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ショートレビュー「見栄を張る・・・・・評価額1600円」
2018年04月10日 (火) | 編集 |
プライドよりも、大切なこと。

藤村明世監督の長編デビュー作は、愛すべき小品である。
主人公は、28歳にして自信喪失気味の売れない女優・絵梨子。
高校生の頃から女優を夢見て、上京して10年頑張ってはいるものの、仕事にはなかなか恵まれず、代表作と言えば何年も前のビールのCMくらい。
芸人志望の年下の彼氏・翔は、稼ぎゼロのヒモ状態だが、惰性でなんとなく付き合っている。
自分でも何とかしなければ・・・と思っているアラサーの彼女に、ある日突然の知らせが入る。
何かにつけて自分を心配していた姉の由紀子が、交通事故に遭い亡くなったのだ。
葬儀のために故郷へと帰った絵梨子は、姉が葬式で泣く弔問客を演じる、いわゆる「泣き屋」だったことを知る。
女手一つで育てられた姉の一人息子・和馬の行く末を案じた絵梨子は、しばらく故郷に留まろうと、由紀子の後任に立候補するも、泣き屋という仕事の意味を理解出来ず、散々な結果に。

自信のない人ほど、不必要な見栄を張る。
泣き屋を雇い、葬式を賑やかして見栄を張ること、「私は東京の女優よ」と見栄を張ること、どちらも本質を外れて誤魔化す行為だ。
だが、この映画に描かれる泣き屋は、とにかく泣いてその場を繕えば良いと言うことではない。
人と人との接点が希薄化している現在、泣き屋でなくとも誰かの葬儀に出席したとして、必ずしもその人のことを深く知っている訳ではないだろう。
涙を流すことなら、演技をかじっていれば誰でも出来るが、涙ひとつとっても本当はそこに意味があるのだ。
どんな想いで流す涙か、それが重要なのである。
この映画の泣き屋は、いわば弔いの演出家で導き手であり、弔問客が亡き人へ感情移入する動線。
ゆえに、きちんと気持ちを作って、なり切らなければ説得力がない。
これは正に、本質的な役者の仕事である。
自信を失い、他人の視線を意識した表層的な演技しか出来なくなっていた絵梨子は、泣き屋の仕事を考えることを通して、大きなヒントを掴む。
同時にそれは、陥っていた自己閉塞を打破し、足踏み状態の人生を前に進めることになる。

“撮影師”長田勇市が、舞台となる和歌山の情景を実に映画的にフレーミングし、久保陽香が絵梨子の内面を繊細に演じる。
和馬のキャラクター造形があまりにもいい子すぎたり、心情の掘り下げがやや演技頼りになっていたり、藤村明世の演出は成長の余地を残すが、心に残るデビュー作だ。
劇中で、絵梨子の成長に決定的な役割を果たすのが、小栁圭子演じるおばあちゃんの依頼なのだが、あのお葬式はとても印象深い。
絵梨子の泣きを通して、姉の由紀子がどんな泣き屋だったのかも伝わってくる、いいシーンだった。
なんとなく、自分の葬式でもこんな泣き屋なら雇ってもいいかなと思わせるのだから、映画の勝利と言っても良いと思う。

ところで、斎藤工監督の「Blank13」にも泣き屋が出て来たが、この職業は今の日本にも実際にあるんだろうか。
孤独に死ぬ人が増えてるし、この映画が描く弔いの形、弔いの意味はとても現在性があると思う。
イギリスの映画で、身寄りのない人の葬儀を行う民生係を描いた「おみおくりの作法」という佳作があるのだけど、死者に寄り添う主人公の心情は、この映画の泣き屋の心得と少し被るものがあるかも知れない。
ちなみに、監督の話だと本作は女性には好評な一方で、若い男の子たちの感想が辛辣らしい。
まあ劇中の翔みたいに男は精神年齢低いから、この映画のシチュエーションはある程度歳を重ねないと実感に乏しいのかも知れないな。
若い頃よりも“死”を身近に感じる中年のおっさんとしては、こじらせちゃってる絵梨子にも、泣き屋を依頼するおばあちゃんにも、思いっきり感情移入したよ。

今回は舞台となる和歌山の地酒、「黒牛 純米吟醸」をチョイス。
私の親は和歌山の出身なので、昔は帰省するとよくこの酒を買って来ていた。
しっかりしたコクがあり、フルーティでまろやか。
和歌山の日本酒は比較的甘いのが特徴で、黒牛の純米も日本酒度以上に甘みを感じ、名前の通りにお肉料理とよく合う。

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ウィンストン・チャーチル /ヒトラーから世界を救った男・・・・・評価額1700円
2018年04月07日 (土) | 編集 |
“政治屋”の孤独。

おそらく、20世紀の世界史で最も有名な人物の一人だろう、第二次世界大戦下のイギリスを率いた、ウィンストン・チャーチルを描く重厚な歴史ドラマ。
ナチス・ドイツの脅威がドーバー海峡に迫り、国論が対ドイツ融和派と強硬派の真っ二つに割れる中、政権を託されたチャーチルはいかにして国をまとめ上げたのか。
ここに描かれるのは、闇が世界を覆い尽くそうとする時、時代の趨勢に抗った政治のプロフェッショナルの孤独と苦悩だ。
「博士と彼女のセオリー」のアンドリュー・マクカーテンが脚本を担当し、監督は「つぐない」「アンナ・カレーニナ」のジョー・ライトが務め、スタイリッシュかつ暗喩的な映像で魅せる。
細身のゲイリー・オールドマンが、辻一弘の特殊メイクによって、恰幅の良いチャーチルに大変身。
無冠の帝王の称号を、初のオスカー戴冠で返上したのも納得、圧巻の名演だ。

イギリス政界の嫌われ者、ウィンストン・チャーチル(ゲイリー・オールドマン)に、運命の瞬間が迫っていた。
戦争の拡大を受けて、チェンバレン首相は辞職を表明、挙国一致内閣を成立させられるのは、野党労働党の支持を受けられるチャーチルしかいなかったのだ。
国王ジョージ6世(ベン・メンデルソーン)の組閣要請を受けたチャーチルは首相に就任するも、同盟を組むフランス政府は既に戦意そう失し、英仏の陸軍はダンケルクへと追い詰められつつある。
しかも、党内バランスを重視して組閣したため、戦争内閣も対独融和派と強硬派が拮抗し、決して一枚岩ではない。
ドイツ軍がダンケルクを包囲し、刻々とタイムリミットが迫る中、チャーチルは民間船を徴用してダンケルクへと向かわせる“ダイナモ作戦”を発動。
一方、融和派のチェンバレン前首相(ロナルド・ピックアップ)と外相のハリファックス伯爵(スティーヴン・ディレイン)は、チャーチル降ろしを画策するのだが・・・


1939年の9月、ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発。
ドイツは翌40年4月に、デンマーク、ノルウェーを攻略し、5月には遂にフランスとベネルスク3国への電撃戦を開始する。
機械化された機甲師団と航空支援により、迅速に展開するドイツ軍のスピードに、第一次世界大戦の経験に囚われいたフランスは対抗できず、瞬く間に国土を蹂躙され陥落寸前。
仏国内に駐留していたイギリス軍と一部フランス軍の40万人は、フランス北部のダンケルクへと追い詰められる。
イギリスのチェンバレン首相は、ドイツに対して融和政策をとり、状況判断を誤ったとして、批判が高まり辞任。
誰が首相になっても荊の道が待っている難局に、チェンバレン内閣の海軍大臣だったウィンストン・チャーチルが、担ぎ出されたという構図。

この時点で65歳の古参政治家だったチャーチルは、失敗と成功を行ったり来たり。
世論に乗っかって保守党を離党して自由党に所属し、その後また保守党に舞い戻るなど政界渡り鳥でもあったので、当然敵も多い。
劇中で何度も言及されるガリポリの戦いは、チャーチルがアスキス内閣の海軍大臣だった第一次世界大戦中、オスマントルコのガリポリ半島への上陸に失敗し、15万人にのぼる膨大な死傷者を出した作戦。
もっとも、これは艦隊を直ちに差し向けよというチャーチルの命令に、海軍卿のジャッキー・フィッシャーらが反対したことで、結果的に中途半端な体制での上陸となり、トルコの猛反撃を許したもので、一概にチャーチルの責任とは言い難いのだが。
ガリポリの戦いの悲惨さは、若き日のメル・ギブソンが主演し、ピーター・ウィアーが監督したオーストラリア映画、「誓い(原題:Gallipoli)」を見るとよく分かる。

本作の原題は「Darkest Hour」
功罪あるチャーチルにとって“最も暗い時間”、1940年5月10日の首相就任直前から、ダンケルクの英仏両軍を成功裏に撤退させたダイナモ作戦後の、有名な庶民院での“We shall never surrender.”の演説までの四週間を描く。
昨年大ヒットしたクリストファー・ノーラン監督の「ダンケルク」は、ダイナモ作戦の現場を時系列の異なる三つのパートに分けて描いた。
「防波堤」パートは救出を待つ陸軍兵士たちの1週間、「海」は救出に赴く小型船の1日、そして「空」は救出を妨害するドイツ空軍と空中戦を繰り広げる、スピットファイア戦闘機隊の1時間だ。
ノーランは徹底的に現場で起こった事象に拘ってこの構成にしたのだが、実際に戦争の現場の命運を決めるのは会議室での出来事だ。
ヒットラーを忌み嫌う対ドイツ強硬派のチャーチルは、最初から全面戦争の覚悟を決めているが、その前に国内、いや閣内の融和派との闘争に勝利しなければならない。

党内基盤の弱いチャーチルは、国王の信頼を得ると、彼の助言を受けて庶民の生の声を求めて初めて地下鉄に乗る。
階級社会のイギリス国会は非公選の貴族院と、公選の庶民院の二院制。
チャーチルは庶民院議員とはいえ、貴族の血を引く二代目政治家と言うエスタブリッシュメントゆえに、普段は運転手付きの高級車で送迎され、公共交通機関など乗り方も知らない。
地下鉄に向かう前に、車から窓の外の市井の人々の日常を見つめるシーンは、映画の序盤の同様のシーンの対となっていて、平和が急速に失われ、戦争の惨禍が迫っていることを街の様子から端的に感じさせる秀逸な描写。
決意したチャーチルは、地下鉄に乗り込んで、居合わせた人々の声を直接聞くのだが、面白いのはその直後の国会での演説シーンだ。
彼は、たった今地下鉄で聞いてきたことと称して、自党の議員たちに向けて主戦論を支持する人々の言葉を豪快に盛って、と言うか捏造して語り、拍手喝采を浴びるのである。
良くも悪くも生まれ付いての“政治屋”の気質と言うか、自分の目的を達成するためなら手段は選ばず。
この部分はフィクションが入っている様だが、こうして社会は覚悟を決めた少数のラジカルな人物によって、強引に動かされてゆくのだなと実感させられる名シーンだ。

本作はノーランの「ダンケルク」には存在しない、もう一つの時系列、政治家たちの1ヶ月を描く「会議室」の物語であり、歴史の同じ事象を異なる視点から描いた二つの映画は、相互補完的な関係にある。
「ダンケルク」が、大撤退の奇蹟を現代イギリスの神話として再構築した作品だとすれば、ジョー・ライトはその裏側で何が起こっていたのか、ダンケルクに向かうドイツ軍を牽制して捨て石となったカレーの部隊の犠牲を含め、神話の実像を綿密に描き出すのだ。
もっとも、映画を見ているとまるで全滅したようにも見えるカレーの部隊は、実際には多大な犠牲を出した後、5月26日に降伏している。
これはチャーチルの政治的ウソに通じる映画的ウソで、だから歴史を描く劇映画は、どんな作品であろうとも、まるまる信用してはいけないのだけど。
ライトの作品では、「つぐない」もダイナモ作戦が重要なモチーフとなっていたが、やはり英国の作家にとってダンケルクの記憶とは、かくも重要なものなのだろう。

そして、前評判通り圧巻の名演を見せるゲイリー・オールドマンは、文句なしに本作のMVP
チャーチルが今の時代にいたらパワハラ・セクハラ爺さんだろうが、攻撃的でパワフルな表の顔と繊細な裏の顔を見事に表現していて素晴らしい。
その思想や政治手法など、手放しでは賛同できない部分も含めて、複雑な人間性を演じ切った。
リリー・ジェームス演じる秘書のエリザベスを、物語の案内役兼観客の感情移入キャラクターにしたのが上手く、最初は横柄な非共感キャラクターのチャーチルが、だんだんと可愛く見えてくる。
テリングでは、凝った映像表現に定評があるライトらしく、光と影のコントラスが特徴的。
映画全体を“舞台”に閉じ込めるという奇策を使った「アンナ・カレーニナ」ほどではないが、国会などはまるで舞台の様にスポットライトが当たっている。
「Darkest Hour」の原題通り、エレベーターや専用トイレの狭い空間、ドアの窓枠などで切り取られチャーチルが闇に囲まれているショットの数々が印象的。
国王ジョージ6世との会食シーンでも、柔らかな光に包まれた王の前で、彼だけが逆光で闇の中にいる。
漆黒に閉ざされた専用トイレから、アメリカのルーズベルト大統領に電話をかけ、援助要請を断られるシーンは、追い詰められたチャーチルの孤独と焦燥を強く感じさせ、本作の白眉だ。

独裁色の強い、ストロングマン・タイプのリーダーが各国に次々と現れる現在、本作もある意味、非常にタイムリーな作品と言えるだろう。
ここでチャーチルの見せるリーダシップは、現在の世界に置き換えるとどうなるのか?
もしもこの時代の英国人だったら、支持するのはチャーチルかチェンバレンか?
人間的な好き嫌いは別として、求めたいのはどのようなリーダーだろうか?
80年近く前の“最も暗い時間”と、そこに光を導いたチャーチル像から見えてくるのは、実は現在の世界の比喩的な鏡像なのかもしれない。

チャーチルは酒豪であり、様々な愛飲酒が知られているが、今回はアルメニアのエレバンブランデー社が、白ワインを原料として作るブランデー「アララット アフタマール」をチョイス。
ラム酒に近い独特の甘い香りがあり、ブランデーとワインの中間的な味わいだ。
第二次世界大戦中にクリミア半島で行われたヤルタ会談時に、チャーチルが当時ソ連領だったアルメニアブランデーをいたく気に入り、スターリンに年間数百本を送らせたという逸話が残っている。
まあこの人の場合、飲めればなんでもよかったと言う気がしないでもないけど(笑

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ショートレビュー「ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル」・・・・・評価額1600円
2018年04月04日 (水) | 編集 |
友情・勇気・勝利!スキルを駆使して突破せよ!

楽し~!こりゃヒットする訳だ。
クリス・ヴァン・オールズバーグ原作の「ジュマンジ」が、故ロビン・ウイリアムズ主演で映画化され、本国公開となったのは1995年のクリスマスシーズン。
不思議な魔力を持ったボードゲーム“ジュマンジ”によって、ゲームの世界が現実に出現するという斬新な設定を、「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー」のジョー・ジョンストン監督が魅惑的なビジュアルで描き上げ、クリーンヒットを飛ばした。
汎用性のある設定ゆえに、すぐに続編が作られるのだろうなと思っていたが、10年後の2005年になって同じ原作者の「ザスーラ」がジョン・ファヴロー監督で映画化されたものの、続編に関してはいつまで経っても作られず、今回21年目にしてようやく実現。

久々のリブートで、前作を観ていない人が多くなっていることもあるのだろう、続編でありながら半分リメイクのような作りになっているのが面白い。
前作はウィリアムズ演じるアランが1969年にゲームの中に閉じ込められ、1995年になってゲームを開いたジュディとピーターの兄弟、26年前に自分を見捨てたサラと共闘してゲームをクリア。
四人はそれぞれの時代へと帰り、川に流されたジュマンジが海岸に流れ着いて終わるのだが、今回は1996年に少年アレックスがそのジュマンジを拾うところから始まる。
完全な続きものでありながら、物語としては独立しているので、前作を観てなくても問題無い作り。
ボードゲームだったジュマンジは、アレックスの気をひくために魔力でTVゲームにトランスフォーム。
彼がゲームの世界に吸い込まれた後、存在を忘れられて20年、たまたまジュマンジを見つけた現在の高校生、スペンサー、ベサニー、フリッジ、マーサの四人が再びゲームをプレイする。
前作ではゲームの世界が現実に召喚されるが、今回は逆に現実の人物がゲームの世界に吸い込まれる形となり差別化。
ARとVRの違いみたいなものか?
アランの役割をアレックスが引き継ぎ、時間SF的な要素も踏襲されている。

一番の相違点は、ゲーム世界の世界に入ると性格はそのままに、肉体的に現実とは対照的なバーチャルキャラクターに変わること。
気弱な秀才スペンサーはマッチョなドウェイン・ジョンソンに、自己中な美少女ベサニーはあろうことかデブでオヤジなジャック・ブラックに。
スポーツマンのフリッジはチビで足の遅いケヴィン・ハートとなり、体育嫌いで人付き合いの苦手なマーサは戦闘美少女系カレン・ギランに。
このギャップの可笑しさは、「君の名は。」「レオン」などの入れ替わりコメディに通じる。
特にジャック・ブラックのオネエ演技は、「レオン」で元KARAの知英と入れ替わった竹中直人並みの破壊力だ(笑
この四人に、20年前に消えたアレックスが加わり、ゲームクリアに必要な全てのスキルが揃うというワケ。
思春期のコンプレックスと問題を抱えた若者たちが、冒険を通して力を合わせることを学び、それぞれの役割を果たして成長するのは、この種の青春エンタメの王道だ。

本作の構造としては、ほぼ完全な異世界ファンタジーなので、現実が非現実に侵食される前作の方が、映像としての未見性は強かった。
ゲームのシステムが変わった今回は、キャラの入れ替わりの面白さに加えて、「三回死ぬとお終い」のライフの設定などを効かせて盛り上げる。
特撮畑出身で、誰も見たことのない凄いビジュアルを作ることを得意とするジョー・ジョンストンと、「バッド・ティーチャー」や「SEXテープ」など、ちょいお下品でキャラクターの可笑しさで見せるコメディ畑のジェイク・カスダン監督の持ち味の違いが、そのまま作品の魅力となる。
両作に共通するのは、ドンドコドンドコとドラムの音が鳴る度にワクワクする高揚感で、オリジナルにたっぷりのオマージュを捧げた上で、上々の出来栄えのアップデートとなった。
予想外の大ヒットを受けて、続編も早速決まったそうなので楽しみ。
関係ないけど、ジュマンジの案内人のナイジェルは、予告編観た時からずっとネイサン・フィリオンだと思ってた。
髭面に帽子で分かりにくいけど、顔も声もそっくりじゃない?

今回はそのまんま「ジャングル・ファンタジー」をチョイス。
氷を入れたタンブラーにグリーン・バナナ・リキュール40mlとパイナップル・ジュース120mlを注ぎ入れ、ステアして完成。
グリーン・バナナのコクのある甘みと、パイナップルのサッパリとした甘酸っぱさの相性はとてもいい。
夏に飲みたいカクテルだ。

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ペンダゴン・ペーパーズ 最高機密文書・・・・・評価額1750円
2018年04月01日 (日) | 編集 |
報道は、誰の為にあるのか。

さすがスピルバーグ、地味な素材ながら圧巻の面白さ。
アメリカ政府がひた隠すベトナム戦争の真実を、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストが暴露した史実の映画化。
メリル・ストリープとトム・ハンクスという、現代ハリウッドを代表するオスカー俳優が、それぞれワシントン・ポストの女性社主と敏腕編集主幹を演じる。
二人は、経営と現場というそれぞれの立場で苦悩しながら、失政の事実を捻じ曲げ、報道の自由を統制しようとする政府に対し、ライバルのニューヨーク・タイムズと共闘する。
真実を明らかにしようとする人々に、幾つもの困難が次々と襲いかかり、結果を知っていても最後まで目が話せないサスペンスフルな仕上がり。
公文書管理の在り方が、深刻なイッシューになっている今の日本にとって、ものすごくタイムリーな作品でもある。
※核心部分に触れています。

ベトナム戦争が泥沼化し、反戦運動が盛り上がりを見せる1971年。
株式公開を控えたワシント・ポストの社主キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)は、ワシントンの名士たちとの会合に余念がない。
一方、編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は、ライバル紙ニューヨーク・タイムズのエース、ニール・シーハン記者が3ヶ月も記事を書いていないことが気になっていた。
彼は何か大きなスクープを掴み、それに専念しているに違いない。
ベンの予想は的中し、タイムズは政府が長年にわたって隠蔽していたベトナム戦争に関する極秘文書、“ペンダゴン・ペーパーズ”を暴露し、全米に衝撃を与えた。
政府も、タイムズの文書の追加掲載差し止めの仮処分を求めて、裁判所に提訴。
仮処分は認められ、もし最高裁がこれを最終的に追認すれば、文書の残りは永久に掲載できなくなる。
ようやく情報源にたどり着いたポストも、4000ページに及ぶ文書を入手し、ベンは裁判所の判断を待たずに掲載しようとするが、経営陣や法務部は強硬に反対。
株価に悪影響を与えるどころか、場合によっては会社の存続すら危うくなる事態に、キャサリンはトップとして究極の決断をせまられる・・・


もしもあなたが、国家が国民を欺いた証拠となる文書を入手したら、どうするだろうか。
21世紀の現在なら、インターネットという強力な武器があり、やりようによっては個人でも国家と闘えるかもしれない。
だが、本作の舞台となる1971年には、それを扱えるだけの影響力を持つのは、新聞・TVなどの大手マスメディアだけだった。
劇中で何度も言及される合衆国憲法修正第1条は、1791年に制定された権利章典と呼ばれる国民の人権を保障する10の条文の中でも、信教の自由、言論の自由、出版・報道の自由、集会の自由、請願の自由を保障している。
自由主義国家としての合衆国の根幹に関わる、最も重要な条文だ。
この根幹が揺り動かされたのが、1971年に起こった「ペンダゴン・ペーパーズ」のスクープと、それに対する政府の対応なのである。
この文書には、1945年の第二次世界大戦終結から1968年までの23年間に及ぶ、アメリカによるインドシナ半島への介入の歴史の詳細と共に、ベトナム戦争が勝利する見通しのない戦争だったことが書かれていた。
国民に嘘をつき、勝てない戦争に若者を際限なく送り込むことが許されるのか?
当時のニクソン政権は、暴露は情報漏洩であり、アメリカ国家の安全保障に深刻な影響を与えるとして、掲載の差し止めを求めて提訴。
政府の都合で言論・報道の自由を制限することの是非が争われ、後の同様の判例に大きな影響を与えた。

映画は、経営トップの社主キャサリン・グラハムと、現場を率いるベン・ブラッドリーの二人を軸として、双方の物語をクロスカッティングの手法で並行して描く。
片やフィックス基調の落ちついた画作り、片や忙しなくカメラが動き回るコントラスト。
会社は新しい時代へ対応するため、一族経営体制から株式公開して資金調達を図ろうとしており、キャサリンは首都ワシントンの政財界の名士たちと、会食やパーティーを重ねている。
安定を重んずる投資家たちにとって、投資先の会社が政府と敵対することは決して好ましいことではなく、ましてや会社存続の危機に陥るかもしれない極秘文書暴露など、経営的には最悪のタイミング。
特に、当時は珍しい女性社主だったキャサリンは、別のプレッシャーにも晒されている。
彼女の父ユージーン・メイヤーは、アメリカの中央銀行に当たる連邦準備制度理事会議長を務めたほどの人物で、破産したワシントン・ポストを買収し、米国有数の高級紙として育て上げた。
そしてキャサリンの夫のフィルが社主を継ぐのだが、やがて重圧に耐えかねて自殺してしまい、専業主婦だったキャサリンに突然社主の椅子が回ってくる。
ワシントン・ポストという会社に対する愛は深いものの、突然放り込まれた男社会の中で、自分は心からの信頼を勝ち得ていないのではないか、お飾りと思われているのではないかという気持ちが、彼女の中でずっと解消していないのである。

一方、ベン・ブラッドリーに率いられた現場は、経営の事情などお構いなしで、ニューヨーク・タイムズへの掲載が仮処分で差し止められている間に、ベンダゴン・ペーパーズを追い求める。
もともとタイムズに渡った文章は、軍関係のシンクタンクとして有名な、ランド研究所に保管されていたもの。
密かに人脈を辿り、遂に文書を持ち出した元職員ダニエル・エルズバーグに行き当たる。
ところが、ポストに届いたのは、未整理の文書実に4000枚。
ページの順番すらバラバラな文書を急いで読み解き、タイムズの仮処分に裁判所が判断を示す前に、掲載しなければならない。
もし裁判所が政府の意向に沿って差し止めを認めれば、ポストとしても掲載することが出来なくなってしまうからだ。
可能な限り急ぎたい現場と、政府と衝突するリスクを減らしたい、即ち裁判所の判断を待ちたい、経営・法務陣。
どちらも正論のせめぎ合いは見応えがあり、同時に最高責任者としいて最終判断を委ねられるキャサリンの苦悩もまた深まってゆく。

面白いのは、現場が権力の不正を追求する一方、キャサリンはケネディ/ジョンソン政権の国防長官であり、ペンダゴン・ペーパーズの責任者であった、ロバート・マクナマラの親友だという人間関係。
キャサリンが現場にGOサインを出すことは、そのまま長年の友人の不名誉を明らかにすることに等しい。
一方、ベンはベンでケネディ夫妻とごく親しい間柄だったりするし、ぶっちゃけ皆狭いワシントン村の住人でズブズブの仲なのである。
だからこそ、二人は自戒の念を込めてそれぞれの立場で葛藤するし、日本的に忖度が発生してもおかしくない状況なのだが、この映画の登場人物は原理原則のところでは決してブレない。
報道が奉仕すべきは国民であって、権力者ではないのだ。
言論の自由と国民の知る権利は、政府の面子を保つよりもはるかに大切で、そのために経営者は言論の奉仕者たるメディアの現場を守らねばならない。
首都ワシントンの華やかな社交界に生きる経営トップも、着々とスクープを準備する現場指揮官も、アメリカの民主主義を守るという目的は同じ。
政府の訴えを退ける最高裁判断を勝ち取ったキャサリンは、支持者やマスコミの集まる裁判所前の階段を堂々と降りてくる。
自由の国のリーダーシップのあるべき姿を示した彼女を見つめる、多くの若い女性たちの視線が印象的だ。
これはジェンダーイコーリティーを隠し味に、言論・報道の自由を守る闘争を正面から描いた骨太のポリティカルサスペンス。
「フェイクニュースだ!」を口癖に、メディアへの敵対姿勢を露わにしたトランプ大統領の登場後、企画開始から公開までわずか一年という、ハリウッド映画としては異例のスピードでこの映画を作り上げた人々もまた、登場人物たちと同じ危機感と志を抱いているのだろう。

しかし、文書の責任者であったマクナマラに対する描写が、どちらかと言えば同情的なのに対し、実際に報道規制に走ったニクソン大統領は、とことん卑劣で救いようの無い憎まれ役になっているのが面白い。
映画が終わって劇場の灯りがつくと、そのまま「大統領の陰謀」を観たくなる終盤の作りも含めて、トランプ政権の行く末を暗示していると捉えるのはうがち過ぎだろうか。
ちなみに、トランプ批判の急先鋒でもあるワシントン・ポストの現オーナーは、何かにつけてトランプ政権と対立しているAmazonのCEOジェフ・べゾスだったりするから、やはりワシントン村の人間関係は面白い。
トランプ政権の未来を決めるのは、ネットの世界の支配権をめぐる新たな闘争なのかもしれない。

今回は辛口の映画ゆえに、辛口のカクテル「マティーニ」をチョイス。
ドライ・ジン48ml、ドライ・ベルモット12mlをステアしてグラスに注ぎ、オリーブを一つ沈めて完成。
「カクテルの帝王」と呼ばれるほど、メジャーな一杯。
「007」シリーズや「7年目の浮気」などの映画にも登場するほか、酒豪ウィンストン・チャーチルの愛飲酒の一つとしても知られる。
もともとはスイート・ベルモットが使われていたので、それほど辛口ではなかったようだが、次第にドライ・ベルモットに移行し、辛口のカクテルの代表格となった。
キリッとした輪郭の味わいで、強いが悪酔いしにくいのも、スパイや政治家に愛される理由?

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ショートレビュー「アイスと雨音・・・・・評価額1700円」
2018年03月28日 (水) | 編集 |
演じることは、生きることだ。

似た作品が思い浮かばない、強烈なインパクトを放つオンリーワンの作品である。
「アズミ・ハルコは行方不明」やTVの「バイプレイヤーズ」で知られる、松居大悟監督の大変な意欲作だ。
若い俳優たちを、オーディションで集めた芝居の準備が進んでいる。
作品は、イギリスの劇作家Simon Stephensの「MORNING」。
親友が街を出て行くことをきっかけに、動き始める若者たちの不穏なドラマだ。
未熟だが、熱い情熱を持った出演者たちは、時にぶつかり合いながらも、上演に向けて準備を進めて行く。
ところが興行的な理由で、初日のわずか一週間前に上演中止が決まり、若者たちの想いは突然断ち切られてしまうのだ。

実はこれ、実際に松居監督が演出するはずだった舞台が、上演二ヶ月前に中止されたことから着想した作品だという。
どうしても上演したいと願う青春の熱情と、それが許されない現実。
本来の初日までの残り一週間、若者たちの中で混じり合う厳しい現実の葛藤と芝居の中の葛藤、この二重構造を74分ワンカットで描く。
業界の内幕を描く、いわゆるセルフ・リフレクシブ・フィルムだが、劇中劇を現実から俯瞰するメタ的な構造とは明確に違う。
これは映画と演劇、現実と虚構がシームレスかつイコールに混じり合う、まか不思議な世界。
出演者同士が役者として会話していたと思うと、次の瞬間にはそれは劇中劇のワンシーンとなっている。
そして、そのシーンが終わるとまた現実に戻るのだが、劇中劇の前とは別の日になっているのだ。
上演一ヶ月前のリハーサルシーンから始まる映画は、芝居の切り替えでどんどんと時間をジャンプしてゆく。
ビスタサイズで描かれる部分は現実で、上下にマスクが入りシネスコサイズになるとそれは劇中劇。
舞台もリハーサルスタジを飛び出し、下北沢の街中に、そして聖地・本多劇場へ。
極めて演劇的でありながら、同時にカメラなしでは描けない映画的表現だ。

音楽を担当するMOROHAの二人がそのまま画面に登場し、ストーリーテラーの役割を果たす。
面白いのは、スクリーンの同じ空間にいるにも関わらず、映画の登場人物には彼らは見えていない、聞こえていないこと。
いわばキャラクターを持った心の声として機能するMOROHAのレリックと、暴走する劇中劇の登場人物、現実の出演者の閉塞した想いがぶつかり合い、混沌を深める映画は幻の初日に向かって走りだす。
やがて全てが一つに融合する瞬間は、現実と虚構のその先にある、幾つものナラティヴ芸術の融合から生まれた、新たな化学反応がもたらすカタルシス。
映画とは、こんなにも自由なものなのだ!

監督の松居大悟も本人役で出演。
実際に映画、演劇、TV、MVと、ジャンル横断的に活動している作者だからこそ、作り得た作品なのは間違いないだろう。
まだ32歳ととても若い人だが、現時点での集大成と言えるのではないか。
劇中劇同様、オーディションで選ばれたキャストも全員実名だ。
軸となる森田想は、ちょっと十代の頃の蒼井優を想わせるキャラクターで、鮮烈な印象を残す。
これは映画という映像表現と演劇というライブ表現、現実と虚構の垣根を取り払い、新しい表現に挑戦したユニークな実験映画で、小規模公開ながら商業作品として成立させたのが奇跡。
色々な意味で、最後まで攻め切った映画だ。

今回は、意外性のあるミックスということで、日本酒ベースのカクテル「春の雪」をチョイス。
日本酒30ml、ジン20ml、グリーンティーリキュール10ml、レモンジュース5mlを氷と一緒にシェイクし、グラスに注ぐ。
サントリースクールの花崎一夫氏が考案したカクテルで、グリーンは本作の若い俳優たちのように、春先に芽吹く緑をイメージしている。
日本酒ベースのカクテルゆえに、日本酒の銘柄によって味わいは大きく異なる。
個人的にはやや辛口の純米酒がオススメ。

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