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酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。ネット配信オンリーの作品は★5つが満点。
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ショートレビュー「ドロステのはてで僕ら・・・・・評価額1650円」
2020年07月19日 (日) | 編集 |
未来が無限に増殖する。

こりゃあ面白い!まさにアイディア賞!
京都に本拠を置く人気劇団、「ヨーロッパ企画」が作った初の長編映画。
劇団の主宰にして、脚本を担当する上田誠と監督の山口淳太が作り上げたのは、SFマインドを刺激するユニークな快作だ。
※以下、核心部分に触れています。

カフェの店長をしているカトウの部屋のパソコンモニターから、突然自分が語りかけてくる。
「オレは二分後のオレ」
モニターの自分は二分後の未来の未来から語りかけていると言い、どうやら部屋のモニターと階下のカフェのモニターが二分間の時差で繋がっていることが分かる。
すぐにウワサは広がり、友人たちが押し掛けてくる。
たった二分先の未来。
普通に考えれば、何の役にも立ちそうにないこの謎現象。
しかし友人の一人が、この二分を無限に増やすある方法を思いついちゃう。
それは二分の時差がある二つのモニターを、合わせ鏡の要領で向かい合わせに配置すること。
すると互いのカメラで撮り合うことによって、画面の中には無限の未来と無限の過去が並ぶことになるのだ。

これこそがタイトルにもなっている「ドロステ効果」で、もともとは劇中にも出てくるドロステ・ココアという商品のパッケージが語源。
ココアの箱に描かれた尼僧が持っているお盆の上に、小さなココアの箱が描かれ、そこにはやはりお盆を持った尼僧が描かれている。
さらにその尼僧の手にも・・・と、このようにモニターの中にモニターを映しこむことによって、どんどん未来が繋がってゆくというワケ。
もちろんモニターのカメラで撮り合っているいるのだから、ある程度小さくなると解像度の限界で見えなくなってしまうのだが、それでも二分を相当伸ばすことが可能になる。
そうなると、未来の情報を使って金儲けに走るののはお約束。
ところが、事態は現在過去未来が絡み合い急速にヤバイ方向に動いてゆくのである。

なんだか藤子F先生のSF短編集にありそうな話だなと思ってたら、最後の主人公と客演ヒロインの浅倉あきの会話で大いに納得。
やっぱりあの系統の世界だよな、コレは。
「ペンギン・ハイウェイ」「夜は短し歩けよ乙女」の脚本家としても知られる上田誠の独特の語り口は健在で、ケッタイな話だけどとてもよく出来ている。
テリングの最大の特徴は、特殊な物語構造を最大限に生かすために、リアルタイム進行で一見するとほぼ全編ワンカットに見える様に工夫されていること。
作品のテイストは全然違うのだが、低予算でアイディア勝負、全編ワンカット(風)映像を含めて、企画性はちょっと「カメラを止めるな!」を思わせる。
あの映画がホラーモチーフの斜め切りだとしたら、こちらは時間SFをモチーフに、「この手があったのか!」新鮮な驚きを与えてくれる。
観終わってすぐ、もう一回観て答え合わせしたくなるのも共通だ。
いずれにしてもセンス・オブ・ワンダーに溢れた素晴らしい映画で、コレは「カメ止め」級に話題になっても全然おかしくないが、内容を想像しにくいタイトルがネックか。
ちなみにエンドクレジットは必ず最後まで見ること!

今回はレイヤー構造になった世界の話だったので、レイヤーカクテルの代表格「プース・カフェ」をチョイス。
プースはフランス語の「押す」で、コーヒーを押し除けて食後に嗜む一杯という意味となる。
グレナデン・シロップ、クレーム・ド・ミント・グリーン、クレーム・ド・ミント・ホワイト、ブルー・キュラソー、シャルトリューズ・ジョーヌ、ブランデーそれぞれ10mlを順に静かに注ぎ入れる。
スプーンを使うと上手くできる。
このスタイルのカクテルは口の中で混ざり合うことで完成するが、ぶっちゃけ味よりも映えがメイン。
カラフルでとても美しい。

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ショートレビュー「WAVES/ウェイブス・・・・・評価額1700円」
2020年07月16日 (木) | 編集 |
愛が全てを包みこむ。

フロリダの高校のレスリング部のエースで、文武両道に優れたエリートとして将来を嘱望されている兄タイラーと、その影に隠れている地味キャラの妹エミリーの、破滅と再生の物語
全てが順風満帆だった学園のヒーローの人生は、たった一つのきっかけからはじまった負の連鎖により、みるみる崩れてゆく。
長年の競技生活で無理をし過ぎたことで、選手生命を脅かす肩の故障が発覚し、大学の奨学金が危うくなる。
追い討ちをかける様に、恋人のアレクシスが妊娠。
事態を受け入れられないタイラーは徐々に自分を見失い、ブレーキを失った車の様に坂道を転げ落ちてゆく。
そして遂にある夜、彼と周りの人々の人生全てを狂わせる、悲劇的な事件が起こってしまう。

物語そのものは、めちゃくちゃヘビーではあるものの特に新鮮味はない。
これはスタイリッシュな映像と、エモーショナルな音楽という二つのウェイブによる、ストーリーテリングの未見性を味わう映画だ。
前半はタイラーが、後半は妹のエミリーが主人公のポジションとなり、決まりすぎなくらいピッタリな31の楽曲がそれぞれの心象を描いてゆく。
”プレイリストムービー“なんてチャラいキャッチコピーからは想像もつかない、厳しい現実を描く映画だが、さすが「イット ・カムズ・アット・ナイト」でも、家族をモチーフに鋭い寓話性を見せたトレイ・エドワード・シュルツ。
物語と映像と音楽が三位一体となる、なかなかの力作だ。

135分という結構な長尺のうち、基本的に前半は「ルース・エドガー」の好演も記憶に新しいケルヴィン・ハリソン・Jrが演じるタイラーの破滅編、後半はテイラー・ラッセル演じるエミリーによる再生編として綺麗な二部構成となっている。
現在、世界中で黒人差別に反対する「Black lives matter」の嵐が吹き荒れているが、本作のタイラーとエミリーはかなり裕福で恵まれた家庭に育っている。
しかし両親、特に父親は自分たちが基本的には被差別階層であることを意識していて、だからこそタイラーを厳しく育てる。
父息子の厳格な子弟的な関係性と「強く、完璧であれ」という暗黙のプレッシャーによって、タイラーは自分の問題を抱え込み、誰にも相談できなくなってしまうのだ。
いくら輝いていても、彼はまだ十代の少年である。
短期間のうちに変わってしまった世界に対応しきれず、壊れてゆく姿が痛々しい。

そして悲劇的な事件の結果、前半でタイラーが退場すると、こんどは残された家族の再生劇
ここでは、それまでほとんど存在感のなかった地味目な妹のエミリーが前面に出て来て、映画のトーンが大きく変わる。
期せずして“犯罪者の家族”となってしまい、学校でも目立たないように過ごし、誰にも心を開けないでいるエミリーは、ルーカス・ヘッジズが演じる心優しい好青年ルークと恋に落ちる。
彼自身も疎遠な父親との問題を抱えているのだが、エミリーの後押しによって葛藤を解消し、その経験がこんどはエミリーの人生にも新しい道筋をつけてゆく。
面白いのが画面のアスペクト比が“ビスタ→額縁のシネスコ→さらに上下が狭くなる→スタンダード→額縁のシネスコ→ビスタ”と変化すること。
グザヴィエ・ドランの作品みたいに、キャラクターの心象にピッタリ紐付けている訳ではないが、冒頭の焼けつくような太陽の下、フロリダのハイウェイを疾走するタイラーとアレクシスの描写が、終盤のエミリーとルークと対になるように、中盤の事件を折り返し点に、前半後半の展開をミラーイメージとして強化する工夫だ。

才能豊かな少年は、愛する人がいたために最悪の罪を犯す。
その傷跡を引きずる少女は、新たな愛に出会って癒されてゆく。
愛は時に心に痛く突き刺さり、時に暖かく包み込む。
どんなに厳しい時間を過ごしていても若者たちは愛を感じ、絶望の中に希望を見出して生きてゆく。
エミリーとルークはもちろん、いつの日かタイラーにも救いが訪れると信じたい。
暗闇の中で映像と音楽、二つのウェイブの間にたゆたうような心地よさ。
これは映画館で鑑賞すべき作品だ。

今回は揺れ動く光と色からイメージして「オーロラ」をチョイス。
ウォッカ30ml、クレーム・ド・カシス10ml、グレープフルーツ・ジュース5ml、レモン・ジュース5ml、グレナデンシロップ10mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
サントリー・カクテル・コンペティションのスピリッツ部門の優勝作品で、作者は大塚陽人。
ルビー色をした美しいカクテルで、ほんのり甘くさっぱりとした味わいの一杯だ。

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透明人間・・・・・評価額1650円
2020年07月13日 (月) | 編集 |
見えない誰かが追ってくる。

富豪のマッドサイエンティストでソシオパスの夫から妻が逃げ出したら、ハイテク透明人間になった夫に復讐される。
さすがリー・ワネル、ジャンル映画のツボを抑えつつ、未見性に満ちた見事な仕上がりだ。
原案はH・G・ウェルズの小説「透明人間」だが、1933年に公開された同名怪奇映画へのオマージュを捧げつつ、物語はモダンなオリジナル。
本作はもともとユニバーサル映画が目論んでいた往年の怪奇映画を連続リブートさせる”ダーク・ユニバース”の一作としてジョニー・デップ主演で企画されていたものの、第一弾となる「ザ・マミー 呪われた砂漠の王女」の無残な失敗によって立ち消えとなり、ワネルによって改めてリブートされた。
結果として他の映画とのリンクは無くなり、規模も縮小された低予算作品だが、逆に自由な発想が生かされた快作となった。
主人公のセシリアを演じる、エリザベス・モスが素晴らしい。

富豪で天才的科学者の夫エイドリアン(オリヴァー・ジャクソン=コーエン)から束縛的な支配を受けているセシリア(エリザベス・モス)は、ある夜妹のエミリー(ハリエット・ダイアー)の助けでセキュリティが張り巡らされた屋敷から脱出する。
彼女は友人の警察官ジェームズ(オルディス・ホッジ)の元に身を寄せるが、エイドリアンが探しに来るのではという恐怖を常に感じていた。
ところがある日、エイドリアンの兄で弁護士のトム(マイケル・ドーマン)から、彼が手首を切って自殺したと言う知らせが入る。
エイドリアンは自らの行いを悔い、500万ドルという巨額の遺産をセシリアに残していた。
しかしエイドリアンの本性を知るセシリアは、「彼は自殺を偽装し、今もどこかで私を見張っている」と言う疑念から逃れられない。
そんな時、彼女の周りで奇妙な出来事が続き、セシリアはエイドリアンが自らの技術を使って透明人間となり、彼女に復讐しようとしているという確信を持つ・・・・


H・G・ウェルズの「透明人間」は過去何度も映像化されて来た。
もっとも有名なのが1933年に作られたジェームズ・ホエール版と、2000年のポール・バーホーベン版「インビジブル」だろう。
日本でも戦後公職追放されていた円谷英二の復帰作として知られる「透明人間現る」や、ピンク映画の「透明人間 エロ博士」なんて珍品もあった。
ウェルズの小説を基にしているかどうかに関わらず、多くの作品の透明人間に共通するのは、基本的には天才科学者で、化学によって人間を透明にする方法を開発するも、元に戻れなくなり次第に狂気の怪物となる設定だ。

ところが、本作はこの基本法則を覆す。
エイドリアンが天才科学者なのは過去の作品と共通だが、彼が開発するのは化学的な手段ではなく、いわゆる光学迷彩。
本作の透明人間は、最新テクノロジーを駆使した、ステルス・スーツの産物なのだ。
このアイディアにより、透明化してご飯食べたらどうなる?とか、いつも全裸で寒くない?とか、移動する時はどうするの?とか、過去の透明人間モノではごまかされていたディテールが一気に解消。
不可逆的に肉体が透明化する訳ではなく、スーツを着ているだけなのだから、元に戻れなくなって絶望し、狂気に堕ちるわけでもない。
完全に正気なまま、妻を支配し追い詰めるためだけに透明人間となる、その邪悪さが強調される。
ちなみに透明化してない時のステルス・スーツはそこら中にカメラの穴が開いる気持ち悪いデザインで、ブツブツ恐怖症トライポフォビアの人は違う意味で失神しそう。

物語的には、クズ夫からの虐げられた妻の肉体と精神の解放を描いているのだけど、実際にセシリアが経験したことを一切描かず、彼女が受けた虐待をしっかりと観客に伝えているのが凄い。
彼女がどれほどエイドリアンを恐れているか、心の傷の原因がリアルにイメージできるのは、エリザベス・モスの狂気を感じさせるほどの熱演が大きい。
もちろん、姿の見えない暴力的なストーカーに、真綿で締め殺される様に24時間粘着される恐怖も含めて。
脚本家監督らしくディテールは非常に凝っていて、例えば登場人物のネーミングも一捻りある。
主人公の役名の「セシリア」はラテン語で「盲目」を意味し、同時に彼女は親しい人からあだ名で「シー」と呼ばれる。
「シー」は見るを意味する「see」と同じ発音で、彼女が「見えない」物を「見る」人物なのを表しているのである。
一方の「エイドリアン」はローマ皇帝ハドリアヌスに由来する名前で、「暗い」と言う意味もあり、飼い犬には全能の神「ゼウス」の名をつけていることからも、神をも支配しようとするダークサイドな男であることを示唆している。

ストーリーテリングにも工夫がいっぱいだ。
誰もが透明人間になれるステルス・スーツのアイディアを生かし、シーンによって透明化しているのがエイドリアンなのか、彼の支配を受けている兄のトムなのか分からない様にしているのも面白い。
何しろ中身は見えないのだから、あのシーンはエイドリアン?このシーンはトム?もしかすると、二人が同時にいたシーンもある?などと、観終わった後から考えることで色々パズルのピースがハマってくる様な、読解のカタルシスも味わえる。
シネスコ画面のフレーミングの巧みさも光る。
画面の余白を効果的に使い、いかにもそこに何かがいる様な不安感を盛り上げる。
さらにカメラワークを俳優の動きから微妙にずらずことで、それが誰の視点なのかと言う疑心暗鬼を作り出している。

透明人間というそのままでは古色蒼然としたキャラクターを使いながら、リー・ワネルは物語の視点を変えることで2020年ならではのモダンなスリラーを作り出した。
虐げられたセシリアは見えないストーカーと化したエイドリアンによって、精神的にも肉体的にも追い込まれてゆくが、やられっぱなしでは終わらない。
支配欲の塊の様な夫と対決するクライマックスでは、それまでの出来事全体を伏線とし、彼女の隠されたタフネスぶりを見せつけ、観客に溜飲を下げさせる。
透明人間といえば女性絡みなのはお約束だが、透明人間本人ではなく攻撃される女性側を主人公とし、抑圧からの解放をテーマとしたのは見事。
人間ドラマとして成立させつつ、テリングの工夫によって最後までドキドキするスリルを切らさない。
やり尽くされたジャンル映画も、新しい視点と問題点の修正でいくらでも面白くなるという良いお手本だ。
まあペンキかけられたのに、足跡は残らないの?とか姿は見えなくても、音はするんじゃない?とか突っ込める部分はあるが、それを言っちゃうのは野暮というものだろう。

今回は透明人間だけに、原作が書かれた少し前に、ウェルズの母国イギリスで誕生した透明なカクテル「ギムレット」をチョイス。
ドライ・ジン45ml、フレッシュ・ライム・ジュース15mlをシェイクし、グラスに注ぐ。
発案者は、海軍の軍医だったギムレット卿。
イギリス海軍では酒は嗜みとして許されていたのだが、彼は将校たちが支給されていたジンを飲み過ぎるのを憂慮し、ライム・ジュースで割ることを推奨したとされる。
チャンドラーの小説「長いお別れ」に登場したことで、世界的に有名になったカクテルだ。

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ショートレビュー「のぼる小寺さん・・・・・評価額1650円」
2020年07月09日 (木) | 編集 |
「のぼる」は気持ちいい。

不思議な浮遊感を持つ映画だ。
みんな彼女が気になって、ついつい上を見上げてしまう。
たくさんの視線の先にいるのは、ボルダリング少女の小寺さん
進路希望に「クライマー」と書き、ガチでプロクライマーを目指しているほどのボルダリング好き。
毎日ダブダブのTシャツを着て、高校の体育館にそびえるクライミングウォールに挑んでいる。
小寺さん自身は、物語の最初から最後までほとんど変わらない。
しかし実質的な主人公である同級生男子の近藤をはじめ、彼女のまわりにいる人たちは、のぼり続ける彼女から目が離せなくなる

吉田玲子の端正なシナリオを得て、傑作「ロボコン」の古厩智之監督が思春期の登場人物たちを味わい深く描写する。
卓球部に所属する近藤は、卓球台のすぐそばに建つクライミングウォールを登る小寺さんに見惚れてしまう。
中学の時いじめられていて彼女以外に友達がいなかった四条は、今ではクライミング部の仲間として小寺さんを支える。
写真が好きなありかは、どうしても小寺さんに惹かれて、撮らずにはいられない。
ちょっと遊んでいて、クラスでも浮いている梨乃も、なぜか小寺さんとは気が合い、彼女を応援する様になる。
これは「見ること」に関する映画で、視線の誘導の丁寧な演出が特徴的。
小寺さんのピュアな情熱を見ているうちに、まわりの人たちもいつしか自分を振り返り、ドーンと背中を押されている。

この映画の小寺さんの役割は、本人のあずかり知らないところで、周囲に影響を与えているという点で、一度も姿を見せず存在感だけで学園をザワつかせた「桐島、部活やめるってよ」の桐島に近い。
しかし学園のヒエラルキーという複雑な社会性がベースにあり、不在の桐島がある種のマクガフィンとして皆を右往左往させたあの映画と比べると、本作の世界はパーソナルで平和だ。
頑張っている人だけが持つ吸引力によって小寺さんはまわりの人の目を惹きつけ、誰の中にも眠っている青春の熱情に火をつけるだけ。
それとて本人が意識してやっている訳ではないのだ。
だからこの映画は、小寺さんを作劇上の便利なアイテムであるマクガフィンの様には描かない。
最後の最後には、彼女自身にも等身大のティーンの少女として、小さな心情の変化を起こす。
この辺りが、画面に一切登場せずシンボルのままだった桐島とは違うところだ。

しかし、上映前の舞台挨拶動画(?)で監督も言ってたが、コロナ禍の今観ると以前の私たちはなんと美しい世界に暮らしていたことか。
いつか元の世界が戻ってきて、人々が再び思いっきり活動する時のためにも、せめて今できることを頑張ろうと思わせてくれる、元気が出る映画。
まるで若手実力派俳優の見本市の様だった「桐島」ほど多くはないが、こちらも若い俳優たちが素晴らしい。
役柄通りの吸引力を持つ工藤遥と、吸引されちゃう伊藤健太郎の爽やかなカップルにほっこり。
小寺さんを軸として、色々なタイプの登場人物が配されていて、ほとんどの観客が誰かには感情移入できるように工夫されている。
しかし、こんな良い映画に客が入ってないのが悲しいぞ。
みんな映画館で、のぼる小寺さんを見つめよう。

今回は青い空に向かってのぼる小寺さんのイメージで、「ビッグ・ブルー・スカイ」をチョイス。
ライト・ラム30ml、ココナッツ・ラム20ml、パイナップル・ラム20ml、ブルー・キュラソー20ml、パイナップル・ジュース120ml、クラッシュド・アイス1カップをパワーブレンダーで混ぜ混ぜ。
大きめのグラスに注ぎ、最後にマラスキーノ・チェリーを飾る。
パステル調の美しい水色のカクテルで、甘酸っぱい青春の味わいを演出している。

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はちどり・・・・・評価額1700円
2020年07月06日 (月) | 編集 |
はちどりのささやき。

四半世紀前の高度成長期のソウルを舞台に、中学二年生の少女の思春期の揺れ動く心を描く、リリカルな青春ストーリー
両親はあまり自分に関心がなく、暴力的な兄には虐められている。
学校には馴染めず、趣味の漫画を書いたり、ボーイフレンドとデートしたり、他校の親友と遊びに行ったりの平凡な日々。
そんなある日、通っていた漢文塾で、自分の声に耳を傾けてくれる新任の先生と出会ったことをきっかけに、彼女は少しずつ大人へと近づいてゆく。
監督・脚本は韓国の大学の映画学科を卒業後、米国に渡りコロンビア大学院で学んだキム・ボラ。
少女の半径10メートルを描く極めてパーソナルな視点と、時代と社会を俯瞰する視点が巧みに融合され、デビュー作とは思えない完成度の高さだ。
韓国映画賞の最高峰、青龍映画賞では、あの「パラサイト 半地下の家族」を抑えて脚本賞に輝いたほか、世界各国の映画賞でも高く評価されている。

1994年、ソウル。
中学二年生となったウニ(パク・ジフ)は、両親と兄姉と共に鳥の巣箱のような大団地に暮らしている。
学校の授業にはあまり身が入らないが、放課後は最近できたボーイフレンドとデートしたり、通っている漢文塾の友達と遊びに行ったり、それなりに楽しい日々。
商店街で餅屋を営む両親は、朝早くから仕事に追われ、子供たちに向き合う時間をあまり持てない。
ウニは、両親は自分には関心がないと思っている。
ある日、漢文塾に新任のヨンジ先生(キム・セビョク)がやってくる。
物腰柔らかで知的な大人の女性。
ウニは自分の言葉に耳を傾け、アドバイスをくれるヨンジ先生に惹かれてゆく。
ところが、ある朝学校へ行くと、漢江にかかる聖水大橋が崩落したと言うニュースが駆け巡っていた。
事故が起こったのは、姉の乗るバスが橋に差し掛かる時間帯だった・・・・


タイトルの「はちどり」は不思議な生き物だ。
小指ほどの大きさで、ブーンとささやく様な羽音を響かせながら、高速で羽ばたいてホバリングし、細いクチバシを伸ばして花の蜜を吸う。
米国に住んでいた頃、庭の木に花が咲くとよく集まって来ていたが、名前の通り一見すると鳥なのか蜂なのかわからない、あいのこの様な生物。
主人公のウニもまた、大人でもなく子供でもない。
右も左も分からない新入生の一年生でもなく、受験に気をもむ三年生でもない、曖昧な中間の存在だ。

これは思春期の少女が、自分と家族を含めた社会との関係を発見してゆく物語。
彼女の見ている世界は、まだ狭くて浅い。
基本的にウニの一人称で語られる物語なので、彼女が知らないことは描かれない。
物語を通して、彼女が「知ってゆくこと」で、世界がどんどん変わってゆくのである。
ストーリーテリングは韓国映画というよりも、むしろ監督が学んだアメリカのインディーズ映画を思わせる。
冒頭、母親からお使いを頼まれたウニが帰ってくると、母親が玄関を開けてくれないと言う描写が本作の進む先を示唆する。
実はこれ、ウニの勘違い。
彼女の住む団地は全ての階の作りが同じで、ボーッとしたウニが階を間違えて他人の留守宅に入ろうとしていたのだ。
しかし、彼女自身は扉を叩きながら「母親が意地悪している」と思っていただろう。
この様に「◯◯だ」と思っていたことに、別の真実が見えてくることで、少女の世界は広がり、深化して行く。

餅屋を切り盛りする両親は、いつも疲れていてあまり子供たちのことをかまってくれない。
父親は、兄には生徒会長になって名門ソウル大へ行けと言うが、ウニには何も言わない。
両親に関心を持たれていないと感じている彼女を、複雑な世界へと導くメンターとなるのが、漢文塾のヨンジ先生だ。
兄が志望するソウル大に学び、穏やかな雰囲気を纏った大人の女性。
彼女はウニを気にかけて、ちょっとした悩みの聞き手となってくれる。
「相識満天下 知心能幾人(顔を知ってる人は世間に沢山いる、でも心の中を知っているのは何人?)」
古の禅の言葉を引用しながら、ヨンジ先生はこう問いかける。
この言葉通り、ウニは日常の様々な出来事を通して、移ろいゆく人の心に翻弄され、社会の理を学んでゆく。

端正な顔立ちのウニに憧れている後輩の女の子は、ウニのことが好きだと告白するが、しばらくするとよそよそしく、彼女を避ける様になる。
「私のことが好きだと言ったでしょ?」とウニが聞くと、後輩は「それは先学期のことです」と言い返す。
ところがウニはウニで、120日間付き合ったボーイフレンドと別れると、よりを戻そうとする彼に「あなたのことが好きだったことは一度もない」と言い放つのである。
人の心は変わり、永遠のものなど何処にもない。
ウニの耳の下にしこりが見つかり、手術して取り除くことになった時、自分に関心がないと思っていた父親が、心配して涙を流して悲しむ姿を見る。
自分を裏切ったと思っていた友達が、その時に感じていた本当の気持ちを知る。
知っていると思っていたことを、実は知らなかった

そして、ウニの心に、世界を変えるほどの大きな衝撃を与えるのが1994年10月21日に起こった聖水大橋崩落事故だ。
漢江にかかる巨大な橋は、手抜き工事によってあっけなく崩れ落ち、巻き込まれた路線バスの乗客ら32人が亡くなる大惨事となった。
この事故によって、初めて大切な人を失ったウニは、この世界の脆さと儚さを知るのである。
基本的には本作は一人称視点で描かれ、ウニの心に寄り添っているが、それゆえに劇中で起こることは必ずしも幼い主人公の心中で咀嚼しきれない。
しかしそのもどかしさが、普遍的な青春の成長痛となって、説得力たっぷりに語りかけてくるのである。
大きな喪失を経て、力強く成長したウニはどんな女性になるのだろう。
たぶんに自伝的な要素はあるのだろうが、キム・ボラ監督はウニは自分そのものではないと語ってる。
ならば、物語としての続きが見たい。
例えばグレタ・ガーウィクには、「フランシス・ハ」「レディ・バード」と言う、シリーズではないが共に自分の分身の様なキャラクターを描く作品が複数ある。
高校生となって青春を謳歌するウニ、社会人として葛藤するウニ、リアリティたっぷりだからこそ、彼女の未来へ想像力が膨らんでゆく。

それにしても、たった四半世紀前だと言うのに、この時代感。
たぶんこの間に韓国社会の中で「女性であること」の意味が大きく変わったのだろう。
本作を観て、どうしても思い出してしまったのが、これも映画化される大ベストセラー小説「82年生まれ、キム・ジヨン」のこと。
心を病んだ33歳のキム・ジヨンが夫と共に病院を訪れ、2015年のソウルを起点に精神科医が彼女の人生を紐解いて行く。
そして彼女が心のバランスを崩した要因として、長年にわたる女性の置かれた理不尽な社会状況が浮かび上がってくる。
81年生まれのキム・ボラ監督もほぼ同世代。
実際本作の描写には、「82年生まれ、キム・ジヨン」を思わせる部分が多々ある。
兄に殴られたと言うウニに、ヨンジ先生は言う。
「殴られたら、殴られたままにしないで」と。
この四半世紀の間、韓国の少女たちは確かにそのままにはしなかったのだろうな。

今回はタイトルから「ハミングバード」をチョイス。
ホワイト・ラム30ml、ココナッツ・クリーム30ml、コーヒー・リキュール 15ml、バナナ1/3〜1/2、イチゴ3〜4個、クラッシュド・アイス2/3カップをパワーブレンダーでミックス。
ハリケーングラスに注ぎ入れ、最後にスライス・レモンをグラスのフチに飾って完成。
クリーミーでフルーティー。
シェイク感覚で楽しめるトロピカルなカクテルだ。

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