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ショートレビュー「ダンボ・・・・・評価額1550円」
2019年04月03日 (水) | 編集 |
ママの元へ、飛ぶ!

私にとって、ダンボは幼い頃一番最初に知り、一番好きだったディズニーキャラクターだ。
当時はビデオテープなんて便利なものは無かった時代なので、本作の元となったオリジナルのアニメーション映画を観たのはずっと後。
家にあった絵本と、アメリカに留学していた親戚から、お土産にもらった大きなぬいぐるみが全てだった。
ずっと“友だち”だったぬいぐるみは、ボロボロになっていつの間にか消えていたのだが、おそらく汚いので親が捨てたのだと思う。
彼がいなくなったことに気づいた時は、悲しかったな。

思い出のダンボが、ティム・バートンによってリメイクされる。
バートンは元ディズニーのアニメーターだし、すでに「不思議の国のアリス」を「アリス・イン・ワンダーランド」として興行的成功に導いた実績もあり、何よりもダンボは彼が愛して止まない“奇形”の子象だ。
リメイクを担当する監督として、誰もが適任者として思い当たる人物だろうが、果たしてその仕上がりは。

第二次世界大戦中の、1941年に作られたアニメーション版は、上映時間64分。
コウノトリに届けられた異様に巨大な耳を持つ子象は、他の象たちから「ダンボ(間抜け)」とあだ名されバカにされる。
唯一ママのジャンボだけは我が子を愛するが、ダンボを守って暴れたために隔離されてしまう。
しかし、大きな耳が持つ可能性に気づいたネズミのティモシーに導かれ、空を飛べる様になったダンボは、一躍サーカスのスターとなり、ママとの再会を果たす。
112分と大幅に尺の長いバートン版だと、ここまでの話は前半のみで終了。
後半は全く新しいエピソードとなり、実写リメイクでありながら、同時に続編でもあるという変則的な作品になっている。

アニメーション版との一番の違いは、動物たちが擬人化されてないことと、人間側にもきちんとした物語があること。
舞台に設定されているのは、全世界で数千万人の命を奪ったスペイン風邪が猛威を振るい、第一次世界大戦が集結した直後の1919年。
かつてサーカスの花形スターだったが、戦争で片腕を失った復員兵のホルトと、母をスペイン風邪で亡くした彼の二人の子供たちが、不思議な耳を持つ子象と運命的に出会う。
ダンボが愛するママと引き離される物語に、最愛のママを病気で亡くした子供たちの喪失が重なり、戦争で片手を失ったパパの境遇が、共に“普通でない姿”を持つ者としてリンクする仕組み。

最初に映し出された時には、生っぽくてちょっと不気味なダンボが、話が進むにつれてどんどん可愛く見えてくるのは、さすが奇形偏愛のバートン演出。
冒頭の懐かしいマップアニメーションから、ダンボを飛ばす魔法の羽、役割は変わっているもののコウノトリやティモシーも出てくるし、あの悪夢的なピンクの象まで再現されているじゃないか!
まあ今見ると、「ドラッグでも決めて幻覚の中でコンテ書いたんじゃなの?」ってサイケっぷりは、だいぶ抑え気味だけど。
バートン的には、かつて自分をクビにした古巣ディズニーへの意趣返しも入ってるのか、後半はウォルトのパチモンみたいな、怪しさ満点のマイケル・キートンの娯楽王相手にやりたい放題だ。
金になるダンボ欲しさに、サーカス団丸ごと買収して直ぐに団員解雇って、つい先日20世紀FOX相手に同じことしてたような(苦笑

もっとも、この新しい後半部分によって、本作は完全に人間の物語となっており、そこは評価が分かれると思う。
本来ホルト親子はダンボの感情の代弁者の役割なのだが、後半になると主客転倒してダンボが脇役になってしまった。
一応、アニメーション版の要素をほとんど全部詰め込んでリスペクトした上で、やりたいことをやってはいるのだが、前半が比較的忠実なだけに、バートンの作家性が全開となる後半は、「これがダンボだって?」と違和感を感じる向きもあるだろう。
個人的には、肝心のダンボのキャラクターがブレてないので、これはこれで良しとしたい。
これまでの正統派のディズニー実写リメイク作品群とはだいぶ趣は異なるが、ダンボもバートンも好きな私としては、「ダンボ」ミーツ「ビートルジュース」の闇鍋的怪作として楽しめた。

今回はピンクの象のラベルで知られるベルギーを代表するビールの一つ、「デリリュウム トレメンス」をチョイス。
アルコール度は8.5%と高く、飲みごたえのあるパワフルなフルボディ。
フルーティな香り高く、ほのかな甘みと苦味と酸味のバランス良し。
ボトルのデザインはかわいいが、デリリュウム トレメンスとはオランダ語で「アルコール中毒の震え」を意味し、飲みすぎるとボトルに描かれている動物たちの幻覚を見るという。
て言うか、アニメーション版の悪夢のシーンの元ネタは、もしかしてこのビールなのか?

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ブラック・クランズマン・・・・・評価額1750円
2019年03月29日 (金) | 編集 |
笑いと怒りのアメリカ史。

これは強烈にアツイ映画だ。
1970年代のアメリカで、白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)に潜入捜査する黒人刑事の物語。
もちろん、KKKのメンバーと顔を合わせたら黒人なのがバレちゃうので、電話で話すのはジョン・デヴィッド・ワシントンが怪演する黒人刑事のロン、実際に会いに行くのはアダム・ドライバー演じる相方のフリップ。
色々盛ってはあるものの、この二人一役のチームプレイが実際にあったことというのだから驚きだ。
シチュエーションコメディ的なライトな語り口から始まって、最終的に怒りが煮えたぎるヘビーなところに着地するのは、いかにもスパイク・リーらしいラジカルさ。
主人公のモデルであるロン・ストールワースの著作「BlacK Klansman」を元に、映画版ではスペースに「K」を一つ足して「BlacKkKlansman」とする遊び心。
本年度アカデミー賞で、スパイク・リーに初の栄冠(脚色賞)をもたらした話題作だ。
※核心部分に触れています。

1979年。
コロラドスプリングス警察に、初のアフリカ系警察官として採用されたロン・ストールワース(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は、新聞に掲載されたKKK支部のメンバー募集広告を見て、白人になりすまして電話。
自分が、あらゆる有色人種やユダヤ人に憎悪を募らせる白人だと、KKKに信じ込ませることに成功する。
もっとも、ロンが実際に彼らに接触するわけにはいかないので、同僚のユダヤ人刑事のフリップ(アダム・ドライバー)が彼になりすまして組織に潜入することに。
二人のコンビネーションは予想外に上手くいき、支部長の信頼を得たばかりか、KKK全国組織の最高幹部デヴィッド・デューク(トファー・グレイス)へのコンタクトにも成功。
しかし、ロンへ疑いを抱く支部の過激派フェリックス(ヤスペル・ペーコネン)は、新会員の入会儀式の日、ある計画を決行することを決める・・・・


映画の冒頭、突然「風と共に去りぬ」の一シーンが映し出される。
スカーレット・オハラが、産気づいたメラニーのためにミード医師を探しに広場に行くが、カメラが引くとそこには数百、数千の負傷した南軍兵士が横たわり、ボロボロになったアメリカ連合国旗がはためいている。
南部連合国の運命が、必敗であることを象徴的に描写したシーンだ。
続いてアレック・ボールドウィン演じる、レイシストのDr.ケネビュー・ボーリガードが登場し、1957年にアーカンソーのリトルロック・セントラル高校への黒人学生の入校を実現させるために、連邦軍が投入された事件を引き合いに出して、戦いはまだ続いていると言う。
そして彼の背後のスクリーンに映し出されるのが、1915年に制作されたアメリカ最初の長編劇映画にして、KKKの勃興を描いたD・W・グリフィス監督の「國民の創生」なのである。

この「風と共に去りぬ」と「國民の創生」と言う、アメリア映画史に欠かすことのできない二本の超大作を、一見ドキュメンタリー風に現れるも、実は架空の人物であるDr.ボーリガードにブリッジさせると言う特異なオープニングが、本作のスタンスを端的に明示している。
二本の作品が映画史上屈指の名作であり、重要なマイルストーンなのは疑いようが無いが、南部の歴史を懐古的ロマンチシズムに包んで描き、結果的に現実と虚構の区別がつかない一部の人々の差別心を焚きつけたのもまた事実。
アメリカにおける差別の歴史には、映画が少なからず影響しており、ハリウッドもその過去史の責任から逃れることは出来ないのである。
とりわけ「國民の創生」は、トーマス・ディクスンの小説「クランズマン(The Clansman)」が原作なので、タイトル含めて全面対決の様相だ。
この作品に関しては、2016年にネイト・パーカー監督により同じタイトルで黒人視点で描かれた歴史ドラマ「バース・オブ・ネイション」が作られたが、パーカーの不祥事で興行的に失速し、日本公開が中止となってしまったのも記憶に新しい。

KKKの始まりは、南北戦争終戦直後の1860年代に遡る。
最初は南部の退役軍人の交流会のような存在として誕生したものの、勢力の拡大と共に過激化し、解放されたばかりの黒人を標的に、数々の暴力的なテロ事件を起こすようになる。
1870年代に入ると、見かねた連邦政府により相次いで摘発され、急速に衰退し忘れられてゆく。
ところが、それから40年も経った20世紀になって、前世紀の遺物であったKKKは突如復活する。
神のお告げを聞いたとする、伝道師のウイリアム・ジョセフ・シモンズによって「風と共に去りぬ」の舞台でもあるジョージア州で再結成されたKKKは、アングロサクソン系プロテスタントの白人のみが神に選ばれた民族だと主張。
有色人種、異教徒に対して非道な迫害を行ない、最盛期の20年代には実に600万人もの会員を擁する一大勢力となる。
その第二の隆盛の切っ掛けとなったのが、再結成と同じ年に封切られた「國民の創生」の大ヒットであり、本作ではKKKを蘇らせた「主犯」として名指している。
これほど明確にハリウッドに喧嘩売ってるのに、ちゃんと評価されてアカデミー賞とれるんだから、やはりアメリカは懐が深い。

20世紀のKKKは、黒人だけでなく、自分たちの属する集団(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)以外は全部敵!と言う考え方だから、本作には対黒人だけでなく、様々な差別が描かれる。
例えばユダヤ人に対する敵意を募らせるフェリックスは、潜入してきたフリップを疑い、彼の下半身を執拗に見ようとする。
彼がユダヤ人ならば割礼の痕跡があるはずだと言う訳だが、これはナチスがユダヤ人を見分けるためにやっていたことと同じ。
また女性も男性と同等とはみなしていなかった。
本作でもフェリックスの妻が夫たちに認められようと、過激な主張をしてドン引きされるシーンがある。
面白いのが、彼らの考える「白人の優位性」が、総じて根拠が薄いものだと言うこと。
象徴的に扱われているのが、今日ではイヴォニクスなどと呼ばれる黒人英語だ。
独特の黒人英語は方言の一種みたいなもので、白人でも練習すれば話せるし、全ての黒人が黒人英語の話者という訳でもないのだが、KKKの男たちはロンが白人的イントネーションで話しただけで、彼が白人だと信じ込んでしまう。
KKKが拠り所にしているのは、その程度の曖昧な概念なのである。

だが、それでも異様な思い込みから来る狂気は、いつの時代もなくならない。
ロンは警察官を志すくらいだから、社会の良心みたいなものをどこかで信じていて、公民権運動の活動家でガールフレンドのローラからも白人の上司からも、お前が考えている以上に社会は恐ろしいんだぞと警告される描写がある。
70年代のKKKは確かに弱体化していて、ロンに手玉に取られるくらいメンバーも間抜けだが、恐怖と暴力の遺伝子は受け継がれてゆく。
映画の終盤、KKKの仰々しい入団式の様子と、ハリー・ベラフォンテ演じる老人が、昔話を若者たちに語って聞かせるのを、クロスカッティングで描いたシークエンスは本作の白眉。
ベラフォンテが語っているのは、1916年にテキサス州ウェイコで起こった、ジェシー・ワシントンの凄惨なリンチ殺人事件である。
殺人の嫌疑をかけられた17歳の哀れな少年は、白人の群衆によって生きたまま焼かれ、体のあちこちを切り取られ、無残な死体の写真はポストカードになった。
これがまさにKKKが復活し、「國民の創生」が大ヒットした翌年に起こったことなのだ。

スパイク・リーは、「黒いジャガー」などの、購買力を増した黒人層を狙った当時のブラックスプロイテーションを引き合いに出し、虚構と現実を対比させながら、映画より嘘くさい物語を時に軽妙に、時に重厚に紡いでゆく。
そして、フィクションの爆弾事件で物語にケリがつくと、映画は突然21世紀の現実を映し出す。
トランプ政権一年目の2017年、ヴァージニア州シャーロッツビルで、南部連合国のロバート・E・リー将軍の像の撤去計画に反対する、KKKをはじめとする白人至上主義者の集会が開かれた。
集会に抗議する人々の中に、白人至上主義者が暴走させた車が突っ込み、参加者のヘザー・D・ハイヤーさんを轢き殺したのだ。
誰が暴力を振るったのかは明確にも関わらず、あろうことかトランプ大統領はどちらの側にも非があるとするコメントを出して、大いに非難を浴びた。
この日の集会には、デヴィッド・デュークも参加していたのだが、一見物腰柔らかいKKKの若きボスのスローガンが、後々トランプ陣営の選挙公約となる「アメリカ・ファースト」だったり、スパイク・リーは過去を笑い、現在に怒り、二つの時代を完全に地続きとして強烈な批判を叩きつける。
彼の表現者としてのエネルギーは、若い頃よりも増しているではないか。
しかし、本作がアカデミー作品賞を取れなかったのは、劇映画の枠組みから逸脱してまで徹底的に言いたいことを言う、プロパガンダと捉えられることも厭わない、熱血なスタイルも影響したのだろう。
同じく人種差別と社会分断を扱っても、あくまでも上品にフォーマットを崩さない「グリーン・ブック」とは色々な意味で対照的。
どちらも素晴らしい作品で、甲乙はつけ難く、両方観て考えるのが正解だ。

今回は黒人刑事の潜入捜査の物語なので、黒いカクテル「トロイの木馬」をチョイス。
よく冷やしたギネスビールに、同じく冷やしたコカコーラをそれぞれ1:1で静かに割り入れる。
ギネスもコーラも同じ黒で、一見すると混じり合っているのは分からないことから、ギネス社が「トロイの木馬」と命名したギネス公式ビアカクテル。
素材と器を冷やしておくことが大切で、これを怠ると過度に泡立ってしまう。
ギネスのコクと香りに、コーラの甘みがうまくバランスして、とても美味しいカクテルだ。

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バンブルビー・・・・・評価額1650円
2019年03月25日 (月) | 編集 |
宇宙から来た、秘密の友だち。

記憶を失ったトランスフォーマーと、最愛の父を亡くした孤独な少女の、出会いと別れの物語。
マイケル・ベイ監督により、2007年からの10年間で5作が作られた「トランスフォーマー」シリーズ最新作。
しかし本作は続き物ではなく、金属生命体オートボッツとディセプティコンの戦争に地球が巻き込まれる以前、1980年代を舞台とした前日譚だ。
最初に地球にやって来るのは、オートボッツ軍団の三枚目、バンブルビーだが、ディセプティコンとの戦いで声と記憶を失ってしまう。
ひょんなことから彼と巡り合い、種族を超えた“友だち”となってゆく少女チャーリーに、若き演技派ヘイリー・スタインフェルド。
メガホンを受け継いだのは、世界最高峰のストップモーション・アニメーション・スタジオ、ライカのアニメーター兼CEOであり、「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」の監督として知られるトラヴィス・ナイトで、本作が実写デビュー作となった。
いい意味でシンプルな優しい物語なので、間口が低くて広く年少の観客や一見さんでも十分楽しめる。

1987年の夏、サンフランシスコ近郊のブライトン・フォールズ。
高校生のチャーリー(ヘイリー・スタインフェルド)は、最愛の父を亡くし、形見であるC1型シボレー・コルベットのレストアを自分で完成させようと悪戦苦闘中。
ある日、整備工場でパーツを探していた彼女は、放置されたボロボロの黄色のビートルを見つけ、当面の足にしようとするのだが、ガレージの中でビートルは突然ロボットの姿にトランスフォーム。
驚くチャーリーの前で怯えた仕草をするロボットは、自分の記憶をすっかり無くしていた。
呻り声が蜂の羽音に似ていたことから、ロボットに「バンブルビー(マルハナバチ)」と名をつけたチャーリーは、彼を周囲から匿うことにする。
だが、バンブルビーの発した僅かな信号を、敵対するディセプティコンが感知。
彼らはオートボッツの司令官オプティマスプライムの居場所を探すために、部下のバンブルビーを追っていたのだ。
何も知らないチャーリーとバンブルビーに危機が迫っていた・・・


一連のマイケル・ベイ作品は、最初の三部作はまずまず楽しめたものの、その後の二本はぶっちゃけ出涸らしみたいな話で、マンネリ化が激しかった。
最後の「トランスフォーマー/最後の騎士王」ではアーサー王伝説まで引っ張り出して来たが、話が無駄に複雑化しただけで、やっていることは変わらず。
観てから2年しか経っていないのに、もう殆ど内容を覚えていない。
賞味期限切れのシリーズを、大胆にリニューアルしたのが本作なのだが、ここまでテイストを変えてくるとは思わなかった。
世界観とキャラクターは受け継いでいるが、これはもう全くの別物と言っていい。

日本発のロボット玩具に、アメリカのハズブロ社が新たに設定を加え「トランスフォーマー」として売り出したのが1984年。
同年にはマーベルからコミック化、TVアニメーション版も作られ、86年にはその劇場版も作られた。
本作の舞台となる1987年は、現在に続く大ヒット玩具となった「トランスフォーマー」の第一次ブームの時代であり、原点なのである。

そして1973年生まれのトラヴィス・ナイト監督にとって、1987年はまさに感受性MAXの「厨二」の時だ。
この時代の映画といえば、本作のエグゼクティブ・プロデューサーにも名を連ねる、スティーブン・スピルバーグの全盛期。
サバーブに暮らす心に傷を負った少年少女たちが、異世界からやって来た“友だち”との冒険によって成長するのは、もろに由緒正しいスピルバーグ映画のスタイル
エンドクレジットでチャーリーとバンブルビーの指先が触れ合うのは「E.T.」オマージュだし、「未知との遭遇」「グーニーズ」「グレムリン」など、数多の作品のイメージが頭を過る。
また、ちょっと甘酸っぱい青春映画の側面も持つ本作は、この時代に大人気だったブラット ・パック映画の名手、ジョン・ヒューズの「ブレックファスト・クラブ」へのリスペクトも熱い。
そう言えばこの映画は「パワー・レンジャー」や「スパイダーマン:ホーム・カミング」でもオマージュを捧げられていたが、スクールカーストでジョッグとクイーン・ビーの対極にいると思われるナードなSF系監督たちには、特に思い入れの強い作品なのかも。
チャーリーの相方で「僕はナードじゃない。ナードじゃない」と自分で言い聞かせるメモは、作り手の自己投影キャラクターだろう。

バンブルビーと言えば、声を持たず、ラジオの音声で意思を伝えるキャラクターだが、今回はなぜそうなったのかの秘密も明かされ、ラジオとカセットから流れる80’sの名曲も聞きどころ。
チャーリーはモータヘッドのTシャツを着てるロック少女だし、ザ・スミスの「Bigmouth Strikes Again」から始まって、ティアーズ・フォー・フィアーズの「Everybody Wants To Rule The World 」や「ブレックファスト・クラブ」の主題歌でもあるシンプル・マイズの「Don't You (Forget About Me)」などのヒット曲の数々が時代色たっぷりに映画を彩る。
当時のアニメーション映画版の挿入歌、「The Touch」をうまい所で使う遊び心も楽しい。
バンブルビーが、チャーリー推薦の楽曲のカセットを、気に入らないとばかりに吹っ飛ばすのには大笑いした。
これはナイトの思い出の詰まったオモチャ箱、愛すべき作家映画であり、あの頃のノスタルジー満載なんだから、おじさん嬉しくなっちゃうよ。

ちなみに劇中でチャーリーがバイトしている遊園地は、サンフランシスコから1時間半ほど南にあるサンタ・クルーズ・ビーチ・ボードウォーク
ここは今でも当時と変わらないレトロなムードを保っているので、ベイエリアに旅行した際はちょっと足を延ばすのに良いスポットだ。

本作でナイトが見せた非凡さは、やはり本職がアニメーターならではの非人間キャラクターの巧みな表現
例によってバンブルビーは声を出せず、チャーリーにラジオを修理してもらうまで、いつものザッピングによる表現もできない。
しかし、クルクルと変わる表情変化や、まるで人間の子供や犬を思わせる繊細な演技によって、感情の機微が伝わってきて非常に愛らしい。
ちょっとデカすぎるけど、車にもなって便利だし、ペットに欲しくなる。
マイケル・ベイ版の「トランスフォーマー」が目指したのが“クールでカッコイイ”だったのに対し、こちらは“可愛くてカッコイイ”になっていて、その分より感情移入を誘う。
主人公が少女であることでも分かるように、基本“男の子のもの”であったキャラクターの訴求力を高め、間口をグッと広げようとしているのは明らかだ。
チャーリーとバンブルビー、両者の友情と成長に的を絞ったプロットも、このシリーズにおいては新しい試みとして成功していると思う。
両者の関係は「E.T.」的でもあり、人間と機械(兵器)の関係性にはブラッド・バード監督の「アイアン・ジャイアント」を思わせる部分もある。
もちろん「トランスフォーマー」のシリーズでもあるので、対ディセプティコンとの激しい戦闘が見せ場になるのは変わらないが、アクション演出もベイほどにはワチャワチャしてない、オーソドックスなスタイルなので、何がどうなってるのかちゃんと見えるのも動体視力が衰えた身にはホッとする。

一方で、チャーリー以外の脇のキャラクター造形が揃ってステロタイプだったり、物語を展開させる役割の軍人や科学者の感情変化の理由が単純過ぎるのもある意味アニメーション的で、実写作品だとご都合主義になりがちな部分。
しかし本作の場合は、その辺りの緩い部分も味わいとばかりに、80年代調のテイストに吸収されているので、作品世界に違和感はほとんど無い。
これは、回を重ねる毎にスケールが巨大化、プロットが複雑化したことで、感情移入を妨げていたベイ版の虚飾を取り払い、あえてダウンサイジングした、少女とロボットによるノスタルジックでエモーショナルなSFアドベンチャー。
等身大のドラマは、過去の「トランスフォーマー」シリーズにはいい加減食傷気味の人や、ライカのアニメーション映画のファンに強くおススメできる秀作に仕上がっている。
本作は単体できちんと完結しているが、2007年に始まったベイ版の一作目の間には20年の間があるから、「X-MEN」方式でここからまた過去を舞台としたシリーズが始まるんだろうか。

今回は、バンブルビーが犬のように可愛いので、ラベルに犬が入った「ラグニタス IPA」をチョイス。
サンフランシスコ近郊で、カリフォルニアワインの産地として知られるソノマ地区でスタートし、近年急成長しているクラフトビール。
IPAの強いホップ感、喉ごし爽やかながらしっかりしたコクがある。
同社のラインナップ特有の、フルーティな香りが華やかだ。
ちなみラグニタスはラベルの通り愛犬家御用達の銘柄として知られ、醸造所にはたくさんの犬たちが飼われているそうな。

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ショートレビュー「サンセット・・・・・評価額1600円」
2019年03月22日 (金) | 編集 |
迷宮のブダペスト。

ナチスの絶滅収容所で、ユダヤ人でありながら収容所の労務作業を担う“ゾンダーコマンド”を描いた異色作、「サウルの息子」で脚光を浴びたハンガリーの異才、ネメシュ・ラースロー監督による大怪作。
舞台となるのは、第一次世界大戦直前のオーストリア・ハンガリー帝国の都市ブダペスト。
二歳の時に両親を亡くし孤児として育てられたイリス・レイターは、嘗て両親が経営していた高級帽子店に職を求めてやって来る。
王侯貴族が出入りする帽子店は、開店30周年記念行事と、皇太子夫妻の来訪の準備で忙しい。
現オーナーのブリルにとって招かれざる客であるイリスは、正式に雇われることはないものの、帽子職人の技術を持っていたため、成り行きで店の手伝いをすることになる。
そこで彼女は、会ったことのない生き別れの兄、カルマンの存在を知り、探し始めるのだ。

ここからの展開は、ラースロー版の「マルホランド・ドライブ」か「アンダー・ザ・シルバーレイク」かという、混沌としたミステリ。
オーストリア・ハンガリー帝国は、もともと多民族の寄り合い所帯。
ブダペストは二重帝国の一方の首都ではあったものの、マジャール人のドイツ系ハプスブルグ家支配に対する反発は根強く、政情不安とともに貴族たちを狙った暴動が頻発。
兄のカルマンも、伯爵を殺したとして逃亡中の身だ。
イリスの前には、ブリルをはじめ、殺された伯爵の未亡人、謎めいたユダヤ人のグループなど、次々と兄と繋がる人たちが現れるが、誰もが何かを隠していて核心はずっとぼやけたまま。
まるで取り憑かれたように、時には危険で無謀な行動をしてまでカルマンを探し求めるイリスは、知らず知らずのうちに、魔都ブダペストのダークサイドに入り込んでしまうのだ。

特徴的なテリングのスタイルは、「サウルの息子」と同じ。
狭いスタンダードサイズだったあの作品ほど極端ではないが、基本的にカメラは終始イリスに張り付いたまま、クローズアップから彼女が見ている対象物を描写する、長回しショットの連続で展開する。
観客の視点は、前作は絶滅収容所に生きるゾンダーコマンド、今回はブダペストに彷徨うイリスと同化し、カメラが捉える視界の外、映らないものへの渇望を募らせる。
この渇望こそが、彼女が兄を求め続ける理由だろう。
高級帽子店は、支配層である貴族階級という虚飾と、庶民である職人や売り子の女性たちという現実が交わる、いわば分断された社会の接点だ。
この店そのものも、深い闇を抱えているのだが、この世界は混沌として、イリスには何が本当なのか、自分は何者なのかも含めて分からない。
世界の縮図としてのブダペスト、そのさらに縮図としての帽子店は、一体どこに繋がっているのか。

21世紀に生きている我々は、映画に登場する帝国の皇太子、フランツ・フェルディナント大公と妻のゾフィーが、まもなくセルビア民族主義者の青年によって暗殺され、ヨーロッパ全体が破滅的な戦争に突入することを知っている。
イリスが感じている漠然とした不安と閉塞の正体は、開かずの扉の向こうにあるまだ見ぬ未来であり、その鍵こそが兄のカルマンなのである。
この兄の存在が、「サウルの息子」の“息子”と重なる。
ゾンダーコマンドのサウルは、ある日死んだ少年の遺体を見て、自分の息子だと確信。
なんとか正式の葬儀をするために、収容所の中を駆けずり回る。
サウルの精神は、異常な日常によって既に崩壊していて、少年の死体は彼の贖罪意識の触媒となる、作劇用語で言う所謂マクガフィン。
その死体が本当に彼の息子だったのか、他の死体を錯覚しただけだったのか、そもそも息子など最初からいなかったのかも知れない。
崩壊してゆく世界を描く本作においても、はたして兄はほんとうに存在していたのだろうか
最終的にイリスが見出したのが、自らの血の中に巣食う暗黒であり、映画の帰結する先がカオスの戦場で細胞の様に無限に増殖する“塹壕”というのが皮肉。
結論をきちんと明示してくれる、分かりやすい映画では無いが、作り手との心理戦を楽しむ様な挑戦的な力作である。

今回はヘビーな142分だったので、スッキリしたピルスナー「ゲッサー」をチョイス。
苦味は適度で、ドライで喉越し爽やか。
こちらは二重帝国のオーストリア産で、500年以上の歴史を持ち、同国でのシェアはNo. 1。
オーストリアはナチス・ドイツに併合され、第二次世界大戦後には米英仏ソの戦勝四カ国に分割統治されたが、1955年に独立を回復した時の祝宴でも飲まれたという。
苦味と酸味、キレのいい喉ごしのバランスが絶妙で、欠点らしい欠点の無い上品な味わいの一本だ。

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キャプテン・マーベル・・・・・評価額1700円
2019年03月17日 (日) | 編集 |
最強のクローザー登場。

2008年から始まった、マーベル・コミックのヒーローたちが勢ぞろいする壮大なプロジェクト、「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」の第21作目。
MCU作品としては初の女性ヒーローの単独主演作であるのと同時に、今までの全作品の前日譚であり、同時にアイアンマンからキャプテン・アメリカに至る初期のメンバーで結成された「アベンジャーズ」シリーズの一応の完結編「アベンジャーズ/エンドゲーム」の前哨戦ともなる、極めて重要な作品である。
舞台となるのは、MCUが始まる10年以上前の1990年代半ば。
懐かしのブロックバスターの屋根をぶち破り、空から降ってきた“ヴァース”と呼ばれる記憶を失った戦士による宇宙スケールの自分探しの旅は、若きニック・フューリーを巻き込んで、後のMCU作品への道筋をつけてゆく。
オスカー女優の貫禄たっぷり、ブリー・ラーソンがムッチャカッコいい。
本当の自分を見つけることは、信じていた世界が変わっていくこと。
彼女はその試練を受け入れ、MCU最初のスーパーヒーローとして覚醒してゆくのである。
※核心部分に触れています。

クリー帝国の特殊部隊“スターフォース”に所属するヴァース(ブリー・ラーソン)は、毎夜奇妙な夢を見る。
夢の中の彼女は、全く違った惑星で、違った人生を生きているのだ。
ある時ヴァースは、敵対するスクラル人からクリーのスパイを救出する作戦に参加するも罠に嵌り、捕虜として捉えられる。
スクラル人の指揮官タロス(ベン・メンデルスゾーン)は、彼女の夢から情報を引き出し、地球へと向かうが、逃亡したヴァースにより宇宙船は破壊されてしまう。
1995年のロサンゼルスへと落下したヴァースは、S.H.I.E.L.D.のエージェントのニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)に出会い、夢で見ていたこの星が自分の故郷で、本当の名前はキャロル・ダンヴァースだと知る。
そして、彼女の記憶に秘められたあるテクノロジーの隠し場所を巡り、スクラルとクリー、二つの種族の戦争に地球が巻き込まれることになる・・・


まさかのネコ映画だった。
いやポスターにはさりげなくネコが描かれてたし、予告編にも出てきたけど、あんな重要な役割だったとは。
便利なキャラだし、もしかすると今後グースちゃんの再登場あるぞ(笑
何はともあれ、一ヶ月後に迫った「アベンジャーズ/エンドゲーム」への期待を盛り上げる前哨戦として、内容的にもテーマ的にも最良の作品になっていたのではないか。
まずは冒頭、故スタン・リーに対するリスペクトがほとばしる、マーベル・スタジオのロゴ・アニメーションが胸アツ過ぎて涙。
ギリギリで入場した人は、絶対ここで前横切るなよ!
記憶を失ったヴァースの夢の中で、フラッシュバックする記憶の断片から始まり、やがて全体像が見えてきて、夢の中の女性がキーとなるのはちょっと「アリータ:バトル・エンジェル」を思わせる。
この構造が「自分は何者か?」というヴァース改めキャロル・ダンヴァースのアイデンティティの追求につながり、彼女の能力が目覚めてゆくと共に、「はたしてヒーローとは何か」というテーマへと展開してゆく。

望むと望まざるとに関わらず、大きな力を持ってしまった者は、常に何が正しくて、何をすべきなのかと葛藤し、自分の信じる最良の道を選ばなければならない。
「正しいこと=正義」とは相対的なもので、答えはいくつもある。
誰かにとっての「正義」は他の誰かにとっては「悪」になり得るし、ある状況下において「正しいこと」が常にそうだとは限らない。
「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」で、アベンジャーズが二つに割れた様に、ヒーローたちは自分のしていることが本当に正しいのか、常に葛藤せざるを得ないのだ。
これこそ11年に渡るMCUの歴史の中で積み重ねてきた、一番大切なテーマ。
また正しくあろうとする限りにおいて、人種も性別も関係なく、誰でもヒーローになれるということも、MCUが少しずつ、しかし着実に発信してきた価値観だ。
MCUの系統ではないが、同じマーベルの「スパイダーマン:スパイダーバース」でも、6人のスパイダーマンによって体現されていた要素が、本作では前面に出る。

MCUの最初期にあたるフェイズ1、「アイアンマン」から「アベンジャーズ」までの6作品の主人公は全て白人男性だった。
女性はブラックウィドウ、黒人はニック・フューリーと「アイアンマン2」のウォーマシンが登場するが、基本は脇の存在。
「アイアンマン3から始まるフェイズ2では、「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」でファルコンが、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」では個性的なヒーローチームが誕生。
そして2016年の「シビル・ウォー」で幕を開けたフェイズ3において、MCUの多様性は一気に大爆発する。
「マイティ・ソー バトルロイヤル」では最強のヴィランとしてケイト・ブランシェットが怪演するヘラと、ソーと共闘するタフな女戦士のヴァルキリーが登場。
ここまで、徐々にマイノリティのキャタクターを馴染ませてきた成果は、MCU作品として初のアカデミー作品賞候補となった「ブラックパンサー」に結実する。
アフロアメリカン闘争史を内包するこの作品で、アフリカ出身のヒーローは、女性たちとチームを組み、「正義」の持つ多面的な意味について苦悩する。

「ブラックパンサー」とライバルDCエクステンデッド・ユニバースの「ワンダーウーマン」の爆発的大ヒットは、もはやヒーロー映画において、「白人男性が世界を救う」と言った従来のステロタイプが意味を失ったことを示しており、フェイズ3最終作となる「エンドゲーム」の直前に、本作が組み込まれたのは必然と言える。
もちろん、映画だけでなく、本来男性だったキャプテン・マーベルをリブートと共に女性化するなど、コミックサイドでも着々と変化の布石を打ってきたことも大きいと思う。

テーマ的な部分はこのように、シリーズ集大成へ向けて非常に象徴的で分かりやすく、よく出来ているのだが、物語的に本作の一番の面白さは、前日譚ならではの後のMCUへの物語のリンクと、「エンドゲーム」へのヒントだ。
キャラクターや種族関係、アイテムまで、欠けていたピースがピタリとパズルにハマってゆくカタルシスは、シリーズを欠かさずに追ってきた忠実なファンへのご褒美
MCU初の女性監督となったアンナ・ボーデンと相方ライアン・フレックのコンビは、もともとドラマ畑の人だけに、しっかりとキャラクターを掘り下げ、物語の展開と共にキャロルの感情の変化を紡いで説得力十分。
アクション演出にはやや不慣れな感が残るが、スペクタクルな見せ場の連続にはお腹いっぱい。
その能力を100%覚醒させ、キャプテン・マーベルとなったキャロル姐さんの強さたるや、コズミックキューブ由来の力で手からビームを出し、空どころか宇宙を飛び、ほとんどスーパーマン級で、さすがのサノスも苦戦しそうだ。
デジタル技術によって若返ったフューリーやコールソンも良いのだけど、ネコのグースとタロスの中の人ベン・メンデルスゾーンが一番美味しいところをさらってゆく。
しかしフューリーが隻眼になった理由がアレとは(笑
まあネコ好きにはありがちっちゃあありがちだけど、以前の作品でもっともらしいこと言ってなかったっけ?
ところで、本作にはロマンス要素は全くないのだが、最近のディズニー・プリンセス映画の「一見イケメンの優男は、実は中身クソ野郎の法則」が、こちらにも見られるのは興味深い。
あの痛快な一撃には爆笑したわ。

今回は空から降ってきた主人公の話なので、「スカイ・ダイビング」をチョイス。
ホワイト・ラム30ml、ブルー・キュラソー20ml、ライム・ジュース10mlをシェイクし、グラスに注ぐ。
1967年のカクテルコンペティションで1位になった作品で、大阪の渡辺義之氏の作。
その名の通り澄み切った青空を思わせる美しいカクテルで、甘味と酸味が絶妙にバランスする。
目と舌で楽しめる名作カクテルだ。

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