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酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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東京フィルメックス2018 まとめのショートショートレビュー
2018年11月25日 (日) | 編集 |
東京フィルメックス2018が閉幕したのでつぶやきまとめ。
今回観ることができた6本のクオリティ・アベレージは、例年よりも低目だった。
一番面白かったのは、麻薬戦争下のフィリピンを描いた「アルファ、殺しの権利」で、これは正式公開を望みたい。

幻土・・・・・評価額1450円
シンガポールの埋立現場から中国人移民労働者が失踪し、不眠症の刑事が彼の消息を追う。
一方、失踪した労働者もまた、忽然と消えた友人のバングラデシュ人の行方を探していた。
刑事と労働者は、やがてお互いのことを夢に見て、二つの物語はシームレスに融合する。
島国の都市国家シンガポールは、国が出来た時から他国から土を輸入し、埋め立てることで形を変えてきた。
まさに永遠に完成しない、白日夢の様な幻の土地だ。
刑事も労働者も不眠症で、いつしか登場人物の意識はシンガポールという国と一体化し、メタファーとなる。
建国以来、国土面積が25%も増え、埋立労働者のほぼ全てを占める移民も、人口の25%だという。
これは主人公の刑事と過酷な労働環境を生きる移民労働者の“夢”を通して、逆説的に幻のシンガポールの現実を描こうとした意欲作だ。

ロングデイズ・ジャーニー、イントゥ・ナイト・・・・・評価額1350円
同一英題のユージン・オニールの戯曲とはあんま関係ない。
映画の前半はファムファタールを探す主人公の、中国版デヴィッド・リンチっぽい幻想ハードボイルド。
後半1時間が劇中劇(?)のワンショット撮影の3D映画という珍品。
ポルノ映画館に入った主人公が3Dメガネをかけるのが合図で、観客も一斉にメガネオン。
まるで迷宮を彷徨う様な後半は、前半出てきた様々なモチーフが虚構の夢として回収されてゆく。
かなり暗くて見難い部分もあるが、未見性もあり結構面白かった。
この後半こそ本作の核心で、要はこれがやってみたかった!って映画。
問題は1時間15分もある前半、というか前振り部分だ。
ぶっちゃけ、はなっから分からせようと作ってないのだが、時系列がぶった切られている上に、意味不明な映像が頻繁に挟まれる。
後半まで来ると、一応前半描かれたことには意味を持たせているし、前半もカメラアングルとかはユニークなことやってる。
こちらを混乱させる意図もあるのだろうが、ちょっと冗長で辛かった。
3D始まる前に退席しちゃったお客さんもいたし、バランス的にももう少し短くても良かったのでは。

華氏451・・・・・評価額1150円
2度目の映像化。
作ったのは「ドリームホーム 99%を操る男たち」の監督ラミン・バーラ二、脚本アミール・ナデリの師弟コンビ。
焚書が制度化された近未来が舞台で、本を取り締まり燃やす“焼火士”の主人公が、本の価値に目覚めるという基本的な流れは変わらない。
ブラッドベリの原作とトリュフォー版は、面白かったが、違和感が拭えなかった部分がある。
書かれた時代の影響が大きいのだろうが、至高の表現である小説が権力から禁止される一方、TVやコミックは低俗だからOKという、活字至上主義的な作者の世界観が「既に歪んでね?」と思ったのだ。
本作ではネットが原作のTVに取って代わり、小説だけでなく、映画も絵画も表現の殆どが禁止された世界。
ここまでは現代的になったものの、終盤に焚書体制を一気にひっくり返す、実にハリウッド的アイデアを脚色で加えている。
残念ながら、このアイデアと下手に隣国の存在を絡ませたことで、プロットが決定的に破綻してしまって、後半の展開は頭に「?」出まくり。
焚書が制度化されたそもそもの原因が、「◯◯の表現が気に入らない!」という正義感を振り回す民衆同士の対立がエスカレートして内戦が起こったから、というのは私がいつも言ってる「誰もが本当に自由な世界は、不快に満ちた世界」と通じるし、焚書を扱いながら表現手法に優劣を付けるという自己矛盾からは抜け出してる。
しかし、これじゃディテールが甘すぎだし、わざわざ「本の人々」を出してきた意味ないじゃん。
ケーブルTVのHBOによる映画館では観られない映画なのは、TVをディスった原作を考えるとアイロニーで、古典も今の時代には新しい意味を持つというコンセプトは良いと思うが、色々残念な出来だった。

エルサレムの路面電車・・・・・評価額1450円
多民族都市エルサレムを走るトラムを舞台に、乗り込んでくる様々なバックグラウンドを持つ人々の、人生の断片を捉えたユニークな作品。
場面・時間は数分ごとにランダム入れ替わり、どの話も特にオチがつくこともなく、主人公がいるわけでもない。
息子に説教を始める老女、本気の喧嘩を始める夫婦、フランスからの子連れの旅行者、福音書をつぶやきはじめる牧師、差別意識丸出しの警備員、ヨーロッパから来たサッカーチーム監督、etc。
ユーモラスなものからシリアスなものまで、エルサレムの今を映し出す。
アモス・ギタイは同時上映の「ガザの友人への手紙」もそうだが、朗読したり詩を吟じたりするのが好きなんだな。
しかし、結構みんな車内で歌ったり演奏したりしてたが、アレはリアルなんだろうか。
パレスチナのラッパーが最高だが、サッカー監督は辞任しそうw

ガザの友人への手紙・・・・・評価額1300円
「エルサレムの路面電車」と併映された、アモス・ギタイの短編。
パレスチナ人とユダヤ人、四人の俳優がお互いに朗読を繰り返し、最終的にカミュの「ドイツ人の友への手紙」に帰結する。
それぞれの朗読内容がパレスチナ・イスラエルの今昔を暗喩。ただ読んで聞いているだけなのに、やっぱ俳優の表現力ってすごい。

アルファ、殺しの権利・・・・・評価額1650円
「ローサは密告された」に続いて、麻薬戦争下のフィリピンを描く、ブリランテ・メンドーサ監督作品。
モチーフは同じだが、アプローチは異なる。
今回描かれるのは、密売所のガサ入れでクスリを盗んだ悪徳刑事と、彼の“駒”として使われる密告者の若者。
登場人物をハンディカメラで背後からフォローするドキュメントスタイルが、リアリティと臨場感を高める。
まるでスラムのニオイまでも漂ってきそう。
刑事は密告者にクスリを売らせ、その上がりの大半を奪い取り私服を肥やす一方、危険を冒す密告者はスラム暮らし。
とことんまで腐ったクソ野郎だが、豊かな生活を送る刑事と、犯罪者だが、娘のミルクにもこと欠く密告者の生活のコントラストが強調され、麻薬問題は結局は経済問題だということが浮かび上がる。
そら生きる糧だから、力で抑えるだけでは最終的には解決しないよな。
街の至る所に自警団が立ち、道行く人を検問する状況で、密告者がどうやってクスリを売りさばくのか、そのプロセスもサスペンスフル。
しかし悪徳刑事を描く警察批判映画なのに、ちゃっかり警察の協力を得てるのがフィリピンの不思議なところ。
見応えある力作だ。

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ショートレビュー「生きてるだけで、愛。・・・・・評価額1700円」
2018年11月24日 (土) | 編集 |
心が触れ合うのは、一瞬。

これは映画女優・趣里を堪能するための作品だ。
本谷有希子の同名小説を、広告ジャンルやドキュメンタリーで知られ、これが初の長編劇映画となる関根光才が映画化。
主人公の寧子は鬱が招く過眠症のため、菅田将暉演じる週刊誌ライターの恋人・津奈木のアパートでずっとゴロゴロ。
ところがある時、別の意味で病んでる津奈木の元カノに強制され、レストランで緩いバイトを始める。
元カノは未練のある津奈木とよりを戻したいのだが、彼の性格的に寧子が依存しっぱなしだと別れられない。
ゆえに、「寝てばかりいないで働け!」というワケ。
まあ相当に強引な理屈だが、とりあえずは流されやすい寧子が外に出るキッカケとなり、閉塞した日常が少しずつ動き出す。

時に過激で、繊細。
またある時は幼く、次の瞬間には妖艶。
罅が入って今にも砕けそうな心に閉じこもりながら、いくつもの表情を見せる趣里が圧倒的に素晴らしい。
よく犬顔、猫顔とか言うが、この人は本当に前世が猫だったんじゃないかと思う。
大きな瞳は猫の目のように映し出す感情がコロコロ変わるし、何より水谷豊より、伊藤蘭よりも猫に似てるじゃないか。
今までも幾つものテレビドラマで印象的なキャラクターを演じてきたが、正直本作での表現力の豊かさには驚かされた。

そして受け身の役柄ながら、「ああこの役には彼しかいない」と思わせる菅田将暉もいい。
「津奈木=繋ぎ」と言う訳か。
寧子は「生きてるだけでほんと疲れる」と言う。
自らも心に鬱屈とした葛藤を抱えながら、危ういまでに繊細な彼女を、こちらの世界になんとか繋ぎとめているのが彼。

しかし、殻に閉じこもって、本当の心を隠しているつもりでも、実はすでに殻が砕け散ってしまっていることに気づく夜がやってくる。
鬱病の人は、躁鬱のループを繰り返す場合が多いと言うが、鬱状態が終わりを告げた寧子は、夜の街を全力疾走しながら、着衣を一枚一枚脱ぎ捨てて、追いかける津奈木がそれを拾い集めて追ってゆく。
ここは序盤の寧子と津奈木の強烈な出会いと対をなすミラーイメージであり、他人にはうかがい知れない二人の不思議な関係の本質を、極めて映像的に表現した名シーン。
女と男が一緒に暮らしていても、生きている世界は違うし、本当に分かり合えるのは一瞬。
でもだからこそ、二人が共に感情を爆発させ、命と心が共鳴し合う一夜は、劇的にエモーショナルだ。

主人公に寄り添った詩的な心象劇であり、プロットは非常にシンプルだが、全く目が離せない。
関根光才の演出は、さすが広告畑の人らしくセンスが抜群で、映像言語でこちらの心の深い部分を鷲掴みにしてガンガン揺さぶってくる。
その技術は老練さすら感じさせ、これがデビュー作とはとても思えないクオリティだ。
しかし、今年の日本映画賞レースの主演女優部門は大激戦になるな。

今回は私的主演女優賞として趣里さんに贈りたいオシャレな日本酒、新潟県の今代司酒造の「錦鯉 KOI」をチョイス。
この酒の最大の特徴は、威風堂々とした錦鯉を模した磁器のボトルデザイン。
もちろん中身も、北陸の酒らしい淡麗でキレのある上品なもの。
高いデザイン性と酒としての本質を両立させた、祝いのための酒だ。

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「GODZILLA 星を喰う者」と「アニゴジ」三部作総括
2018年11月19日 (月) | 編集 |
「GODZILLA 星を喰う者・・・・・評価額1550円」

人類は生きるべきか、滅ぶべきか。

ゴジラが支配する地球へ、嘗てエクシフの故郷を滅ぼした最強の怪獣「ギドラ」がやって来る。
2017年の11月に第1作が公開された、挑戦的な「アニゴジ」三部作完結編。
同時にこれは、平成最後のゴジラ映画でもある。
脚本に「魔法少女まどか☆マギカ」で知られる虚淵玄を起用し、ゴジラというキャラクターの存在といわゆるギャレゴジを思わせる基本デザイン意外、過去の実写シリーズとは全く異なるアプローチをした異色の三部作は、どの様な結末に辿り着いたのだろうか。

第1作「GODZILLA 怪獣惑星」では、いきなりの未来SF設定に驚かされた。
20世紀末、突如として出現した怪獣たちの猛威によって、人類の文明は崩壊。
中でも最後に現れ、他の怪獣たちをも滅ぼしてゆく「ゴジラ」の破壊力は凄まじく、人類は加勢を申し出てきた異星人種「エクシフ」と「ビルサルド」と共に宇宙に逃れ、別の恒星系の惑星へと新天地を求めて旅立つ。
三部作の主人公となるハルオ・サカキ大尉は、この時の混乱により両親を亡くし、ゴジラに対して強い憎しみを抱くようになった青年だ。
しかし、たどり着いた惑星は結局居住に適さず、人類はやむなく地球へと帰還するも、そこはウラシマ効果により2万年もの歳月が過ぎた未来の地球。
「もしかしたら、ゴジラも死滅しているのでは?」という儚い希望は、より強大になったゴジラ発見によって潰え、地球に降り立った戦闘部隊はハルオの指揮のもと、ゴジラ殲滅作戦に打って出るも惜敗。

続く第2作「GODZILLA 決戦機動増殖都市」では、追い詰められたハルオたちが、かつて対ゴジラ決戦兵器として造られた「メカゴジラ」の構成素材、ナノメタルが二万年の間自己増殖し続けたことで出来た生きている都市、その名も「メカゴジラシティ」を発見。
ハルオたちはメカゴジラシティを拠点に、ナノメタルの存在を作戦に組み込み、改めてゴジラに挑もうとする。
だがゴジラを倒すためには、ゴジラを超えるものになるしかないと考えるビルサルドは、勝利を確実にするために、自分たちの肉体をナノメタルに感染させ、メカゴジラシティと同化することを強要。
拒否する人類とエクシフは、ビルサルドと仲間割れを起こし作戦は失敗、ゴジラの熱線攻撃により、メカゴジラシティはあえなく死滅する。

「アニゴジ」三部作の出発点は、「シン・ゴジラ」を含む平成日本型怪獣のオリジンである、巴啓祐の漫画「神の獣」と言っていいだろう。
漫画に登場する大怪獣オーガは、地球という巨大な生命にとって有害要素となった人類を滅亡させるために、地球そのものが作り出した怪獣で、その体は地球と全く同じ構造を持つ。
本作のゴジラも、核実験を繰り返し、地球環境を破壊する人類を滅ぼすために生まれた存在で、さらに人類が地球を留守にしていた2万年の間に、地球そのものと一体化した「ゴジラ・アース」となっていて、オーガの設定とかなり近い。
しかし、この三部作のユニークさは、「怪獣=人類の破壊装置」という設定ににとどまらず、超宇宙規模の生態系を構築していることにある。
劇中、環境生物学者のマーティンは、ゴジラが地球型生物の完成系だとすると、ゴジラを誕生させることこそが、人類そのものの存在意義だったのではないかという考察を口にする。
つまり人類は、地球という子宮がゴジラを生み出すための、栄養素に過ぎないというのだ。

ここで三部作に登場する、地球と宇宙の三つの人型種族の役割が明確に見えてくる。
自らを進化の頂点をゆく者と信じ、怪獣を超えるためには自らをナノメタルと同化して変質させることをも厭わないビルサルドは、究極の唯物論者
対して、次元を超越するほどの超科学文明をもちながら、「神」への信仰に全てを委ねるエクシフは、ゴジラを含めたこの世の全てを高次元の神への供物だと考え、肉体に意味はないと説く観念論者
ハルオに代表される地球人類は、二つの種族のテーゼとアンチテーゼの間で迷い、葛藤し、ジンテーゼを見つけ出す役割だ。
真逆の思想の板挟みとなるハルオは、科学を持ってゴジラの脅威を支配しようとするビルサルドの技術者ガルグと、自らの理解者となり、時に彼を導くエクシフの神官メトフィエスに影響を受け、ゴジラとの戦いを通して人間が人間として生きるとはどういうことかを自問してゆく。

この第3作「GODZILLA 星を喰う者」において、エクシフは彼らの考える神そのものである破壊の使者「ギドラ」を地球へと呼び寄せ、すべてを終わらせようとするのだが、ギドラは球状の「特異点」を作り出しそこから出現する。
つまり、ギドラはワームホールから出現する高次元宇宙の存在であり、二次元の存在が三次元の我々を認識することが出来ないように、こちらからは攻撃はおろか触れることすら出来ない。
ちなみにワームホールは「穴」として描かれることが多かったが、最近の研究では「球」として表現するのが正解の様で、クリストファー・ノーランの「インターステラ―」や、この夏に公開された「ペンギン・ハイウェイ」でも球状のワームホールが登場する。
また地球そのものであるゴジラを捕食するギドラは、「星を喰う者=怪獣の姿をしたブラックホール」と捉えることも出来、地球もまた途轍もなく巨大な超宇宙規模の生態系の一部に過ぎないことが示唆される。

これほどに壮大な世界観を見せつけられ、なおも人類というちっぽけな存在にどのような意味を見つけ出すのか、人間はどうあるべきなのか、どう生きるべきなのかがこの三部作の核心だ。
人類はあまりにも弱い。
しかし、ハルオの葛藤の末の行動によって、地球をギドラの供物とするエクシフの計画は失敗し、彼らの言う宇宙の理は絶対ではないことが露わとなる。
ここでハルオが体現するのは、どんなに絶望的な状況でも、生きようと足掻く人間本来の姿であり、多次元宇宙の生態系というマクロの仕組みを逸脱する、人類というミクロの反乱だ。
そしてそれは、アニメーションという手法だからこそ、従来のゴジラ映画の枠組みに果敢に挑戦出来た、この三部作の立ち位置にも通じるのではあるまいか。

難解な物理用語が飛び交う、ゴジラ映画のファンを戸惑わせるハードSFとしての三部作は、64年のゴジラ映画の歴史に新たな爪痕を残したと言って良いと思う。
だが、「GODZILLA 星を喰う者」を一本の映画として捉えると、完全に「話畳みます」モードで、ほぼここまで積み上げてきた葛藤の帰結する先を巡る会話劇。
ハルオとメトフィエスの禅問答は、これしか無かったと思うが、前2作の様な対怪獣バトルアクションは全く無い。
人間が人間たるが故、ゴジラとの戦いに絶対に勝てないとしたら、人類にとって一番の救済とは何か。
自らをギドラの供物として、ゴジラと共に滅びることを望むのか。
それともどんなに惨めだとしても、運命に抗い生き続けるのか。
恐怖と絶望の終わらせ方を巡る、ハルオの内的葛藤がほぼ全てで、活劇としての魅力は三部作で一番弱いと言わざるを得ない。
非常にユニークな作品だと思うが、三本並べてみると、一番映画的で面白かったのはやはり第2作だ。

ところで、ハルオの葛藤の「解」としては、実は最初からゴジラとの共存を果たしているフツアの民がいるのだが、彼らの神として登場する「卵」の描写はちょっと中途半端。
おそらく、この三部作に続く新たなシリーズが構想されていて、そちらで描くつもりなのだと想像するが、「卵が呼ぶ者=モスラ」も別の宇宙の存在ということなのか、それとも地球がゴジラの反作用として生み出したものなのか、せめて本作で考察のためのヒントくらいは提示してほしかった。
あとハルオの最後の決断は、心情としては分かるのだけど、それまでの彼の行動原理と突然180度逆になってしまうのが違和感。
ある人物のアイディアを葬れば良いのだから、別の方法もあったのでは。
というか、別の方法の方が良かったのではと思った。

今回は、そのまんま「ゴジラ」をチョイス。
何かと評判の悪いローランド・エメリッヒ版の「GODZILLA」公開時に、アメリカで考案された濃い緑が印象的なカクテル。
氷を入れたロックグラスに、ジン20ml、アップル・リキュール20ml、メロン・リキュール20ml、ブルー・キュラソー20ml、レモンジュース1tspを注ぎ、ステアする。
なんでこれがゴジラなの?と思うだろうが、何故か昔からアメリカではゴジラのイラストは緑色に描かれることが多いので、ゴジラをイメージすると緑のカクテルになると言うことだろう。
恐ろしげな名前の割に、甘口でフルーティ。
スッキリしていてとても飲みやすい。

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華氏119・・・・・評価額1700円
2018年11月16日 (金) | 編集 |
トランプ政権はなぜ生まれたのか?

相変わらずマシンガンのように情報をはき出すテリングのテンポが心地よく、無茶苦茶面白い。
史上最も嫌われている大統領ながら、なぜだか一定の支持は受けている・・・というと一昔前ならジョージ・W・ブッシュのことだった。
嘗てマイケル・ムーア監督は、イラク戦争下のアカデミー賞の授賞式で「shame on you!(恥を知れ)」と叫び、当時のブッシュ政権を激しく非難したが、本作のタイトルはその時の受賞作「華氏911 (Fahrenheit 9/11)」をひっくり返した「華氏119 (Fahrenheit 11/9)」
これはトランプ陣営が勝利宣言を出した11月9日と緊急ダイヤルの119をかけたもの。

世界が驚いた大統領選のドタバタから始まり、トランプ以前にプチ・トランプ的州知事が誕生していたミシガン州で起こったこと、フロリダの学校乱射事件の生き残り生徒たちの行動、今回の中間選挙を盛り上げたマイノリティ候補たちの活動と、トランプという強烈なキャラクターを軸にして、この数年間の出来ごとを追ってゆく。
悪い意味で型破りで、息子ブッシュが可愛く見えてくる第45代アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプとその時代への、アンチサイドからの強烈なプロパガンダ・ムービーだが、単純なトランプ批判ではなく、トランプ政権を誕生させたアメリカの抱える歴史的・社会的な様々な問題を網羅した内容になっている。

映画の主張するトランプ政権誕生のポイントは二つ。
一つ目は毎回物議をかもす、アメリカ大統領選挙の独特の仕組みだ。
大統領候補への直接投票ではなく、大統領選挙人への間接投票、しかも州によっては勝者が選挙人の票をすべて自分のものにできるという制度によって、得票数で上回った候補が選挙では敗れるという奇妙な現象がたびたび起こってきた。
2000年の選挙ではアル・ゴアがブッシュに54万票の差をつけながら、当選したのはブッシュだったし、2016年にはヒラリーがトランプを実に200万票以上も上回っていた。
もちろん今の時代に合わないものでも、変えない限りルールはルールで、単純にヒラリー陣営の選挙戦略の失敗という見方も強い。

興味深いのは、本作が提示するもう一つの理由。
ムーアは嘗ては自分も支持していたオバマ前大統領を含む民衆党旧世代をも断罪し、トランプを後押ししたのは民主党自身の体質だというのである。
公民権運動が吹き荒れた1960年代以降、保守的で大企業や富裕層を支持層に持つ共和党、リベラル派やマイノリティの支持を受ける民主党というイメージが固定化しているが、実際には民主党は豊富な資金を持つ共和党と戦うために、自らが徐々に共和党化していったという。
党内の民主的な手続きはおざなりにされ、民意が反映されなくなり、結果的に支持層の離反を招いた。
2016年の民主党大統領候補予備選では、ヒラリーとバーニー・サンダースが競い合っていたが、民主党上層部の意向によって、よりラジカルなバーニーの票が奪われ、出来レースでヒラリーが勝ったという主張が事実であれば、病巣は相当に深い。

映画の中で印象的なのが、プチ・トランプ的なリック・スナイダー州知事による失政(と言うか陰謀)で、飲み水が汚染され、健康被害が出たミシガン州フリントのエピソード。
デトロイトからもほど近いこの街は、ゼネラルモーターズの組立工の子として生まれた、マイケル・ムーアの故郷でもあった。
人々が何年も水質改善を訴えても無視されてきたフリントへ、ついにオバマ大統領がやって来る。
住民たちはオバマが問題を解決してくれると希望を託すが、なんとオバマはスナイダーの政策を擁護して、実際に苦しんでいる住民を見捨てるのである。

民主党への絶望が、超保守陣営の躍進を煽ったって、なんかどこかの国でも同じこと聞いた様な。

しかしやっぱり、アメリカ社会は良くも悪くもダイナミックだ。

リベラルの守護者としての民主党の組織が経年劣化すれば、草の根レベルの変革者が次々にでてくる。
フロリダ州パークランド高校の無差別乱射事件を生き残った生徒たちは、自ら行動を起こし、トランプ支持派のバッシングをものともせず、銃規制の声を世界規模の運動に拡大した。
女性、マイノリティ、バーニー・サンダースに共鳴する若者たちは、次々と選挙に打って出ている。
リック・スナイダーの退任に伴うミシガン州知事選でも、民主党の女性候補グレッチャン・ホウィットマーが勝った。
小さな声は結集しつつあり、中間選挙でトランプの勢いには一定の歯止めがかかったと言っていいだろう。


ドキュメンタリー映画「私はあなたのニグロではない」で作家のジェームズ・ボールドウィンが語っているのだけど、人間を突き動かす感情には二種類あって、被差別階層が抱くのが理不尽な境遇への「怒り」で、差別階層は地位を奪われる「恐怖」

マイケル・ムーアは、これまで一貫してユーモアをスパイスに「怒り」の映画を作ってきたが、今回はトランプをヒトラーに重ね合わせて、露骨に民主社会を奪われる「恐怖」を煽ってきた。

しかもそれは作中でムーア自身が「危険」であると言っているアイロニー。
これまでの作品では少なからず反対の意見も描いてきたが、本作ではトランプ支持派の声がほとんど描写されないのも同じ文脈。

要するに、今回は徹底的にトランプ潰しに行かないと「マジでヤバイ」と思っているのだろう。

まあトランプ支持派も意固地になって、余計に過激化しそうな気もするけど。

ブレグジットを巡る英国の国民投票もそうだが、トランプなんて本人も含めてネタだと思ってたのが大統領になっちゃうんだから、有権者としては選挙の類は常に真剣勝負と思わないと、結局自分の首を締めるということを肝に銘じないといけない。
結局のところ、トランプを当選させたのは彼に投票した支持者では無く、政治に絶望するあまり誰にも投票しなかった人々なのだ。

今回はトランプの金ピカ趣味から「ゴールデン・ドリーム」をチョイス。
黄金色のリキュール、ガリアーノ15ml、ホワイト・キュラソー15ml、オレンジ・ジュース15ml、生クリーム10mlをよくシェイクして、冷やしたグラスに注ぐ。
出来上がった状態だとゴールデンというよりは玉子豆腐っぽい色なのだが、甘くてクリーミーで、アフターディナー・ドリンクやナイトキャップにぴったり。
トランプは食えない男だが、こちらはとても美味しい。

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ボヘミアン・ラプソディ・・・・・評価額1750円
2018年11月13日 (火) | 編集 |
魂の歌を聴け!

冒頭のロックな20世紀フォックス・ファンファーレからテンションMAX、今年一番のアガる映画だ。
20世紀の音楽シーンを代表する、数々の大ヒット曲で知られるイギリスのロックバンド、クイーンのリードボーカルで、45歳の若さでこの世を去ったフレディ・マーキュリーをフィーチャーした音楽伝記映画。

1970年にブライアン・メイとロジャー・テイラーのバンド、スマイルにフレディが加入し、新たにクイーンとなった時点から、十数年に渡るドラマを描く。

既成概念にとらわれない若者たちはやがて栄光を掴むが、その性的指向故に“家族”を持てないフレディは、次第に孤独を募らせる。
ラミ・マレックがまるでフレディが憑依したかのごとく名演を見せ、彼と不思議な絆で結ばれる恋人メアリー・オースティンを「シング・ストリート 未来へのうた」のルーシー・ボーイントンが演じる。
表題曲となっている「ボヘミアン・ラプソディ」を「こんな曲じゃ、車で頭振れないだろ!」とこき下ろす音楽プロデューサーを、嘗て「ウェインズ・ワールド」でノリノリで頭振っていたマイク・マイヤーズに演じさせるなど遊び心も楽しい。
脚本は「ウィンストン・チャーチル /ヒトラーから世界を救った男」のアンソニー・マクカーテンが担当し、後述するようにトラブルに見舞われて途中降板しているものの、一応監督クレジットはブライアン・シンガー。

空港の荷物係として働くフレディ・バルサラ(ラミ・マレック)は、地元のクラブに出演しているロックバンド、スマイルのブライアン・メイ(グウィリム・リー)とロジャー・テイラー(ベン・ハーディ)に美声を認められ、新バンド「クイーン」のリードボーカルとなる。
殖民地出身の厳格な父親との確執を抱えたフレディは、ファミリーネームも「マーキュリー」と改名。
ベースとしてジョン・ディーコン(ジョセフ・マッゼロ)も加入し、斬新なサウンドを連発するクイーンは次第に人気を博し、ついにはアメリカツアーを成功させると世界的なスーパースターへと駆け上がってゆく。
しかし、裕福となったメンバーたちが家族を持ってゆく中、フレディは一人疎外感を募らせる。
彼には長年付き合っている恋人、メアリー・オースティン(ルーシー・ボーイントン)がいるが、彼女を深く愛する気持ちとは別に、同性に対する性的指向が抑えられなくなっていたのだ。
メアリーと別れたフレディは、スタッフだったポール・プレンター(アレン・リーチ)と交際を始め、それはやがてメンバー間の不仲に繋がってゆく。
そして人気絶頂の80年代、フレディにソロ活動のオファーが届くのだが・・・


おそらく今の日本人で、クイーンの楽曲を全く聴いたことがないという人はいないのではないか。
フレディの没後27年がたつ現在でも、彼のパワフルな歌声はテレビCMやドラマなどで流れ続けている。
数年前のポカリスエットのCMで、オッさんたちがいきなりの「We Will Rock You」を歌い出したのはインパクト絶大だったし、去年もトヨタのミニバンのCMで「We Are The Champions」が、カムリのCMで「Flash」が使われていた。
たとえタイトルを知らなかったとしても、聴けば「ああ、あの曲ね」となるはずで、クイーンのサウンドは世代を問わず、私たちの記憶に自然に刷り込まれているのである。
これは日本だけの現象ではなく、音楽性が高く、とにかくテンションのアガる彼らの楽曲はハリウッドでもよく使われるし、レディー・ガガが「Radio Ga Ga」から自らの芸名をもじったように、クイーンに大きな影響を受けたという人物は枚挙に遑がない。
それほど大きな存在だった伝説のバンドを、時系列に沿ってエピソードをくまなく描こうとすると、とても135分では足りないだろう。

そこで本作は、アフリカ、ザンジバルで生まれたインド系ゾロアスター教徒の青年ファルーク・バルサラが、英国人のロックスター、フレディ・マーキュリーとなり、紆余曲折の末についに”本当の家族”を手に入れるまでの物語に絞った。
ザンジバルの政変を逃れ、イギリス本土に渡った旧植民地からの移民の子であるフレディは、幾つもの葛藤を抱えている。
まずは自らのアイデンティでもある、インド系の血統に関するもの。
「パキスタン人」と蔑まされながら、何者かになりたくて、その才能でチャンスをつかんだフレディは、ファーストネームだけでなく、家族の名をも捨てフレディ・マーキュリーを名乗るのである。
そしてミュージシャンとして成功してからは、抑えてきたバイセクシャルとしての葛藤
劇中で性的指向を告白したフレディに対して、メアリー・オースティンは「あなたはゲイよ」と断言していたが、実際に女性とも付き合っているのだから、やはりバイセクシャルだったのだと思う。
ただ、同性愛は公然の秘密だったが、彼自身は今で言うカミングアウトをすることは無かった。
最後は、苦楽を共にするバンドのメンバーとの音楽的な軋轢だ。
もっとも、メンバーの間で揉めると、誰かが新しい曲のアイディアを出し、それを試している間に皆ノリノリになって仲良しに戻るというパターンが何度も繰り返されるので、基本的には音楽バカたちが仲良くいがみ合っているだけ。
フレディと他のメンバーの間に決定的な亀裂が出来る原因も、音楽性の違いなどが原因ではなく、むしろ彼自身が心を閉ざしたことにある。

野望を抱いた若者たちが成功者となり、やがて異なる道を歩みだすのは王道。
そして一度は袂を分かったメンバーが再び結集するまでの展開も、物語的にも演出的にも特筆するほどの何かがある訳ではない。
もちろん、俳優たちの好演はみものだし、物質的には恵まれながらも孤独に苛まれるフレディの苦悩は感情移入を誘う。
心の底ではしっかりと繋がりながらも、結ばれることのないメアリーとのラブストーリーも切ない。
丁寧に作られていて決して退屈する訳ではないが、どれもよく知られたエピソードでもあり、人間ドラマとして数ある音楽バンドものの予定調和を超えるものではないのだ。
だが、全体の構造を考えるとこれは狙いだろう。
本作の凄さは、二時間近く費やして描いた物語の全ての要素、全ての葛藤をラスト20分に集束させ、クイーンという“家族”の最高のパフォーマンスと共にステージで昇華したことにある。

クライマックスとなるのは、当時世界的な関心事となっていたアフリカ難民の救済を目的に、1985年に開催された伝説のチャリティコンサート、「ライブ・エイド」だ。
イギリスのウェンブリー・スタジアムとアメリカのJFKスタジアムをメイン会場に、綺羅星のごとくスターたちが共演、録画を含めて世界150ヵ国で放送され、数億人が視聴したと言われる、まさに史上最大のショウである。
当時10代だった私は、このコンサートをTVで観た。
次々に現れるスーパースターたちに、ワクワクする高揚感はあったが、やはり遠い国のイベントという感じだった。
ところが、この映画のラスト20分、私は1985年にタイムスリップして、確かにウェンブリー・スタジアムでクイーンのパフォーマンスを“体験”したのだ!
会場を埋め尽くした観衆の上を、カメラがグーッとステージに迫ってゆくダイナミックなショットから、ライブ・エイドを完全再現。
声に関してはさすがにフレディ本人のものを使っているそうだが、ラミ・マレックの成りきりっぷりも見事だ。
よく見ると顔はそんなに似ていないものの、一挙手一投足がどんどんと本人に見えてくる。
「ボヘミアン・ラプソディ」から始まって、「Radio Ga Ga」「ハマー・トゥ・フォール」「伝説のチャンピオン」、現在の映像技術によって再現された33年前のステージは、当時のアナログ放送のクオリティをはるかに超えて、観客を熱狂の渦に迎え入れる。
ぶっちゃけこの20分だけで、十分観る価値はあると思うが、もちろんこの盛り上がりはそこに至るまでの15年分のドラマが”前座”として十分に機能しているがこそ。
それまでのフレディの心の軌跡が歌詞にシンクロして、こちらの感情をガンガンに揺さぶってくる。
聞くところによると、撮影フッテージは実際のライブ・エイドの時と同じ6曲分あるというから、是非円盤の特典にしてもらいたい。

しかし、実際に解散寸前だったクイーンを救ったライブ・エイドをクライマックスにした構成の結果、時系列的に史実と異なる部分が生まれてしまった。
それほど詳しくない私でもロジャー・テイラーの「何年も人前で演奏してない」のセリフには「???(いや、あんたら別に活動休止してなかったやん?)」と思ったし、あの時点ではフレディはAIDSとは診断されていなかったはず。
クイーンの活動を長年追い続けてきたようなファンが観たら、もっといろいろとおかしな部分があるのだろう。
だが、フレディ・マーキュリーという人物の苦悩と解放を真摯に描くというコンセプトに嘘はないし、「史実を元にした映画」は史実そのものではない。
例えばベネット・ミラー監督の「マネーボール」は傑作だが、数十年間の話を一年に凝縮した上に、実在しないキャラクターを作っちゃていて、あれに比べれば本作の改編など可愛いものだ。
やはりアンソニー・マクカーテンが執筆した、「ウィンストン・チャーチル /ヒトラーから世界を救った男」も、核心的な部分の脚色にはかなり創作が入っている。
そもそも「映画一回観て感動して終わり」の人には、それが史実かどうかなんてあまり意味はない。
映画で史実に興味を持った人は、そこから史実のネガティブな部分を含め自分で調べれば良い話で、その意味からも「ボヘミアン・ラプソディ」は最高の入門編だと思う。
本作には音楽プロデューサーとして、ブライアン・メイとロジャー・テイラーも参加しているので、精神性についてはお墨付きということだろう。

ところでこの映画、前述したように監督としてクレジットされているのはブライアン・シンガーなのだが、彼は映画のクランクアップ二週間前に解雇されている。
どうもスタッフ・キャストとの衝突があったようで、スタジオはクローザーとしてデクスター・フレッチャーを雇い、なんとか完成させた。
この様な経緯をたどった作品は、往々にしてどこかがぶっ壊れているものだが、完成した作品を観る限りでは、ドラマ部分の仕上がりがやや緩いものの、トラブルの影はほとんど感じられない
もともとモチーフそのものが、シンガーがこれまで描いてきた作品と符合するし、普通にシンガーっぽいのである。

まあ解雇される前に、かなりの部分は撮り終えていたそうだが、当然彼はポスプロには関わっていない訳で、この完成度の高さは奇跡だ。

今回はボヘミアン繋がりで「ボヘミアン・ドリーム」をチョイス。
アプリコット・ブランデー20ml、グレナデン・シロップ20ml、オレンジ・ジュース10ml、レモン・ジュース1tspをシェイクし、氷入りのタンブラーに注ぐ。
キンキンに冷やしたソーダで満たし、軽くステアして最後にスライスしたオレンジを飾って完成。
甘口のロングカクテルで、ボヘミアン=自由奔放な放浪者のパッションを感じさせる赤が美しい。
 
ちなみに私がクイーンの洗礼を受けたのは、本作では華麗にスルーされていた映画「フラッシュ・ゴードン」を鑑賞した時。

映画は子供心にアホらしかったけど、「曲はカッコいいじゃん!」とレコード買ったのだ(笑

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