
パコは交通事故で両親を亡くし、自らも一日分の記憶しか保てない障害を負ってしまう。
彼女は7歳の誕生日に母親から送られた絵本「ガマ王子対ザリガニ魔王」を、毎朝起きるたびに枕元に見つけ、永遠の誕生日を生きているのだ。
勘違いから殴られた翌日、再び大貫がパコの頬に触れると、記憶を持たないはずのパコは「おじさん、昨日もパコのほっぺにさわったよね」と、満面の笑顔で語りかけ、大貫の寂しい心を守ってきた氷の塀は、このあまりにも切なく重い一言に、あっけなく崩壊する。
横暴な池の嫌われ者であるガマ王子の物語に自らを重ねた大貫は、パコの心に何かを残そうと、病院の皆を巻き込んで、絵本をお芝居として上演しようとするのだ。
まあ、簡単に言えば、心を病んだ頑固ジジイが、無垢な少女とのふれあいで改心する物語だが、もちろんそれだけでは終わらない。
この作品は、とにかくエキセントリックなキャラクターが満載だが、彼ら一人一人のバックグラウンドがサブストーリーとして語られ、これがまた面白い。
子役時代の栄光から脱皮する事が出来ず、自殺未遂を繰り返す俳優の室町と、土屋アンナ演じる彼を密かに慕うヤンキー看護婦のタマコの物語。
実の娘の結婚式に、出席する事が出来ないオカマの木之元の物語。
そして劇団ひとりの演じる勇気を持てないヘタレ消防士の物語。
「嫌われ松子の一生」では、全てのパワーを松子の物語に集中して描いてしまったために、ややオーバーフロー気味だったが、今回は中ダレしそうになると、綿密に張り巡らされたサブストーリーが物語を重層的に盛り上げ、一本調子になるのを防いでいる。
大貫を含めたキャラクターは、全て明確な役割を持ってカリカチュアされたキャラクターで、メイクと衣装で元の俳優が誰なのか判らないくらい作りこまれているのも、俳優の持つイメージから役を独立させたかったからだろう。
例外はパコ役のアヤカ・ウィルソンと阿部サダヲで、パコはもちろん無垢なる魂の象徴として、変幻自在の阿部サダヲは物語の語り部として、作品世界の中で独自のポジションを与えられている。
「げろげーろ」という大きな声の朗読も可愛いアヤカ・ウィルソンは、ちょっと長澤まさみをハーフにした様な雰囲気の、絵に描いたような美少女で、これからが楽しみな逸材だ。
大貫の仕掛けた「ガマ王子対ザリガニ魔王」の芝居は、病院に集う皆を巻き込んで進んでゆくが、この芝居を演じる事で、彼らはそれぞれの抱える問題と向き合い、一定の答えを得る。
この過程は、舞台の構造をそのまま生かして、さらに劇中劇をパコのイマジネーションによって現実化したCGアニメとして描く事で、映画ならではの飛躍も表現されている。
CG化された絵本の世界のクオリティは素晴らしく、頻繁に切り替わる実写パートとの接続の違和感も全く無い。
外連味たっぷりに作られた、実写パートのビジュアルデザインが、ここで生きてくるのだ。
「ガマ王子対ザリガニ魔王」の絵本は、池の皆を守るため、ザリガニ魔王と戦ったガマ王子が命を落として終わる。
ガマ王子役の大貫も当然・・・と思わせておいて、この映画はそこから更に一ひねりしてあり、このクライマックスの展開は号泣もの。
こうくるとは思っていなかった私も、しっかりと泣かされてしまった。
正直なところ、相変わらず好き嫌いはあると思うが、「パコと魔法の絵本」は、中島哲也という演出家の資質と、物語の素材との幸福なマリアージュを味わう事の出来る秀作だ。
食わず嫌いの人も、試して損は無い一皿である。
今回は、子供にも飲める(?)甘―い緑のカクテル「グリーン・カルピス」をチョイス。
メロン・リキュール30mlとカルピス30mlをグラスに注ぎ、ソーダで割る。
喉でシュワーッと炭酸が弾ける感覚は、物語の後味をさわやかにまとめてくれるだろう。
メロンリキュールをそのままメロンシロップに変えれば、子供の大好きなメロン・カルピスのソーダ割りとなるので、大人も子供も楽しめる。
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私は、世評の高かった「嫌われ松子の一生」を、それほど楽しむ事が出来ず・・・というか途中で飽きちゃったので、輪をかけて濃そうなこの作品にはあまり期待していなかった。
この人の作品は、現実に虚構のフィルターを何重にもかぶせていって、一つの様式化された世界に再構築して寓話性を際立たせるというスタイルだが、何しろこの作品は予告編のビジュアルだけみても、前提となる「現実」が思いっきり希薄に思えた。
虚構の世界に虚構を重ねて言ったら、一体どんな腹にもたれるレイヤーケーキが出来上がるのかと思っていたのだが、いやこれは良い意味で裏切られた。
「パコと魔法の絵本」は日本映画には珍しい、徹底的に作りこまれた本格的なファンタジーであり、大人が観ても十分に感動的な作品に仕上がっている。
一代で大企業を築き、他人を一切信用せずに生きてきた大貫(役所広司)は、体調を崩して入院中。
その病院には、芝居狂の院長先生(上川隆也)を初め、オカマの木之元(國村隼)やヤクザの龍門寺(山内圭哉)、自殺未遂を繰り返す俳優の室町(妻夫木聡)など、奇妙な人たちが集まっていた。
「お前が私を知っている事に腹が立つ!」と言い放つ大貫は、ここでも嫌われ者。
病院には、毎日「ガマ王子対ザリガニ魔王」という絵本を朗読している少女パコ(アヤカ・ウィルソン)も入院していて、彼女は交通事故の後遺症で、一日しか記憶が持たないという障害を抱えている。
パコの病気の事を知らない大貫は、ある日大切にしていた純金のライターを、パコに盗まれたと勘違いして彼女を殴ってしまい、ひどく後悔するのだが・・・
たぶん、中島作品が好きな人でも、この作品の導入部には面食らうだろう。
舞台となるのは、とある病院なのだが、これがド派手な原色で彩られたあり得ない空間で、登場人物もルックスからキャラクターまで、超エキセントリックにぶっ飛んだ連中ばかり。
なんというか、アングラ劇団の芝居を観ている様な感覚に囚われるのだが、実はこの作品の原作は後藤ひろひと作の「MIDSUMMER CAROL ガマ王子vsザリガニ魔人」という舞台劇。
そっちは観ていないので、物語を含めてどこまで忠実なのかはわからないが、舞台のスチル写真と見比べても、映画の造形感覚の派手さと意図的な作り物臭さは強烈で、やり過ぎ感漂う阿部サダヲを語り部として物語が展開する冒頭から、多くの観客に戸惑いを感じさせるだろう。
正直なところ、私はこの冒頭で「こりゃやっぱりダメかも」と思ってしまったのだが、やがて奇想天外なキャラクターたちの紹介が終わり、大貫とタイトルロールであるパコとの絡みが始まると、物語は俄然面白くなる。
冒頭、故人である大貫の家を年老いた語り部役の阿部ダサヲが訪ね、仏壇に置かれていた絵本にまつわる物語を、大貫のヲタクの甥に語って聞かせるという全体の構成は、「嫌われ松子の一生」と少し似ている。
中心となるのは、人間を信じられない偏屈老人の大貫と、少女パコの心の交流の物語。
パコは交通事故で両親を亡くし、自らも一日分の記憶しか保てない障害を負ってしまう。
彼女は7歳の誕生日に母親から送られた絵本「ガマ王子対ザリガニ魔王」を、毎朝起きるたびに枕元に見つけ、永遠の誕生日を生きているのだ。
勘違いから殴られた翌日、再び大貫がパコの頬に触れると、記憶を持たないはずのパコは「おじさん、昨日もパコのほっぺにさわったよね」と、満面の笑顔で語りかけ、大貫の寂しい心を守ってきた氷の塀は、このあまりにも切なく重い一言に、あっけなく崩壊する。
横暴な池の嫌われ者であるガマ王子の物語に自らを重ねた大貫は、パコの心に何かを残そうと、病院の皆を巻き込んで、絵本をお芝居として上演しようとするのだ。
まあ、簡単に言えば、心を病んだ頑固ジジイが、無垢な少女とのふれあいで改心する物語だが、もちろんそれだけでは終わらない。
この作品は、とにかくエキセントリックなキャラクターが満載だが、彼ら一人一人のバックグラウンドがサブストーリーとして語られ、これがまた面白い。
子役時代の栄光から脱皮する事が出来ず、自殺未遂を繰り返す俳優の室町と、土屋アンナ演じる彼を密かに慕うヤンキー看護婦のタマコの物語。
実の娘の結婚式に、出席する事が出来ないオカマの木之元の物語。
そして劇団ひとりの演じる勇気を持てないヘタレ消防士の物語。
「嫌われ松子の一生」では、全てのパワーを松子の物語に集中して描いてしまったために、ややオーバーフロー気味だったが、今回は中ダレしそうになると、綿密に張り巡らされたサブストーリーが物語を重層的に盛り上げ、一本調子になるのを防いでいる。
大貫を含めたキャラクターは、全て明確な役割を持ってカリカチュアされたキャラクターで、メイクと衣装で元の俳優が誰なのか判らないくらい作りこまれているのも、俳優の持つイメージから役を独立させたかったからだろう。
例外はパコ役のアヤカ・ウィルソンと阿部サダヲで、パコはもちろん無垢なる魂の象徴として、変幻自在の阿部サダヲは物語の語り部として、作品世界の中で独自のポジションを与えられている。
「げろげーろ」という大きな声の朗読も可愛いアヤカ・ウィルソンは、ちょっと長澤まさみをハーフにした様な雰囲気の、絵に描いたような美少女で、これからが楽しみな逸材だ。
大貫の仕掛けた「ガマ王子対ザリガニ魔王」の芝居は、病院に集う皆を巻き込んで進んでゆくが、この芝居を演じる事で、彼らはそれぞれの抱える問題と向き合い、一定の答えを得る。
この過程は、舞台の構造をそのまま生かして、さらに劇中劇をパコのイマジネーションによって現実化したCGアニメとして描く事で、映画ならではの飛躍も表現されている。
CG化された絵本の世界のクオリティは素晴らしく、頻繁に切り替わる実写パートとの接続の違和感も全く無い。
外連味たっぷりに作られた、実写パートのビジュアルデザインが、ここで生きてくるのだ。
「ガマ王子対ザリガニ魔王」の絵本は、池の皆を守るため、ザリガニ魔王と戦ったガマ王子が命を落として終わる。
ガマ王子役の大貫も当然・・・と思わせておいて、この映画はそこから更に一ひねりしてあり、このクライマックスの展開は号泣もの。
こうくるとは思っていなかった私も、しっかりと泣かされてしまった。
正直なところ、相変わらず好き嫌いはあると思うが、「パコと魔法の絵本」は、中島哲也という演出家の資質と、物語の素材との幸福なマリアージュを味わう事の出来る秀作だ。
食わず嫌いの人も、試して損は無い一皿である。
今回は、子供にも飲める(?)甘―い緑のカクテル「グリーン・カルピス」をチョイス。
メロン・リキュール30mlとカルピス30mlをグラスに注ぎ、ソーダで割る。
喉でシュワーッと炭酸が弾ける感覚は、物語の後味をさわやかにまとめてくれるだろう。
メロンリキュールをそのままメロンシロップに変えれば、子供の大好きなメロン・カルピスのソーダ割りとなるので、大人も子供も楽しめる。
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2008年09月11日 (木) | 編集 |
「バイオハザード」や「エイリアンvsプレデター」で知られるB級野郎、ポール・W・S・アンダーソンの新作は、監獄島を舞台に囚人たちが繰り広げる死のレースを描いた、その名も「デス・レース」
1975年にロジャー・コーマン製作、ポール・バーテル監督で作られた「デス・レース2000年」のリメイクという位置付けだが、キャラクターの特徴とコンセプトが受け継がれているだけで、物語的には大幅に異なる。
西暦2012年。
経済が崩壊し、社会が不安定化したアメリカ。
元レーサーのジェンセン(ジェイソン・ステイサム)は、妻殺しの濡れ衣を着せられ、凶悪犯だけが収容される監獄島、ターミナルアイランドに送られる。
そこでは、囚人たちによって死を賭けたデス・レースが行われており、レースはテレビ放送されて人々の熱狂的人気を集めていた。
刑務所の所長(ジョアン・アレン)は、ジェンセンに事故死した人気覆面レーサー、フランケンシュタインの代役としてレースに出場する事を依頼する。
優勝すれば自由、失敗すれば死が待っている。
そんな時、ジェンセンはレースに出場するメンバーの中に、妻を殺した真犯人の姿を見る・・・
この作品は、言ってみれば一昔前のB級近未来SF映画のリミックス版だ。
旧作の「デス・レース2000年」は独裁政権下となった西暦2000年のアメリカを舞台に、大衆を熱狂させる死の大陸横断レースを描いた作品だったが、今回はキャラクターこそオリジナルを踏襲しているものの、舞台を「ニューヨーク1997」の様な監獄島に限定し、そこで繰り広げられる囚人たちの、死と自由を天秤に賭けたレースが描かれる。
物語的には、旧作とやはり囚人が自由を賭けてショーアップされた逃亡劇を繰り広げる、「バトル・ランナー」を合体させた様な内容になっている。
ああ、そういえばメカ・デザインなどは、懐かしのオーストリア映画「マッド・マックス」シリーズや、その亜流作品の「バトル・トラック」あたりも入っていた。
この節操のないごちゃ混ぜ具合は、多分アンダーソン監督の好みを反映しているのだろうが、よくもまあB級映画ばっかり集めたものである。
普通ならあれもこれもと詰め込んだ挙句に破綻してしまいそうだが、そこはさすがにオタクの星、それぞれの作品からキャラ・世界観・ストーリーライン・メカといった要素をバラバラに抽出しながら上手い具合に纏めている。
しかしながら全体の印象としては、アンダーソンの興味の対象はあくまでもキャラやビジュアルといった表面的な部分だけで、物語の成り立ちやテーマ性には関心が無い様に思える。
旧作を始め、冷戦の真っ只中に作られた7、80年代のB級SF映画は、その多くが全体主義に対する強迫観念的な恐れを物語のバックボーンに含んでいる。
いかに予算が無くて映像がチープだろうが、薄っぺらな描写に留まっていようが、観終わった観客に「この作品のテーマは?」と聞けば、誰でも明確に答えられるような作りになっていたものである。
対して今回のリメイク版は、デジタル技術の発展もあって、映像的にはとてもよく出来ているものの、逆にテーマ性は極めて希薄だ。
西暦2012年という妙に近場な未来を舞台にして、経済破綻したアメリカという、これまた決してあり得なくは無い設定を持ってきているのに、この作品で描かれる血と暴力の世界の中身の無さはどうだ。
この感覚は、描写は実写と見紛うばかりにリアルなのに、いくらでもリセット出来てしまうゲームの世界の擬似的なリアリティに通じる。
まあアンダーソン自身の出世作が、ゲームの映画化である「バイオ・ハザード」だから、たぶんこの人は素直にこういうのが好きなのだろう。
逆に世界観に作り物感が漂うからこそ、旧作とは比べ物にならないくらいにグレードアップした血みどろの残酷描写も何とか見ていられるのかもしれない。
旧作でデヴィッド・キャラダインが演じた凄腕ドライバーのフランケンシュタインを、「トランスポーター」シリーズでカーアクションならお任せのジェイソン・ステイサムが演じ、彼のライバルで旧作では無名時代のシルベスタ・スタローンが演じたマシンガン・ジョーは、何とハードゲイ(笑)という設定になって、ミュージシャンのタイリース・ギブソンが演じている。
また、旧作でもそれぞれのドライバーには異性のナビゲーターが付いているという設定だったが、今回もこの設定は踏襲され、フランケンシュタインのマシンには豊かな黒髪が印象的なナタリー・マルチネスが同乗し、華を添える。
ただ、出演者で出色なのは、冷酷な刑務所所長を演じたジョアン・アレンだ。
「ジェイソン・ボーン」シリーズでの好演も記憶に新しいが、ちょっと高慢そうな女性管理職を演じさせたらピカイチであり、今回も物語的に美味しいところを持ってゆく。
アクション演出はシャープで迫力があり、1時間47分を飽きさせないが、何しろ描写があまりにも悪趣味かつ色々な意味でイタタな内容なので、個人的にはあまり好きな映画ではない。
要するに「デス・レース」の「デス」の部分に力が入りすぎており、本来志向したはずのB級SF的な大らかさよりも、殺伐としたバイオレンスだけが印象に残って、あまり爽快感を感じないのだ。
まあ、旧作もかなりオゲレツな中身ではあったが、何しろ映像が限りなくチープなので、描写不足を脳内補完せねばならず、笑って許せる範囲だった。
対して21世紀のテクノロジーで作られたこちらは、リアルすぎて想像力の介入すら許さない。
全米興行の予想外の低迷も、このあたりのスパイスの効きすぎが観客に敬遠されたからではないかと思うのだが・・・
「ワイルド・スピード」とスプラッタ映画を、同じ皿で味わいたい人にだけお勧めする。
アメリカンレースというと、無条件でビール、それもバドかミラーを想像してしまうが、今回は映画のコクの無さが気になるので、アメリカンはアメリカンでももう少し飲み応えのあるビールにしよう。
「アンカー・スチーム」はサンフランシスコの小さな醸造所で作られる、アメリカを代表する地ビール。
しっかりとしたボディにコクのある華やかさ、適度な苦味にスモーキーさを併せ持つ、味わい深い本物のビールだ。
映画で殺伐とした心を、優しく解してくれるだろう。
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1975年にロジャー・コーマン製作、ポール・バーテル監督で作られた「デス・レース2000年」のリメイクという位置付けだが、キャラクターの特徴とコンセプトが受け継がれているだけで、物語的には大幅に異なる。
西暦2012年。
経済が崩壊し、社会が不安定化したアメリカ。
元レーサーのジェンセン(ジェイソン・ステイサム)は、妻殺しの濡れ衣を着せられ、凶悪犯だけが収容される監獄島、ターミナルアイランドに送られる。
そこでは、囚人たちによって死を賭けたデス・レースが行われており、レースはテレビ放送されて人々の熱狂的人気を集めていた。
刑務所の所長(ジョアン・アレン)は、ジェンセンに事故死した人気覆面レーサー、フランケンシュタインの代役としてレースに出場する事を依頼する。
優勝すれば自由、失敗すれば死が待っている。
そんな時、ジェンセンはレースに出場するメンバーの中に、妻を殺した真犯人の姿を見る・・・
この作品は、言ってみれば一昔前のB級近未来SF映画のリミックス版だ。
旧作の「デス・レース2000年」は独裁政権下となった西暦2000年のアメリカを舞台に、大衆を熱狂させる死の大陸横断レースを描いた作品だったが、今回はキャラクターこそオリジナルを踏襲しているものの、舞台を「ニューヨーク1997」の様な監獄島に限定し、そこで繰り広げられる囚人たちの、死と自由を天秤に賭けたレースが描かれる。
物語的には、旧作とやはり囚人が自由を賭けてショーアップされた逃亡劇を繰り広げる、「バトル・ランナー」を合体させた様な内容になっている。
ああ、そういえばメカ・デザインなどは、懐かしのオーストリア映画「マッド・マックス」シリーズや、その亜流作品の「バトル・トラック」あたりも入っていた。
この節操のないごちゃ混ぜ具合は、多分アンダーソン監督の好みを反映しているのだろうが、よくもまあB級映画ばっかり集めたものである。
普通ならあれもこれもと詰め込んだ挙句に破綻してしまいそうだが、そこはさすがにオタクの星、それぞれの作品からキャラ・世界観・ストーリーライン・メカといった要素をバラバラに抽出しながら上手い具合に纏めている。
しかしながら全体の印象としては、アンダーソンの興味の対象はあくまでもキャラやビジュアルといった表面的な部分だけで、物語の成り立ちやテーマ性には関心が無い様に思える。
旧作を始め、冷戦の真っ只中に作られた7、80年代のB級SF映画は、その多くが全体主義に対する強迫観念的な恐れを物語のバックボーンに含んでいる。
いかに予算が無くて映像がチープだろうが、薄っぺらな描写に留まっていようが、観終わった観客に「この作品のテーマは?」と聞けば、誰でも明確に答えられるような作りになっていたものである。
対して今回のリメイク版は、デジタル技術の発展もあって、映像的にはとてもよく出来ているものの、逆にテーマ性は極めて希薄だ。
西暦2012年という妙に近場な未来を舞台にして、経済破綻したアメリカという、これまた決してあり得なくは無い設定を持ってきているのに、この作品で描かれる血と暴力の世界の中身の無さはどうだ。
この感覚は、描写は実写と見紛うばかりにリアルなのに、いくらでもリセット出来てしまうゲームの世界の擬似的なリアリティに通じる。
まあアンダーソン自身の出世作が、ゲームの映画化である「バイオ・ハザード」だから、たぶんこの人は素直にこういうのが好きなのだろう。
逆に世界観に作り物感が漂うからこそ、旧作とは比べ物にならないくらいにグレードアップした血みどろの残酷描写も何とか見ていられるのかもしれない。
旧作でデヴィッド・キャラダインが演じた凄腕ドライバーのフランケンシュタインを、「トランスポーター」シリーズでカーアクションならお任せのジェイソン・ステイサムが演じ、彼のライバルで旧作では無名時代のシルベスタ・スタローンが演じたマシンガン・ジョーは、何とハードゲイ(笑)という設定になって、ミュージシャンのタイリース・ギブソンが演じている。
また、旧作でもそれぞれのドライバーには異性のナビゲーターが付いているという設定だったが、今回もこの設定は踏襲され、フランケンシュタインのマシンには豊かな黒髪が印象的なナタリー・マルチネスが同乗し、華を添える。
ただ、出演者で出色なのは、冷酷な刑務所所長を演じたジョアン・アレンだ。
「ジェイソン・ボーン」シリーズでの好演も記憶に新しいが、ちょっと高慢そうな女性管理職を演じさせたらピカイチであり、今回も物語的に美味しいところを持ってゆく。
アクション演出はシャープで迫力があり、1時間47分を飽きさせないが、何しろ描写があまりにも悪趣味かつ色々な意味でイタタな内容なので、個人的にはあまり好きな映画ではない。
要するに「デス・レース」の「デス」の部分に力が入りすぎており、本来志向したはずのB級SF的な大らかさよりも、殺伐としたバイオレンスだけが印象に残って、あまり爽快感を感じないのだ。
まあ、旧作もかなりオゲレツな中身ではあったが、何しろ映像が限りなくチープなので、描写不足を脳内補完せねばならず、笑って許せる範囲だった。
対して21世紀のテクノロジーで作られたこちらは、リアルすぎて想像力の介入すら許さない。
全米興行の予想外の低迷も、このあたりのスパイスの効きすぎが観客に敬遠されたからではないかと思うのだが・・・
「ワイルド・スピード」とスプラッタ映画を、同じ皿で味わいたい人にだけお勧めする。
アメリカンレースというと、無条件でビール、それもバドかミラーを想像してしまうが、今回は映画のコクの無さが気になるので、アメリカンはアメリカンでももう少し飲み応えのあるビールにしよう。
「アンカー・スチーム」はサンフランシスコの小さな醸造所で作られる、アメリカを代表する地ビール。
しっかりとしたボディにコクのある華やかさ、適度な苦味にスモーキーさを併せ持つ、味わい深い本物のビールだ。
映画で殺伐とした心を、優しく解してくれるだろう。
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2008年09月08日 (月) | 編集 |
なんともインパクトのあるタイトル・・・・
観たくても劇場の窓口でこのタイトルが言えずに、モジモジしているシャイな男性が結構いそうな気がする。
この夏、世界中の女性たちを熱狂させている「セックス・アンド・ザ・シティ」は、1998年から2004年にかけて放送された、4人のニューヨーカー女性を描いたテレビドラマのザ・ムービーだ。
初めに言っておくと、私はテレビ版を観た事が無い。
筋書きも雑誌の記事などで何となく知っいてる程度だ。
だが、そんな私が観ても、4人の主人公のキャラクターはわかりやすく説明され、それぞれの置かれたシチュエーションも自然に紹介されているので、若干の脳内補完だけで十分ついて行く事が出来た。
キャリー・ブラッドショー(サラ・ジェシカ・ハーパー)は、ニューヨーク在住の人気コラムニスト。
恋人のMr.ビッグ(クリス・ノース)と新しい家への引越しを控えた彼女は、思いもかけぬプロポーズを受ける。
長年の親友のミランダ(シンシア・ニクソン)、シャーロット(クリスティン・ディビス)、サマンサ(キム・キャトラル)も祝福してくれて、キャリーの気分も段々と盛り上がってくる。
最初はジミ婚にしようとしていたものの、婚約が新聞記事になったり、雑誌社が彼女のウエディングで特集記事を作るという事になったり、段々と大事に。
これが三度目の結婚であるMr.ビッグは、その盛り上がりに腰が引けてしまう。
結婚当日、式場に到着したキャリーだったが、そこに花婿の姿は無かった・・・
ちょっと雰囲気的に「プラダを着た悪魔」の年長版という感じもある。
ビジュアルイメージが似ているなあと思ったら、両方で重要な要素となるコスチュームデザインの担当がどちらもパトリシア・フィールドだった。
ファッションがそれほど前面に出るくらいだから、あとは恋にバカンスに結婚と、完全に女性向けの映画だが、別に男が観てもイケナイ訳ではないし、実際結構面白く観る事が出来た。
主人公となるのは今40代の4人の女性。
彼女たちは20代の頃に、「ブランドと恋」を求めてニューヨークにやって来て知り合い、以来無二の親友となって、人生の喜びも悲しみも分かち合ってきた仲。
その中でも、ドラマの中心となるのはコラムニストのキャリーだ。
「セックス・アンド・ザ・シティ」というのは、どうやら彼女が女性たちの本音を赤裸々に綴った著作という設定らしく、つまりは本作のストーリーテラーの役割も持つ。
リアリストのセレブで靴フェチでハイテク嫌い、お金持ちの優しい彼氏がいて、恋には夢も希望も失っていない。
たぶん、同世代独身女性の理想を体現しているキャラクターなのではないだろうか。
キャリーを含めた4人のキャラクターは、色々な意味で明確に個性が付けられ、性格や人生観、実際におかれたシチュエーションもバラバラだ。
性にワイルドで、狙った男は落とさずにはいられない、セックス依存症(?)のサマンサ。
多忙な弁護士である一方、アルツハイマーの義母の世話や、幼い子供の母親としての日常にも追われているミランダ。
健康オタクで不潔なものが嫌いで、やや天然の性格なのは、ただ一人専業主婦であるシャーロット。
世の女性たちは、この異なった性格、人生のステージを生きる4人の中の誰かに自分を重ね、たっぷりと感情移入してこのドラマを観るのだという。
なるほどね。
彼女らのキャラクターは、ある程度わかりやすくするためにステロタイプ的にカリカチュアされているものの、たいていの人が似た部分を見つけられる様に設定されている。
演じる俳優たちも、テレビシリーズを知らない私が観ても、長年役と共に生きてきた一体感のようなものが感じられて、十分に魅力的だ。
映画版にはもう一人、セントルイスからニューヨークにやって来た「セント・ルイーズ」というキャリーの歳若き新たな「友達」を、あの「ドリーム・ガールズ」のジェニファー・ハドソンが演じ、強い存在感を感じさせる。
やはりこの人は只者ではない。
私はなんとなく、観客の女性たちの多くは、どちらかというとこのルイーズのような視点、つまり4人に自分をある程度重ねると同時に、憧れの友達を見るような感じでこの作品に浸っているのではないかと思った。
何しろ、色々問題は出てくるものの、キャリーたちは言わば人生の勝ち組だ。
彼女たちは皆、少なくとも経済的には満ち足りていて、それぞれのやり方で彼女たちを心から愛してくれる、優しい男たちに囲まれている幸せ者なのだ。
その意味で、センセーションを感じさせるタイトルとは対照的に、物語そのものは保守的とも言える定番の展開で、それ自体に新しさは特に感じない。
もっとも、40代女性が本音で語る恋愛物という作品コンセプトに忠実であろうとすると、たぶんそんなに奇を衒う必要はないのだろう。
感情移入できる恋愛なんて、それ自体が特別である必要はどこにも無い。
実際この作品の物語はベタベタではあるものの、2時間半近い長尺を飽きさせず、男が観てもそれなりに共感できる物だった。
それにしても、本作の場合完全にサブである4人の夫や彼氏たちの良い人っぷりはどうだ。
Mr.ビッグの敵前逃亡はさすがにどうかと思うが、一回の浮気を馬鹿正直に告白して半年間も謝り続けるミランダの夫スティーブや、年上の彼女のわがままを優しく受け止めるサマンサの彼氏のスミスの人間的なことと言ったら、男として泣けてくる。
主人公の4人が、この世代の女性がこうありたいと思う存在だとしたら、男性キャラクターたちも、こんな彼氏がいたらなあという理想の姿なのかもしれない。
しかし、これだけ女性のハートを踊らす作品が、男性クリエイターによって作られているのは面白い。
テレビシリーズから続投の監督・脚本のマイケル・パトリック・キングとプロデューサーのダーレン・スターには、是非女心を掴むコツを聞いてみたいものである。
今回はその名も「ニューヨーク」というカクテルを。
バーボン45ml、ライムジュース15ml、グレナデン・シロップ1tsp、パウダーシュガー1tspをシェイクする。
ビターな蒸留酒とフルーツのハーモニーが、巨大都市の夜の彩を感じさせて、映画の華やかさを更に盛り上げてくれるだろう。
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観たくても劇場の窓口でこのタイトルが言えずに、モジモジしているシャイな男性が結構いそうな気がする。
この夏、世界中の女性たちを熱狂させている「セックス・アンド・ザ・シティ」は、1998年から2004年にかけて放送された、4人のニューヨーカー女性を描いたテレビドラマのザ・ムービーだ。
初めに言っておくと、私はテレビ版を観た事が無い。
筋書きも雑誌の記事などで何となく知っいてる程度だ。
だが、そんな私が観ても、4人の主人公のキャラクターはわかりやすく説明され、それぞれの置かれたシチュエーションも自然に紹介されているので、若干の脳内補完だけで十分ついて行く事が出来た。
キャリー・ブラッドショー(サラ・ジェシカ・ハーパー)は、ニューヨーク在住の人気コラムニスト。
恋人のMr.ビッグ(クリス・ノース)と新しい家への引越しを控えた彼女は、思いもかけぬプロポーズを受ける。
長年の親友のミランダ(シンシア・ニクソン)、シャーロット(クリスティン・ディビス)、サマンサ(キム・キャトラル)も祝福してくれて、キャリーの気分も段々と盛り上がってくる。
最初はジミ婚にしようとしていたものの、婚約が新聞記事になったり、雑誌社が彼女のウエディングで特集記事を作るという事になったり、段々と大事に。
これが三度目の結婚であるMr.ビッグは、その盛り上がりに腰が引けてしまう。
結婚当日、式場に到着したキャリーだったが、そこに花婿の姿は無かった・・・
ちょっと雰囲気的に「プラダを着た悪魔」の年長版という感じもある。
ビジュアルイメージが似ているなあと思ったら、両方で重要な要素となるコスチュームデザインの担当がどちらもパトリシア・フィールドだった。
ファッションがそれほど前面に出るくらいだから、あとは恋にバカンスに結婚と、完全に女性向けの映画だが、別に男が観てもイケナイ訳ではないし、実際結構面白く観る事が出来た。
主人公となるのは今40代の4人の女性。
彼女たちは20代の頃に、「ブランドと恋」を求めてニューヨークにやって来て知り合い、以来無二の親友となって、人生の喜びも悲しみも分かち合ってきた仲。
その中でも、ドラマの中心となるのはコラムニストのキャリーだ。
「セックス・アンド・ザ・シティ」というのは、どうやら彼女が女性たちの本音を赤裸々に綴った著作という設定らしく、つまりは本作のストーリーテラーの役割も持つ。
リアリストのセレブで靴フェチでハイテク嫌い、お金持ちの優しい彼氏がいて、恋には夢も希望も失っていない。
たぶん、同世代独身女性の理想を体現しているキャラクターなのではないだろうか。
キャリーを含めた4人のキャラクターは、色々な意味で明確に個性が付けられ、性格や人生観、実際におかれたシチュエーションもバラバラだ。
性にワイルドで、狙った男は落とさずにはいられない、セックス依存症(?)のサマンサ。
多忙な弁護士である一方、アルツハイマーの義母の世話や、幼い子供の母親としての日常にも追われているミランダ。
健康オタクで不潔なものが嫌いで、やや天然の性格なのは、ただ一人専業主婦であるシャーロット。
世の女性たちは、この異なった性格、人生のステージを生きる4人の中の誰かに自分を重ね、たっぷりと感情移入してこのドラマを観るのだという。
なるほどね。
彼女らのキャラクターは、ある程度わかりやすくするためにステロタイプ的にカリカチュアされているものの、たいていの人が似た部分を見つけられる様に設定されている。
演じる俳優たちも、テレビシリーズを知らない私が観ても、長年役と共に生きてきた一体感のようなものが感じられて、十分に魅力的だ。
映画版にはもう一人、セントルイスからニューヨークにやって来た「セント・ルイーズ」というキャリーの歳若き新たな「友達」を、あの「ドリーム・ガールズ」のジェニファー・ハドソンが演じ、強い存在感を感じさせる。
やはりこの人は只者ではない。
私はなんとなく、観客の女性たちの多くは、どちらかというとこのルイーズのような視点、つまり4人に自分をある程度重ねると同時に、憧れの友達を見るような感じでこの作品に浸っているのではないかと思った。
何しろ、色々問題は出てくるものの、キャリーたちは言わば人生の勝ち組だ。
彼女たちは皆、少なくとも経済的には満ち足りていて、それぞれのやり方で彼女たちを心から愛してくれる、優しい男たちに囲まれている幸せ者なのだ。
その意味で、センセーションを感じさせるタイトルとは対照的に、物語そのものは保守的とも言える定番の展開で、それ自体に新しさは特に感じない。
もっとも、40代女性が本音で語る恋愛物という作品コンセプトに忠実であろうとすると、たぶんそんなに奇を衒う必要はないのだろう。
感情移入できる恋愛なんて、それ自体が特別である必要はどこにも無い。
実際この作品の物語はベタベタではあるものの、2時間半近い長尺を飽きさせず、男が観てもそれなりに共感できる物だった。
それにしても、本作の場合完全にサブである4人の夫や彼氏たちの良い人っぷりはどうだ。
Mr.ビッグの敵前逃亡はさすがにどうかと思うが、一回の浮気を馬鹿正直に告白して半年間も謝り続けるミランダの夫スティーブや、年上の彼女のわがままを優しく受け止めるサマンサの彼氏のスミスの人間的なことと言ったら、男として泣けてくる。
主人公の4人が、この世代の女性がこうありたいと思う存在だとしたら、男性キャラクターたちも、こんな彼氏がいたらなあという理想の姿なのかもしれない。
しかし、これだけ女性のハートを踊らす作品が、男性クリエイターによって作られているのは面白い。
テレビシリーズから続投の監督・脚本のマイケル・パトリック・キングとプロデューサーのダーレン・スターには、是非女心を掴むコツを聞いてみたいものである。
今回はその名も「ニューヨーク」というカクテルを。
バーボン45ml、ライムジュース15ml、グレナデン・シロップ1tsp、パウダーシュガー1tspをシェイクする。
ビターな蒸留酒とフルーツのハーモニーが、巨大都市の夜の彩を感じさせて、映画の華やかさを更に盛り上げてくれるだろう。
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2008年09月05日 (金) | 編集 |
夏の終わりに、祭りの季節を笑いで〆たくなるのは洋の東西を問わない欲求らしい。
日本の夏のトリを飾ったのがクラウザーさんなら、全米のサマーシーズンで圧倒的な強さを誇った「ダークナイト」の5週連続1位を阻んだのが、ベン・スティラー主演の「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」だ。
少々濃すぎるキャラクターのためか、日本ではイマイチ人気が無かったスティラーだが、前作の「ナイトミュージアム」がヒットして、段々と認知度も上がってきた。
今回、自ら監督・脚本も兼ねて作り出したのは、ベトナム戦争映画のパロディであり、またハリウッドの楽屋落ちネタ満載の、正に抱腹絶倒の笑いの爆弾だ。
なんと「太陽の帝国」に出演した時に思いついて以来、構想二十年の念願の企画だそうである。
落ち目のアクションスター、ダグ・スピードマン(ベン・スティラー)は、フォー・リーフ・ティバック(ニック・ノルティ)と呼ばれるベトナム帰還兵の書いたノンフィクション作品の映画化を撮影中。
しかし監督のダミアン・コックバーン(スティーブ・クーガン)は、超個性的な俳優たちを纏め切れず、撮影中のアクシデントで大幅な予算超過もあって、現場は空中分解寸前。
ティバックの提案で、コックバーンはダグら五人の俳優をヘリコプターでジャングルに連れ出し、隠しカメラでドキュメンタリー風にゲリラ撮影しようとするのだが、実はそこは麻薬組織のゲリラが出没する本物の戦場だった・・・
最近はすっかりイラク戦争物にお株を奪われた感があるが、ベトナム戦争映画は、7〜80年代のハリウッド映画の定番の一つであり、「ディア・ハンター」や「地獄の黙示録」「プラトーン」「フルメタル・ジャケット」など、映画史に残る傑作が綺羅星のごとく並ぶ。
この作品は、そんなベトナム戦争物を制作しているハリウッドの舞台裏をモチーフにしたパロディ映画の一種だが、それだけではない。
映画のはずがいつの間にか本物に、というこれまたハリウッドコメディの定番設定を組み合わせる事で、映画制作の舞台裏をギャグのネタとして取り込み、現実とフィクションの垣根を取り払った、ある意味でかなり自虐的な要素を含む新しい笑いを生み出している。
とにかく全編に仕掛けられたギミックが満載で、まずは本編が始まるまでに仕掛けがある。
妙に予告編が長いなあと思ったら、この作品のキャラクターを使ったフェイクの予告編が流されているではないか。
しかもこれが、本編に出演していない大物俳優まで使った凝りに凝った物で、一見すると普通の映画の予告と勘違いしそうになる。
もちろんこの予告編集も、本編の複線になっているので、ボーっとして見逃さない様に。
1本のフェイクCMと3本のフェイク予告という前フリが終わって、ようやく「地獄の黙示録」と「プラトーン」を合わせたような、「トロピック・サンダー」の幕が開く。
本作の主人公、ダグ・スピードマンはアクション映画「スコーチャー」で人気者になった俳優だが、演技派に転進を狙って知的障害者を演じた「シンプル・ジャック」が大不評で、一気に世間の笑いものになってしまう。
そして起死回生の一発を狙って出演しているのがベトナム戦争映画の「トロピック・サンダー」という訳だ。
彼の共演者は、ジャック・ブラック演じる、超お下品な下ネタコメディアンのジェフ・ポートノイや、ロバート・ダウニーJr.演じる、アカデミー賞を五回も受賞した名優カーク・ラザラスなど一癖も二癖もある連中。
この豪華な面々が、映画の撮影だと思って、いつの間にかゲリラ相手の本物の戦争に巻き込まれていくというのが本作の骨子だが、この作品には他にも多くの有名人が俳優として、あるいは本人として登場しており、正にオールスターキャストと言って良い。
面白いのはスティラー、ブラックらコメディ系が一目で本人とわかるキャラクターに配されているのに対して、ダウニーJr.やトム・クルーズらシリアス系(?)の俳優はぱっと見一体どこに出ているのか判らない様になっている。
メガヒットの「アイアンマン」に続いて本作と、珍しく純娯楽映画に続けて出演のダウニーJr.は、白人なのに皮膚手術を受けてまで黒人を演じるというエキセントリックなやり過ぎ演技派俳優を演じて、強烈なインパクトを与える。
しかし、エンドクレジット観るまで、本当にどこに出ているのかわからないトム・クルーズの化けっぷりは更にその上を行く笑撃さで、ファンにはショックかもしれないが、ある意味これは彼の新たな魅力を引き出したのかも・・・
超オバカな芸能エージェントを演じるマシュー・マコノヒーを含め、「え?この人こういうキャラだっけ・・・」という様な役柄をあえてやらせて、本人とのギャップを楽しもうという志向で、さすがベン・スティラー監督は俳優のいじり方をよくわかっている。
元々彼は「リアリティ・バイツ」などで、監督として先に頭角を現した人で、この作品では最初から最後まで錚々たるメンバーをいじり倒し、演出家としてもノリノリの悪ノリっぷりを見せる。
たぶん、本人もやっていて凄く楽しかったのではないだろうか。
「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」は、言わばシェフが自らを料理してメインディッシュとして皿に盛り付けてしまった様な、過激な創作料理。
このハイテンションにはっちゃけたコメディは、なかなか日本人には真似できない世界で、人によってはしつこく感じてしまうかもしれない。
しかし1時間47分の間、文字通り熱帯の雷のごとく押し寄せる笑いの絨毯爆撃は、文句なしに腸がねじ切れる可笑しさで、コテコテのアメリカンギャグでお腹いっぱいにしてくれる。
ハリウッドの楽屋落ちネタ満載も楽しく、ある種の祭り気分で観に行くにはピッタリだろう。
ただ残念なのは11月という日本公開時期。
ノリ的には完全な夏のバケーション映画で、11月という季節とはイメージ的に最もかけ離れた作品なのは間違いなく、出来れば日本でも夏に同時公開して欲しかった。
映画にも旬というものがあると思うのだけど。
今回は悪乗りついでに、インパクトのあるネーミング世界一の「セックス・オン・ザ・ビーチ」をチョイス。
本作で新境地に達した(?)トム・クルーズ主演の「カクテル」で有名になったカクテルだが、ウォッカと果実系リキュールを複数組み合わせた味わいは正に甘〜いロマンスの味。
ウォッカ20ml、メロンリキュール20ml、クレーム・ド・フランボワーズ10ml、パインジュース80mlをステアする。
名前ほど過激さは無く、飲みやすいデザートカクテルだ。
映画が濃いので、鑑賞後はこのぐらいで良かろう。
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日本の夏のトリを飾ったのがクラウザーさんなら、全米のサマーシーズンで圧倒的な強さを誇った「ダークナイト」の5週連続1位を阻んだのが、ベン・スティラー主演の「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」だ。
少々濃すぎるキャラクターのためか、日本ではイマイチ人気が無かったスティラーだが、前作の「ナイトミュージアム」がヒットして、段々と認知度も上がってきた。
今回、自ら監督・脚本も兼ねて作り出したのは、ベトナム戦争映画のパロディであり、またハリウッドの楽屋落ちネタ満載の、正に抱腹絶倒の笑いの爆弾だ。
なんと「太陽の帝国」に出演した時に思いついて以来、構想二十年の念願の企画だそうである。
落ち目のアクションスター、ダグ・スピードマン(ベン・スティラー)は、フォー・リーフ・ティバック(ニック・ノルティ)と呼ばれるベトナム帰還兵の書いたノンフィクション作品の映画化を撮影中。
しかし監督のダミアン・コックバーン(スティーブ・クーガン)は、超個性的な俳優たちを纏め切れず、撮影中のアクシデントで大幅な予算超過もあって、現場は空中分解寸前。
ティバックの提案で、コックバーンはダグら五人の俳優をヘリコプターでジャングルに連れ出し、隠しカメラでドキュメンタリー風にゲリラ撮影しようとするのだが、実はそこは麻薬組織のゲリラが出没する本物の戦場だった・・・
最近はすっかりイラク戦争物にお株を奪われた感があるが、ベトナム戦争映画は、7〜80年代のハリウッド映画の定番の一つであり、「ディア・ハンター」や「地獄の黙示録」「プラトーン」「フルメタル・ジャケット」など、映画史に残る傑作が綺羅星のごとく並ぶ。
この作品は、そんなベトナム戦争物を制作しているハリウッドの舞台裏をモチーフにしたパロディ映画の一種だが、それだけではない。
映画のはずがいつの間にか本物に、というこれまたハリウッドコメディの定番設定を組み合わせる事で、映画制作の舞台裏をギャグのネタとして取り込み、現実とフィクションの垣根を取り払った、ある意味でかなり自虐的な要素を含む新しい笑いを生み出している。
とにかく全編に仕掛けられたギミックが満載で、まずは本編が始まるまでに仕掛けがある。
妙に予告編が長いなあと思ったら、この作品のキャラクターを使ったフェイクの予告編が流されているではないか。
しかもこれが、本編に出演していない大物俳優まで使った凝りに凝った物で、一見すると普通の映画の予告と勘違いしそうになる。
もちろんこの予告編集も、本編の複線になっているので、ボーっとして見逃さない様に。
1本のフェイクCMと3本のフェイク予告という前フリが終わって、ようやく「地獄の黙示録」と「プラトーン」を合わせたような、「トロピック・サンダー」の幕が開く。
本作の主人公、ダグ・スピードマンはアクション映画「スコーチャー」で人気者になった俳優だが、演技派に転進を狙って知的障害者を演じた「シンプル・ジャック」が大不評で、一気に世間の笑いものになってしまう。
そして起死回生の一発を狙って出演しているのがベトナム戦争映画の「トロピック・サンダー」という訳だ。
彼の共演者は、ジャック・ブラック演じる、超お下品な下ネタコメディアンのジェフ・ポートノイや、ロバート・ダウニーJr.演じる、アカデミー賞を五回も受賞した名優カーク・ラザラスなど一癖も二癖もある連中。
この豪華な面々が、映画の撮影だと思って、いつの間にかゲリラ相手の本物の戦争に巻き込まれていくというのが本作の骨子だが、この作品には他にも多くの有名人が俳優として、あるいは本人として登場しており、正にオールスターキャストと言って良い。
面白いのはスティラー、ブラックらコメディ系が一目で本人とわかるキャラクターに配されているのに対して、ダウニーJr.やトム・クルーズらシリアス系(?)の俳優はぱっと見一体どこに出ているのか判らない様になっている。
メガヒットの「アイアンマン」に続いて本作と、珍しく純娯楽映画に続けて出演のダウニーJr.は、白人なのに皮膚手術を受けてまで黒人を演じるというエキセントリックなやり過ぎ演技派俳優を演じて、強烈なインパクトを与える。
しかし、エンドクレジット観るまで、本当にどこに出ているのかわからないトム・クルーズの化けっぷりは更にその上を行く笑撃さで、ファンにはショックかもしれないが、ある意味これは彼の新たな魅力を引き出したのかも・・・
超オバカな芸能エージェントを演じるマシュー・マコノヒーを含め、「え?この人こういうキャラだっけ・・・」という様な役柄をあえてやらせて、本人とのギャップを楽しもうという志向で、さすがベン・スティラー監督は俳優のいじり方をよくわかっている。
元々彼は「リアリティ・バイツ」などで、監督として先に頭角を現した人で、この作品では最初から最後まで錚々たるメンバーをいじり倒し、演出家としてもノリノリの悪ノリっぷりを見せる。
たぶん、本人もやっていて凄く楽しかったのではないだろうか。
「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」は、言わばシェフが自らを料理してメインディッシュとして皿に盛り付けてしまった様な、過激な創作料理。
このハイテンションにはっちゃけたコメディは、なかなか日本人には真似できない世界で、人によってはしつこく感じてしまうかもしれない。
しかし1時間47分の間、文字通り熱帯の雷のごとく押し寄せる笑いの絨毯爆撃は、文句なしに腸がねじ切れる可笑しさで、コテコテのアメリカンギャグでお腹いっぱいにしてくれる。
ハリウッドの楽屋落ちネタ満載も楽しく、ある種の祭り気分で観に行くにはピッタリだろう。
ただ残念なのは11月という日本公開時期。
ノリ的には完全な夏のバケーション映画で、11月という季節とはイメージ的に最もかけ離れた作品なのは間違いなく、出来れば日本でも夏に同時公開して欲しかった。
映画にも旬というものがあると思うのだけど。
今回は悪乗りついでに、インパクトのあるネーミング世界一の「セックス・オン・ザ・ビーチ」をチョイス。
本作で新境地に達した(?)トム・クルーズ主演の「カクテル」で有名になったカクテルだが、ウォッカと果実系リキュールを複数組み合わせた味わいは正に甘〜いロマンスの味。
ウォッカ20ml、メロンリキュール20ml、クレーム・ド・フランボワーズ10ml、パインジュース80mlをステアする。
名前ほど過激さは無く、飲みやすいデザートカクテルだ。
映画が濃いので、鑑賞後はこのぐらいで良かろう。
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