酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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ショートレビュー「娘よ・・・・・評価額1600円」
2017年04月04日 (火) | 編集 |
娘の人生を、終わらせない。

パキスタンの奥深く、カラコルム山脈の麓。
とある部族に生きる母アッララキの生き甲斐は、まだ幼い娘のザイナブとの時間。
ところがある日、アッララキは部族間抗争を手打ちにするため、ザイナブが敵対する一族のロリコンジジイと結婚させられることを知ってしまう。
女性に人権がほぼ無く、命の価値も紙ほどの野蛮な部族社会。
自らも15歳でずっと年上の夫と結婚し、女にとって「結婚は人生の終わり」ということを身をもって知るからこそ、母は娘のために命がけの逃亡を決意する。
既に決まった結婚が破綻となれば、双方の部族の面目は丸つぶれ。
もし捕まれば、いわゆる名誉殺人によって確実に殺される。


題材から、重苦しい地味な人間ドラマと思っていたが、驚いた。
男が支配する部族社会で、望まない結婚からの女たちの逃亡劇という点では、トルコの田舎を舞台とした「裸足の季節」を思わせる。
しかし、ここは政府の力も及ばず、部族間の力関係が支配する無法地帯。
これはまさに、パキスタン版「マッドマックス 怒りのデス・ロード」なのだ。

もちろん、こっちは製作費150億円の超大作じゃないので、あんな「ヒャッハー!」なアクションは作れないが、実際映画の構造はよく似ている。

アッララキとザイナブは、逃亡の途中で強烈なデザインのパキスタン版のデコトラに助けを求める。
ドライバーのソハイルは、最初は嫌がっていたものの、成り行きで二人を助けることになるのだが、実はこの男は嘗てアフガニスタンで戦い、愛した女を亡くした元ムジャヒディンの戦士という、完全にパキスタンのマックス。

製作費以外で両作品の最大の違いは、こちらは必ずしも完全なフィクションではないということだ。
製作・監督・脚本を兼務するアフィア・ナサニエルは、パキスタンに生まれ、国際機関で働いた後に米国で映画作りを学び、30代に入ってから短編作品を発表し始めたという異色の経歴の持ち主。
本作は、ある部族の母親が、児童婚をさせられそうになった娘と共に逃げたという現実のエピソードが基になっているという。

部族の村では女たちは皆シェイラやヒジャブで髪を隠しているが、母娘が向かう大都市のラホールでは何もつけてない女性も珍しくない。
同じ国でも土地によって気風が全く違うこと、男たちの意識も画一的ではないこと、色々な要素がバランスをとって描かれている。

シンプルな物語はスリリングに展開し、母娘の逃避行は最後まで緊張感を保ち、ラストをオープニングの解となるミラーイメージにする物語の畳み方もなかなか巧み。

残念ながら、この世界にはいまだに21世紀と中世が混在している。

ナサニエル監督によると、この映画も後押しとなり、パキスタン社会は少しずつ前に進んでいるというのが希望。
児童婚や名誉殺人が、世界のどこでも完全に不名誉と認識されるのは、いつのことなのだろう。
小粒だがピリリと辛い、志の高い佳作である。

今回は、少女ザイナブのイメージで「リトル・プリンセス」をチョイス。
ホワイト・ラム30mlとスイート・ベルモット30mlをステアして、あらかじめ冷やしておいたグラスに注ぐ。
琥珀色の気品あるショートカクテル。
シンプルなレシピだが、甘い名前とは裏腹にアルコール度数が高く、いつの間にか酔っ払ってしまう小悪魔の様な一杯だ。

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ムーンライト・・・・・評価額1750円
2017年04月02日 (日) | 編集 |
熱情のムーンライトブルー。

マイアミに住む気弱な1人の少年が、たった一つの愛を胸に、自分が何者かを探しながら大人になるまでを描く物語。
原案はタレル・アルバン・マクレイニーの半自伝的戯曲「In Moonlight Black Boys Look Blue(月光の下で、黒人の少年がブルーに輝く)」で、これが長編二作目となるバリー・ジェンキンスによって脚色・監督された。
タイトル通り淡い月光によって浮かび上がる、人間の気高さと儚さ、愛の美しさと悲しみが物語を通して静かに観客の心に染み渡って行く。
本年度アカデミー作品賞を、土壇場で掻っ攫っただけはある、骨太のヒューマンドラマだ。
※ラストに触れています。

フロリダ州マイアミ。
ドラッグの売人として暮らすキューバ人のフアン(マハーラシャ・アリ)は、ある日同級生に追われて空き部屋に逃げ込んだ少年、シャロン(アレックス・ヒバート)と出会う。
ジャンキーの母親(ナオミ・ハリス)には愛されず、学校では毎日のようにいじめられているシャロンを、フアンとガールフレンドのテレサ(ジャネール・モネイ)は優しく迎え入れ、やがて彼はフアンの家に入り浸るようになる。
ある夜、自分の配下の男がドラッグを売った相手が、シャロンの母親だと気付いたフアンは、彼女を詰るのだが、自分にドラッグを売ってるのは誰だと逆に言い返されてしまう。
数年後、高校生となったシャロン(アシュトン・サンダース)は、相変わらずクラスのボスのテレル(パトリック・デシル)の酷いいじめに悩まされている。
ある夜、ふとビーチを訪れたシャロンは、そこで意外な人物と出会うのだが・・・


少年の成長と、同性の幼馴染への切ない愛を描く本作は、いわば「6才のボクが、大人になるまで。」ミーツ「ブロークバック・マウンテン」だ。
小学生、高校生、そして大人の3章に別れた物語は、それぞれの時代の主人公の呼び名が章題となっていて、これがその時点で彼が抱えている葛藤を象徴する。
第1章で、アレックス・ヒバートが演じる少年シャロンは「リトル」と呼ばれている。
その名の通り体が小さく、いじめられっ子で、同級生からは「オカマ」とからかわれる毎日。
父は無く、ジャンキーの母親と二人暮らしで、唯一仲良くしてくれる友だちは幼馴染のケヴィン。
そんなある日、シャロンは街でドラッグの売人をしているフアンと出会い、彼と擬似親子的な関係を結んでゆく。
導く者がいなかった彼の人生に、初めてメンターが現れるのだ。
この章では、シャロンは自分を愛してくれない母への憎悪を語り、フアンへの傾斜を強めるのだが、フアンはシャロンの母親が自分の顧客であることを知り、打ちひしがれる。

第2章は、シャロンが高校生の時代の物語。
アシュトン・サンダース演じる本名の「シャロン」が、そのまま章題になっている。
背はひょろ長くなったものの、相変わらず気弱ないじめられっ子。
母親は売春婦として働いていて、ドラッグを買うためにシャロンにも金の無心をするほどに中毒は悪化。
すでにフアンは亡くなっているが、ここでは彼のガールフレンドだったテレサが、擬似的な母親の役を果たしている。
家に居場所がないシャロンは、ある夜ケヴィンと月明かりの海岸で出会う。
ケヴィンは彼に「ブラック」というあだ名を付け、色々な想いを打ち明けているうちにキスを交わし、愛し合うことに。
思いがけない初めての経験は、シャロンの心に深く刻まれる。
ところが翌日、テレルにいじめの儀式に参加させられたケヴィンは、止むを得ず生贄のシャロンを殴りつけるのだが、彼にとっては愛が芽生えた直後の裏切りに他ならない。
学校はシャロンに告発を勧めるが、彼はテレルに直接復讐し、自ら警察に捕まることを選ぶのだ。

最終第3章で、トレヴァンテ・ローズが演じる大人になったシャロンは、ケヴィンへの想いを引きずる様に「ブラック」と名乗っていて、前2章とはまるで別人の様だ。
マッチョな肉体を金ピカのラッパー風ファッションに包み、故郷からは離れたアトランタでドラッグの売人をしている。
第2章の終わりで少年院に送られたシャロンは、そこで出会った悪い仲間に誘われて、昔のフアンと同じ様な人生を送っているのだ。
ようやく中毒から抜け出した母親は、薬物のリハビリ施設で暮らしていて、遅ればせながら嘗ての自分の行いを悔いている。
カタギとは言えないまでも、もうシャロンを傷つける者はいない。
しかし、そんな時にかかってきたケヴィンからの電話が、シャロンの心を激しく揺さぶるのである。

第1章で愛を知らずに育っている少年は、まだ自分が何者かも分からず、ただ愛されることを欲しているのみ。
数年後の第2章で初めて人を愛することを知り、自らのアイデンティティを強烈に意識する。
そして長い喪失を経た第3章で、嘗てのメンターの面影を模して生きている男は、突然かかってきたケヴィンからの電話によって、胸にぽっかり空いた穴の正体に気付く。
不遇のマイノリティ社会、ゲイであることへの戸惑い、イジメにドラッグにネグレクトとモチーフはとことん悲惨なのだが、バリー・ジェンキンスはあえてシチュエーションをドラマチックに盛り上げることを避け、映画ならではの視聴覚言語を使ってシャロンの人生を極めて詩的に描き出す。
構図やカメラワーク、色彩設計や俳優の捉え方に至るまで、全体の画作りがウォン・カーワァイっぽいのだが、やはり相当に研究し、意識しているらしい。
「ぽい」とは言っても、きちんと本歌取りして自分の表現に昇華しているのはもちろんのこと。
筋立ての上では主人公と適度な距離を保ち、主観に寄り添った映像表現とクセの強い心象的な音楽・音響演出が、それぞれの章で自然に彼の心情を語りかける。

三つの時代でシャロンを演じる、3人の俳優たちが素晴らしい。
特に第3章のトレヴァンテ・ローズの演技は、第1章でフアンを演じるマハーラシャ・アリと並んで、本作の白眉と言える。
最初の2章のシャロンは、いかにも細っこいいじめられっ子という感じだったのが、第3章では突如としてコワモテのおっさん化しており、「こいつ誰だ⁇」というくらいの変わり様。
それでいて、母親やケヴィンと絡む部分では、中味は子供の頃のままの心根の優しい男なのが伝わってくる。
今は施設で静かに生きる母との和解のシーンの涙や、久々に連絡をくれたケヴィンに会う時に髪型や口臭を気にしたりする仕草は、裏社会の人間とは思えない繊細なキャラクター。
再会したケヴィンにも、「うつむくクセは変わらないな」と言われてしまう。
そして、懐かしい人への想いを歌った"Hello Stranger"がジュークボックスから流れる時、二人はあの時の海岸での気持ちが、お互いの心に今も残っていることを知るのである。
誰の中にもある、変わってゆく人生の、変わらないもの。
自分を何者かにしてくれた、人生でただ一つの愛を再び確信し、「ブラック」と呼ばれた男は、遂に本当の「シャロン」に戻るのだ。
静かに抱き合うシャロンとケヴィンの姿が、ブルーに光る月光の下へと回帰するラストシーンが美しい。

人種的マイノリティのドラマであるのと同時に、性的マイノリティのラブストーリーとして、初のアカデミー作品賞。
しかも助演男優賞のマハーラシャ・アリは、アメリアの極右が大嫌いなムスリムで、役柄はキューバ難民の子。
トランプの時代だから賞を取れたと揶揄する向きもある様だが、アカデミー賞が政治的で時代を反映するのは当たり前で、むしろ主人公を演じた3人には、共同主演男優賞をあげたかったくらい。
観終わってから、ジワリと静かな余韻が広がるタイプの作品だが、語り口のスタイルからして、ある程度人を選ぶと思うし、この映画をつまらなかった、あるいは愛せない人もいるだろう。
つまらない、のはいい。
だけどもし愛せないのであれば、なぜ愛せないのかを自問自答して欲しい。
虚構の中に真実を描く映画は、自分を映す鏡でもある。
月光の中に浮かび上がるのは、知らない自分の姿かも知れない。

今回は懐かしい人と共に飲みたい赤。
思い出に負けないフルボディ、カリフォルニアはシャトー・セント・ジーンの「カベルネ・ソーヴィニヨン ソノマ・カウンティー」の12年をチョイス。
ベリー系に仄かにスパイスが混じる豊かな香りが特徴。
しっかりとしたコクがあり、パワフルなボディは特に肉料理の味を引き立てる。
カリフォルニアの代表的な銘柄の一つで、リーズナブルなのも嬉しいところ。

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キングコング: 髑髏島の巨神・・・・・評価額1750円
2017年03月28日 (火) | 編集 |
怪獣vs狂人!

いや~、呆れるほど面白かった。
ギャレス・エドワーズ版「GODZILLA ゴジラ」と世界観を共有する、レジェンダリー・ピクチャーズの怪獣シリーズの最新作。
1933年のオリジナルから数えて、正規作としては東宝版を含めて8作目の「キングコング」である。
南太平洋に浮かぶ謎の島、髑髏島(Skull Island)を舞台に、侵入者である調査隊と島の守護神キングコングとの戦いが描かれるが、シリーズのビギニングという位置付けのため、過去の作品と違ってニューヨークには行かず、基本的にこの島だけで完結するのが特徴だ。
脚本は、「GODZILLA ゴジラ」から続投のマックス・ボレンスタインと「ナイトクローラー」のダン・ギルロイ、「ジュラシック・ワールド」のデレク・コノリー。
監督は、ラスプーチンみたいな顎髭がコングよりインパクト大、32歳の俊英ジョーダン・ヴォート=ロバーツが務める。
作品の間口が非常に広く、普通の観客にも十分楽しめ、マニアを満足させる未見性とオマージュのバランスも絶妙な、傑作エンターテイメントだ。
※核心部分に触れています。

ベトナム戦争末期の1973年。
アメリカ政府の特務研究機関モナークのビル・ランダ(ジョン・グッドマン)は、南太平洋にあって、常に嵐に取り囲まれている謎の島・髑髏島の調査を計画。
ジャングルのスペシャリストである元SASの軍人ジェームズ・コンラッド(トム・ヒドルストン)を案内役として雇い、米軍のプレストン・パッカード大佐(サミュエル・L・ジャクソン)率いる軍のヘリコプター部隊と共に島への上陸に成功する。
しかし、地質調査のために爆弾を爆発させたところ、彼らの前に突如として巨大な類人猿”コング”が姿を現し、あっと言う間にヘリコプター部隊を全滅させてしまう。
散り散りになって生き残った人間たちは、二つのグループに分かれて迎えのヘリが来る島の北部を目指す。
だがこの島にいるのは、コングだけではなかった。
巨大な生物たちが支配する島で、人々は一人また一人と命を落として行く。
そんな時、コンラッドが指揮するグループは、高い塀に囲まれた原住民の村で、第二次世界大戦中にこの島に墜落した米軍パイロット、ハンク・マーロウ(ジョン・C・ライリー)と出会うのだが・・・


この映画のプロモーション中、なぜか「地獄の黙示録」のキービジュアルそっくりなポスターが発表されて話題を呼んだ。
ポスターが作られた理由は、映画を観ると一目瞭然。
これは、オリジナル「キングコング」の基本プロットと「地獄の黙示録」のディテールを巧みにミックスし、怪獣映画+秘境探検映画+戦争映画を一本で全てやった作品なのである。
トム・ヒドルストンが演じるジェームズ・コンラッドの役名は、「地獄の黙示録」の原作「闇の奥」の作者ジョセフ・コンラッドからの引用だろうし、ジャングルの奥で彼らを待っているマーロウは、「闇の奥」の主人公の名前だ。
そして、マーロン・ブランドが演じたカーツ大佐の役に当たるのが、コングへの復讐心から次第に狂気を帯びてゆくサミュエル・L・ジャクソンのパッカード大佐。
本作は基本的には、コングとパッカードという、全くサイズの違う二人の”怪物”による死力を尽くしたvsもの。
怪獣と人間が、思いっきりガン飛ばし合う映画は初めて観たよ(笑

ベトナムでの戦役で多くの部下を死なせた贖罪意識ゆえ、最初からちょっと壊れ気味のパッカード指揮下のヘリコプター部隊が、髑髏島を取り巻く嵐に突入するシーンは「天空の城 ラピュタ」を思わせる。
嵐を抜けた部隊のBGMに、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」代わりにブラック・サバスの「パラノイド」をかけるセンスが最高だ。
しかし侵入者たちは、すぐにこの島がただの孤島ではないことを身を持って知るのである。
突如として現れる、コングのスケール感の描写が素晴らしい。
本作のコングは、ゴジラと戦うために45メートルまでスケールアップした東宝版を除けば、過去最大の31.6メートル。
ショットによってかなり縮尺を変えていると思うが、カメラワークが巧みで怪獣と間近で対峙するリアリティが感じられ、本当にとんでもなく巨大で恐ろしく見えるのだ。
パッカードにとって部隊を壊滅させ部下を殺したコングは、ベトコンへの恨みも積み重なって絶対に倒すべき敵となるのだが、最初に自分の行為が相手を怒らせた事実は彼の中から綺麗さっぱり忘れられている。
コングという未知の存在との遭遇と戦いを通して、"敵"とは自らが求めて初めて存在するもので、憎しみという燃料によって戦争の狂気は増幅してゆくというテーマが、ベトナム戦争末期という時代性と相まって浮き彫りになるのである。

島の世界観は、過去の作品で描かれた髑髏島に、「もののけ姫」をミックスした感じ。
この島では動物たちは巨大で、力なき原住民たちは彼らを神と崇め畏怖の念を抱きながらひっそりと生きている。
コングの天敵である髑髏の様な頭を持つ後ろ足の無いトカゲ、スカル・クローラー、馬鹿でかい水牛型のスケル・バッファロー、さらには大木ほどもある大ナナフシに、明らかに東宝の「キングコング対ゴジラ」オマージュの大ダコ風水性怪獣、竹林に擬態する巨大蜘蛛は、クモンガかと思ったら何と六本木ヒルズの蜘蛛のオブジェ、ママンからの発想だとか。
蜘蛛が脚で兵士を串刺しにするのは、モロにルッジェロ・デオダードの「食人族」だったが、イーライ・ロス以外にもハリウッドにこの映画の信奉者はいるんだな(笑
まあ、このあたりのオマージュや引用はまだ分かるのだが、意外だったのは松本零士の「戦場漫画シリーズ」的エピソード。
太平洋戦争中に島に墜落したマーロウには、最初は命を奪い合う敵であり、後に共に島からの脱出を目指したグンペイ・イカリという日本人のバディがいた。
同じ島に敵味方の兵士が降り立ち、のちに和解するのはジョン・ブアマンの「太平洋の地獄」っぽいが、壊れた飛行機の部品をニコイチしてイカダを作って脱出というアイディアの元ネタは、おそらく同じ設定の「戦場漫画シリーズ」のエピソード「雷撃艇13号」あたりだと思う。
なかなか渋いところだが、この映画の作り手のマニアックさなら十分あり得るだろう。
もっとも、新たな要素は多く導入されているものの、本作はあくまでも長い歴史を持つ「キングコング」の一作である。
全体的には、1933年のオリジナルを強く意識した作りで、ニューヨークには行かないものの、ヘリとの空中戦はあるし、コングは一度は"鎖"に囚われ、美女には弱いというお約束も踏襲されていて、キャラクターイメージはしっかりと守られている。

全編見せ場の連続で、怪獣も沢山出てきてお腹一杯、全く飽きる暇がないのだけど、一方で決して長尺という訳でもないのに、結構な数の登場人物をさばき切り、人間ドラマも見応えがある。
メインキャストから端役に至るまで、無駄なキャラが一人もいないのは見事だ。
唯一不満があるとすると、キャラクターが誰一人として変化しないこと。
この物語は、敵への憎しみから狂気に支配されてゆくパッカードと、憎しみから脱却して敵との友情を築いたマーロウが表裏の関係となっている。
二人の体現するテーゼとアンチテーゼのぶつかり合いはあるものの、彼らはすでに完成されたキャラクターで、個の中の葛藤による心情の変化はない。
話を進行させる役回りであるコンラッドの中に僅かでもこれがあると、物語の厚みが違ったはずで、現状ではパッカードとマーロウに全部持ってかれてしまって、印象が薄いのが勿体無い。
とはいえ、ビジュアルだけの超大作にとどまらず、これだけテーマ性があり完成度の高いドラマを構築したのは十分称賛に値する。

しかし、本作で一番胸が熱くなったのは、尿意に耐えてやたらと長いエンドクレジットを乗り切った後である!
なんとなく最後にマーベル的なオマケがあるのは知っていたものの、予想を遥かに上回るインパクトに、劇場ではオタクな観客たちから思わず驚嘆の声と拍手が起こっていたし、私もあの瞬間脳内に変な汁が出た(笑
いや〜、2019年がもの凄く楽しみだ。
その後の2020年には既に「Godzilla vs. Kong」が一足先にアナウンスされてる訳だけど、両者の体格差はどうするんだろう。
仮に2020年が舞台だとすると、本作から47年経っているから、コングがその分成長してデカくなったとしても、100メートル越えのゴジラとは勝負にならない気がするのだけど。
まさか増殖するのだろうか?

増殖と言えば、本作の最大の謎が突然増殖するヘリコプターだ。
調査隊を乗せた貨物船アテナ号には前部甲板に5機、後部甲板とその奥の格納庫に3機が確認出来るのだが、上空に来るとなぜか13〜14機に増えてる。
しかも物語の終わりには更に3機が迎えに来るので、あの小さな貨物船に海自のいずも型ヘリ空母の搭載機数を超える17機が隠れていたことになる。
レジェンダリーの怪獣映画は「パシフィック・リム」でも、たった8機のチヌークで2000トンもあるイェーガーを空輸しちゃってたし、ヘリの扱いがやたら雑だ(笑

今回はもちろん、家に帰ってテレビでメジャーリーグを見ながら飲みたい「バドワイザー」をチョイス。
1876年に発売されてから、実に140年の歴史を誇るアメリカン・ビールの代表格。
本作ではパッカードとマーロウがこれを飲んでいる。
水みたいに薄いのが、カラッとした気候でのスポーツ観戦にはぴったりで、知らぬ間にピッチャー1つくらい簡単に空けられてしまう。

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ショートレビュー「わたしは、ダニエル・ブレイク・・・・・評価額1700円」
2017年03月25日 (土) | 編集 |
最後まで、尊厳を捨てない。

ケン・ローチらしい、社会福祉のあり方をテーマとした硬派の社会派ドラマ。
007俳優みたいな名前の主人公は、心臓の病気で大工の仕事を医師から止められた、男やもめの爺さんだ。
彼はある日、社会福祉事務所で幼い2人の子供を抱えたシングルマザーのケイティと知り合い、交流を深めてゆく。
病気を抱えた老人と、新しい土地にやって来た母子家庭。
どちらも助けを必要としている人々なのは間違いないのに、彼らは社会保障のシステムから理不尽に疎外される。
80歳の巨匠が引退を撤回してまで作った作品だけあって、ローチの現状に対する沸々とした怒りがスクリーンのキャラクターを通して伝わってくる。

日本でも役所から手当を切られたとか、生活保護を拒否されたとかはよく聞くが、この話の状況が普通であれば、イギリスの状況はもっと酷い様だ。
病気で仕事が出来ない、あるいは幼い子どもを抱えているので手当てを受けたい、というごく当たり前で単純な話のはずなのに、ダニエルもケイティも届けを出すことすらなかなか出来ない。
受給資格があるかを判定する係は、米国系企業から派遣されていて、本人の病気とは全く関係ないマニュアル質問を繰り返す。
申請が却下されたら不服申し立てをするのだけど、なんとそれはネット経由でしかできないという。
高齢者や貧困層向けの行政サービスがネットのみ、それはつまり最初から助ける気が無いということだ。
極め付けは、ダニエルは医者から就労を禁じられているのに、求職中という”証拠”を作るために、なぜか無駄な就活をさせられるのだ。
しかも役所の指示に従わないと、どんどん累積の罰則がつけられて、受給資格が遠ざかるのだから酷い。
観ているうちに、ダニエルとケイティの感情に寄り添い、いつの間にか自分の中でも怒りのボルテージと諦めの気持ちが同時に高まってくるのを感じる。

2000年代に吹き荒れた、新自由主義のもたらしたものとは一体何か。
「本当に必要な人には福祉の手は届かない」とは、具体的にはどういうことなのか、この映画を観ればよく分かる。
支援が必要な人々の人間としての尊厳を貶めることで、受給資格を遠ざける社会福祉のあり方はやはり大きく間違っている。
極貧の中でフードバンクを訪れたケイティが、空腹に耐えかねて貰ったばかりのトマトのカンをその場で開けて食べてしまうシーンは、あまりの辛さに思わず涙が滲んだ。

本作に描かれるイギリスの役所の官僚主義、マニュアル主義があまりに酷いので、普段接している日本の役所の人たちがすごく良い人たちに見えてくるほど。
いや日本も実際には問題が少なくないのだろうけど、私の知る限りこれほど杓子定規で融通が利かないことは少ないのではないか。
逆に言えば無関心で手をこまねいていると、日本もすぐこういう状況になってしまうということだろうけど。
ダニエルは終始役所に対して怒っているのだが、実際には役所の人たちも色々辛くて、結局はシステムを作る政治の責任で、同時に政治家を選ぶ自分たちの責任ということなのだと思う。
ごく一部の不正受給などを見て、社会福祉のハードルを上げることに賛成を唱える人たちは、是非この映画を観てほしい。
しかし、どんな場合でも一番辛い立場に置かれるのは、所謂情報弱者であることは分かった。
社会の変化のスピードを考えると、自分の老後を想像して全く人ごととは思えない。
「わたしは、ダニエル・ブレイク」の名前の部分は、最後まで尊厳を保って生きたいと願う、全ての人々に置き換えられる。
巨匠入魂のヘビー級の力作であった。

今回はイギリス庶民の酒、日本でも同名パブチェーンがある「ホブゴブリン」をチョイス。
オックスフォード州ウィットニーの森の中にあるウィッチウッド・ブリュワリーは、銘柄が全てファンタジー繋がりで、ホブゴブリンの他にもブラックウィッチやゴライアスなどがある。
フルボディのダークエールは、チョコレートモルトの甘い香りが特徴で、強いクセがなく飲みやすい。

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ショートレビュー「チア☆ダン~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~・・・・・評価額1650円」
2017年03月23日 (木) | 編集 |
成せばなる、為さねば成らぬなにごとも。

ムッチャ面白い、青春スポコン活劇の快作である。
内容はやたら長い副題の通りで、福井商業高校の女子高生チアダンスチーム”Jets”が、海を渡って全米選手権で優勝するまでの山あり谷ありの3年間のサクセスストーリー。
プロットもテリングもベッタベタのどストレート。
まるで松岡修造の話を2時間聞いている様な、暑苦しいくらい熱い映画なのだけど、コレがウザイイのである。
林民生の脚本は軽快にリズムを刻み、「俺物語!!」でも暑苦しかった河合勇人の演出は、プラス5度くらい室温を上げてる(笑
まあこの軽いテイストは好みが分かれるだろうけど、本作はいわばお下品さを暑苦しさに置き換えた「ピッチ・パーフェクト」みたいなもので、これはこれで良いと思う。

がんばる田舎娘の話は、各ジャンル印象的な作品が多い。
21世紀以降に限っても、東北の落ちこぼれ娘たちがジャズのビッグバンドを組む「スウィングガールズ」、斜陽の炭鉱の街を救うために少女たちが立ち上がる「フラガール」、書道パフォーマンスで不況の故郷にエールを送る「書道ガールズ‼︎わたしたちの甲子園」、そして高校演劇日本一に挑む弱小演劇部を描く「幕が上がる」など、秀作佳作がひしめいている。
実話ベースの話が多いのも、一つの特徴かもしれない。
その中でも本作は、「フラガール」と同じく、ダンスという躍動する肉体言語の力が圧巻。
こういう体で物語る作品を観ると、やっぱり役者って凄いなと思わされる。
撮影前から数ヶ月かけて技を磨いていったそうだが、いや数ヶ月じゃ普通無理でしょう。
もちろん撮影技術のアシストはあるとしても、少なくとも素人目には十分凄いパフォーマンスに見えるのだから。

広瀬すずと真剣佑なので「ちはやふる」を連想するけど、本作の白眉は部長役の中条あやみだ。
劇中のセリフにもあるが、違った華のある旬な二人を親友でライバルにしたことで、物語にしっかりした軸が通った。
お互いの葛藤が物語を進めるエンジンになって、苦しみながらも成長してゆく王道の青春ストーリーに、スポコンならではの壁をブレイクスルーし勝利するカタルシス。
クライマックス直前のポジション変えの後、中条あやみが広瀬すずに渡す夢ノートの一度破った跡とか、演出も結構細かい。
反面、この手の映画ではしばしばキーパーソンとなる、天海祐希の先生がやや描き足りないなあと思ってたら、終盤の回想シークエンスで涙腺決壊。
あそこも恥ずかしいくらいベッタベタだが、ジャンルは違えど同じ先生の端くれとしては感情移入して泣かざるをえなかった。

ティーンの話なのに潔いくらい色気を感じないのだけど、これは完全に友情・努力・勝利のスポ根少年漫画だから、ロマンス要素がほぼ無いのはこれでいい。
それでも広瀬すずと真剣佑の爽やかな関係や、最後まで名前が出ない中条あやみのストーカー君は、美味いスパイスになっていたと思う。
根暗キャラの山崎紘菜や和製レベル・ウィルソン、富田望生たちチームメイトの面々もそれぞれに魅力的。
春休みに部活の友達同士で観に行くのに最高の映画だ。

今回は福井の地酒、加藤平吉商店からチャンピオンにふさわしい「梵 純米大吟醸 ゴールドGOLD」をチョイス。
純米大吟醸らしい米の味わいと、ふわりとしたフルーティーな香りが華やか。
クセがなく、すっきりとした喉ごしで、非常に飲みやすい。
銘柄の梵とは、サンスクリット語で「けがれなき清浄」「真理をつく」という意味で、読み方のBORNでは「誕生」「創造」を表すという、まさにこの映画の少女たちにピッタリだ。
未成年は飲んじゃダメだけど。

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