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響 -HIBIKI- ・・・・・評価額1600円
2018年09月29日 (土) | 編集 |
「怪物」だけが世界を変えられる。

ジャンルレスな作品だが、あえて言えばこれは文学アクション映画だ。
平手友梨奈演じる鮎喰響(あくいひびき)は、驚くべき小説の才能を持つ高校生。
突如として文学界に現れ、大センセーションを巻き起こした彼女は、誰に対しても自分の信じる道を決して譲らない。
常に本音だけで生きているから、この世界を牛耳るオヤジたちの「常識」や「建前」と必然的に衝突し、盛大に波紋を広げてゆく。
柳本光晴による同名漫画を「小野寺の弟・小野寺の姉」の西田征史が脚色し、監督はつい先日も「センセイ君主」で楽しませてくれた月川翔。
前作ではラブコメ、本作では文学という全く異なるモチーフを、共にリズミカルなアクション感覚で描き絶好調ぶりを見せつける。
※核心部分に触れています。

活字離れによる出版不況に陥った文学界。
新人賞を募集している文芸雑誌「木蓮」の編集部に、一編の小説が届く。
応募要項を一切無視していたため、破棄されるはずだったその小説を、編集者の花野ふみ(北川景子)が手に取ったことから事態が変わる。
「御伽の庭」と題されたその小説は、作者の天才を感じさせる傑作だったのだ。
作者の鮎喰響(平手友梨奈)が15歳の女子高校生であることを知ったふみは、彼女が文学界の未来を変える新世代のスターだと確信する。
しかし響は自分の信じる生き方に決して妥協せず、建前で生きている大人たちとぶつかりまくり。
友人の凛夏(アヤカ・ウィルソン)を侮辱した大御所作家の鬼島(北村有起哉)には回し蹴りを決め、新人賞の授賞式では、自分の小説を小馬鹿にした同時受賞者の田中康平(柳楽優弥)を殴って怪我を負わせてしまう。
一方、「御伽の庭」はセンセーションを巻き起こし、芥川賞と直木賞のダブルノミネートという歴史的な快挙を達成。
響は一躍時代の寵児として、世間の注目を浴びることになるのだが・・・・


タイトルロールの鮎喰響は、若干15歳の高校1年生にして小説の天才。
しかし妥協を知らず、やたらと喧嘩っ早いという危険人物だ。

世間のしがらみや常識にとらわれず一貫した行動原理の元に生きる響自身は、葛藤を持たず物語を通して全く変化しない狂言回し。
だから彼女自身についても、彼女が書いた傑作とされる小説「御伽の庭」の内容についても、映画の中ではほとんど描写されることは無く、破天荒な天才に振り回される周りの人々の方が慌てふためきながら変わってゆく。
基本凡人の集合体である「世間」は、時に恐怖しながらも圧倒的な力を持つ狂気の「怪物」の登場を求め続ける。
そして怪物に出会った人間たちは、好むと好まざるとに関わらず、影響を受けざるを得ない。


劇中で響を見出す北川景子演じる編集者・花井ふみは、言わば大衆・凡人の代表にして観客の視点となるキャラクターだ。
彼女同様、システムの中でなんとなく生きている我々にとって、建前が一切通用しない響の言動は痛快。

小柄な体でゲスなオヤジや傲慢なマスコミに問答無用で蹴りを入れる彼女に、戦々恐々としながらもついつい応援してしまう。
もちろん暴力に訴えるのがマズイことなのは確かだが、一応彼女が行動を起こすのは、先に喧嘩を売られたケースのみ。
それも自分自身のことよりも、自分にとって大切な人や価値観を蔑ろにされた時に激しく反応する。

この相当にエキセントリックなキャラクターを演じる平手友梨奈のことは、欅坂46のセンターを務めているタヌキ顔のアイドルという以外殆ど知らなかったが、はまり役と言っていい。
他の出演作を見ても、基本的にあまり表情が豊かな感じではないのだけど、終始仏頂面で表情が変わない響にはぴったり。
露骨に村上春樹的な大作家を父に持ち、自分も才能を持ちながらも親の七光りという評価に葛藤する祖父江凛夏を、天然一直線で悩み無き響の悩めるライバルに設定したのも良いバランス。
関係ないけど、凛夏役のアヤカ・ウィルソンは「パコと魔法の絵本」の「ゲロゲ~ロ」の娘か。
まああの映画ももう10年前なのだけど、いつの間にか大きくなっていてビックリした。

物語上で響と重点的に絡むのはふみと凛夏の二人だが、歩く台風の響にわずかに触れた人間たちは皆、その人生の軌道を強引に変えられてしまう。
人と響が邂逅する度に、彼女の名言・格言が飛び出す作品なのだが、そこには創作者のあり方、受け手のあり方に関して示唆に富む名台詞が多い。
特に小栗旬演じる万年芥川賞候補どまりの純文学作家・山本春平とのやり取りには、思わず膝を打った。
響は春平の作品を褒めるのだが、自暴自棄になった春平はいつまでたっても賞がとれない自分の小説を卑下する。
すると響は「人が面白いと思った小説に、作者の分際で何ケチつけてんのよ」言い放つのだ。
この言葉は同時に「人がつまんないと思ったことに、作者の分際で何ケチつけてんのよ」と言い換えることも可能で、あらゆる芸術は作り手だけでは成立せず、受け手がそれぞれの内面で消化することで初めて完結することを端的に表している。
近年SNS上で作り手が受け手の感想に感情的に反応し、相次いで炎上するのも、この原則的な関係性を理解していないからだ。

他にも、柳楽優弥が演じる新人作家の田中康平がぶん殴られるのも、読まないで響の小説を批判すると言うルール違反を犯したから。
これも同じ作り手・受け手の関係性の文脈で、炎上したくない人は本作を観て学んだ方がいい(笑
本作は「怪物」響が世の理不尽や常識という名の非常識を、その才覚だけでぶっ壊してゆく痛快な活劇なのだが、同時にメタ的な批評眼を持つ作品なのである。

それにしても「累-かさね-」「愛しのアイリーン」そして本作と、漫画原作の快作が続く。
どれも比較的小さな映画だが、大予算をかけた下手クソなコスプレショーよりずっと面白いよ。

今回はそのまんまサントリーの「響 ジャパニーズハーモニー」をチョイス。
近年やたらと高騰してしまっている国産ウィスキーだが、多彩な原酒から作られるジャパニーズハーモニーは比較的安価に手に入る。
ノンエイジもので熟成は浅いので、基本的には華のある軽やかさ。
とはいえ響の名を冠してるので、クオリティ的には十分に本格的な味わいを楽しめる。
私はオンザロックでチビチビやるのが一番好きだ。

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ショートレビュー「若おかみは小学生!・・・・・評価額1700円」
2018年09月28日 (金) | 編集 |
出会いがココロを強くする。

2007年のOVA「茄子 スーツケースの渡り鳥」以来、高坂希太郎11年ぶりの監督作品、しかも脚本は「リズと青い鳥」の吉田玲子。

これだけで期待しない訳にいかないのだけど、出来上がった作品は予想を超える素晴らしさだ!
原作はTVアニメ化もされた令丈ヒロ子の児童小説。

不慮の交通事故で両親を亡くした小学校6年生のおっこが、小さな温泉旅館「春の屋」を経営する祖母のもとに引き取られ、なりゆきで旅館の若おかみとなる。
そして、彼女にだけ見える幽霊や訳ありの客たちとの交流を通して、力強く成長してゆく物語だ。
本年度のアヌシー国際アニメーション映画祭でもコンペティション部門に選出されていて、絵柄は子ども向けだが、ドラマは大人を唸らせ泣かせるのに十分な完成度。


制作を手掛けたのは、TVアニメ版と同じくDLEとマッドハウス。
美しいアニメーションで描かれるキャラクターは、とても魅力的に造形されていて、天真爛漫なおっこのクルクル変わる表情が可愛い。
舞台となる花の湯温泉の温泉街は有馬温泉がモデルだそうだが、なるほど山間の地形はよく似ているが、日本の美しい情景が詰まったある種の理想郷として描かれている。
ここでは生きた人間も幽霊も妖怪の類も共存しており、おっこが見るまるで生きているかのような両親の幻影も含めて、生と死が入り混じるリリカルな世界観は魅惑的だ。
春の屋は有馬でなく、京都の旅館がモデルになっているらしいが、「あんな旅館が本当にあるのなら、泊まってみたい」と思わせた時点で勝ち。
たぶん、値段もお高い設定だろうけど。

原作小説は一部しか読んだことがないのだが、吉田玲子は全20巻という膨大な文章から取捨選択し、突然の事故で人生が劇的に変わったおっこが、封印した心の傷に向き合い、両親の死という悲しい事実を受け入れられるまでのプロセスを軸に、1年間の物語として綺麗に再構成。

大き過ぎる喪失からの少女の再生と成長を結びつけた物語は奇をてらった部分は無いが、その分おっこの心を機微を丁寧に紡いでゆく。
一度死にかけたおっこにだけに見える幽霊のウリ坊と美陽、訳ありのお客さんを呼び寄せる妖怪の鈴鬼のチーム(?)が慣れない環境に飛び込んだ彼女のお助け役。
同時にこの世に想いを残した幽霊の二人も、おっことの絆によって浄化されてゆく。


宿にやってくるお客さんも、最初がおっこと同様に母を亡くした美少年あかね、次がおっこの年上の友だち兼アドバイザー役になる占い師のグローリー水領と、彼女の心の傷に対応した存在。
徐々に再生への難易度が上がって来る様に出来ていて、グローリーとドライブに出かけた先での事故の記憶のフラッシュバックを経て、クライマックスとなる“ある家族”とのドラマチックなエピソードには思わず涙腺が決壊。
人々の優しさとおっこの決意に、おじさん胸が熱くなったよ。
本来体を癒す温泉で、彼女は人との温かな絆を通じて心を癒されている。
おっこのライバル的存在の、ピンフリちゃんとの関係も良かった。
方やこじんまりとした旅館の若おかみ、方や温泉街を代表する巨大リゾートの後継者と、表面的な部分は何かと対照的だが、一番大切にしている価値観は同じで、なによりも二人とも花の湯温泉を愛している。


素晴らしい作品だが、唯一気になったのが余りにも毒が無いと言うか、おっこを含めて子どもたちが皆、温泉街の後継者として自分の運命を素直に受け入れていること。

まあこれはたぶん原作由来なのだろう。
おっこでなくてもいいが、誰か一人くらい「君の名は。」の三葉みたいに、「こんな田舎嫌!」とか「来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!」って葛藤を抱えた子がいても良かったと思う。

今回は有馬温泉のある兵庫の地酒で1849年創業の老舗、西山酒造場の「小鼓 純米吟醸」をチョイス。
吟醸香は軽やかで、クセがなく非常に優しい味わい。
それでいてキレのある辛口で、どんな料理にも合う懐の広さがある。
温泉旅館で、季節の地のものと一緒に飲んだら最高だろう。

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クワイエット・プレイス・・・・・評価額1650円
2018年09月25日 (火) | 編集 |
誰も声を出してはならない。

音に反応して人間を襲う、謎のクリーチャー群の大量出現によって崩壊寸前に追い込まれた世界で、生き残ったある家族のサバイバルを描いた全米大ヒット作。
人々は声によるコミュニケーションを封じられ、極力音を立てない様に四六時中怯えながら、ひっそりと日々を生きている。
しかし、エミリー・ブラント演じる主人公は、もはやそんな生活を続けることができない。
なぜならば彼女は妊娠しており、臨月を迎えようとしているのである。
サイレント映画オタクだというスコット・ベックとブライアン・ウッズによるオリジナル脚本を受けて、ブラントの夫で本作でも夫役で出演しているジョン・クラシンスキーがメガホンを取った。
「音を立てる=死」というシンプルなアイディアをとことん生かした、センス・オブ・ワンダーに溢れた正統派モンスター映画にして快作SFホラーだ。
※核心部分に触れています。

突如として全世界に出現した謎のクリーチャーによって、人類は僅か472日間で滅亡寸前に追い込まれた。
宇宙からやって来たらしいそれは全くの盲目であるものの、コウモリのような特殊な聴覚器官を持ち、わずかな音でも人間の動きを感知して捕食する。
イヴリン・アボット(エミリー・ブラント)は、夫でクリーチャーの研究をしているリー(ジョン・クラシンスキー)と耳の不自由な娘のリーガン(ミリセント・シモンズ)、息子のマーカス(ノア・ジュープ)と四人で、田舎の農場に隠れ住んでいる。
一家の末っ子だったビューは、1年前にクリーチャーによって殺されてしまい、そのことは今もわだかまりとなって、家族の関係に影を落としている。
妊娠中で、間も無く出産するイヴリンのために、一家はクリーチャーの耳を封じるために様々な準備を進めているのだが、ある日他の三人が外出している時に、産気づいたイヴリンが地下室に移ろうとして誤って音を立ててしまった。
皆が農場に戻ってきた時、そこはすでに何匹ものクリーチャーが跋扈する、狩場とかしていたのだが・・・


声を出せないホラーというと、貧困層の若者たちが、盲目の老人が大金を家に隠しているという噂を聞きつけ強盗に入るも、実は老人の正体は圧倒的な戦闘力をもつ元軍人だった!という「ドント・ブリーズ」が記憶に新しい。
あの映画では格差社会が物語の背景になっていて、単なる怖がらせを超えた深みがあったが、極限状態で暮らす家族を描いた本作もなかなかの力作だ。

説明要素は必要最小限。
声を立てられないという状況から、必然的に非常に寡黙な映画になっているので、ぼーっと見ていると、その最小限の要素すら見落としてしまうかも知れない。
ある程度の集中力を要求される作品である。
音に反応し、人間を捕食するクリーチャーに関しても説明はほとんどなく、2018年の10月頃に突然宇宙からやってきた(らしい)ということしか分からない。
彼らの肉体は人間より遥かに強靭で、漆黒の体表は鎧の様な皮膚に覆われていておおかたの攻撃は跳ね返されてしまうが、頭全体で音を感知する構造になっており、より細かい音を聞こうとする時だけ鎧が開き巨大な内耳の構造が露わになる。
音に非常に敏感な反面、視覚を全く持たないので、人間たちは“音を立てられない”こと以外は以前に近い生活を送っていて、平和な日常と死の恐怖が同居する世界観が非常にユニーク。
なるべく静かに、自給自足して生き残っている人々は、毎夜篝火によって自らの生存を周りに住んでいる人々に知らせているのだ。

アボット家に関しても、この事態が起こるまで彼らが何をしていたのか、背景説明は全く無い。
イヴリンは薬の知識や出産準備の描写からおそらくは医療関係、夫のリーはエンジニア的な知識を有していることがわかる程度。
キーとなる人物は、アボット家の長女のリーガンだ。
彼女は生まれつき耳が聞こえない設定で、演じるミリセント・シモンズも実際にろう者。
そのためにアボット家の人々は、手話によるコミュニケーションをとることが可能で、映画の中でもリーガンを描写するカットでは音が封じられている。
リーガンは、1年前にビューが殺された事件のきっかけを図らずも作ってしまっており、そのことで自分が家族、特に父親のリーに嫌われているのではないかと疑心暗鬼に陥っている。
耳が聞こえないことは、異常な聴覚を持つクリーチャーと対峙するのに、健常者よりも無防備なことを意味するので、リーはなんとか高性能の補聴器を作ろうとしているが、そんな父の努力も彼女にとっては疎ましく感じられてしまうのだ。

田舎の農場が宇宙から来たクリーチャーに襲われるという本作の設定は、スティーブン・スピルバーグの代表作、「E.T.」の初期企画と同じ。
最終的に完成した作品では、異星人の“友だち”との絆によって、両親の離婚に葛藤する内気な少年が成長を遂げる物語になっていたが、本来はモンスター・ホラーになるはずだったのだ。
そのスピルバーグの大ファンを公言するM・ナイト・シャマランが、ボツになった設定を拝借して作ったのが「サイン」であり、やはり宇宙からの脅威が家族の問題のメタファーとなっている。
そして本作もまた、問題を抱えた家族がクリーチャーの襲撃という試練を通して、大きく変化してゆく。
リーガンは自分がしてしまったことへの贖罪の念、長男のマーカスは目の前で弟が殺されたことによるトラウマを抱えているが、イヴリンとリーは恐怖が支配する終末の世界で、子供たちが生きてゆけるように育て上げようとしている。
リーが外に出たがらないマーカスを魚取りに連れ出すのも、何度失敗してもリーガンに補聴器を作り続けるのも、いつか自分たちがいなくなることが十分に想像できる世界だからだ。
映画の中盤、同じ日の同じ時刻にリーガンがビューの墓標に祈り、イヴリンは家で亡き我が子を想い、リーとマーカスが声の出せる滝つぼで本音を語り合い心を通わせる。
四者四様の形で問題と向き合うこのシークエンスは、本作が描こうとするものと、物語が向かう先を端的に暗示して秀逸。

家族のドラマとして非常によく考えられた作品だが、一方で突っ込みどころも満載だ。
アボット家の人々は生き残るために、涙ぐましい努力をしている。
例えば屋外の生活動線に砂をまいて、靴音を立てないよう裸足で生活しているし、油ハネの音を警戒してか料理は蒸し焼きにしているほど。
ところが、そんな彼らは1日の終わりに大きな篝火を焚くのである。
一度でも焚き火をしたことのある人は分かるだろうが、火はかなり大きな音を立てるのに。
クリーチャーも、人間の立てる音だけを聞き分けているのかと思ったら、アライグマの鳴き声にも反応していた。
自然界の音すべてがのべつまくなしに耳に入ってくるんじゃ煩くてたまらないだろうし、どうやって人間の音を判別しているのだろう。
結局、どこまでの音が危険でどこからがセーフなのか、基準がよく分からないのは気になった。
また、農場では結構贅沢に電気を使っているが、あれは一体どこから?
一応屋根にソーラーパネルが見えるのだが、発電量的にとても足りるとは思えない。
他にも、なぜ普段使いの場所に都合よく逆さにクギがはえてるのか?(洗濯ものが引っかかって立っちゃう描写はあるが、そもそも普通階段の板に逆さ釘は打たないよねえ)とか、クライマックスに唐突に“発見”されるソリューションも、一応伏線は張られているもののよくよく考えれば相当な御都合主義だ。

もっとも、そんなわざとらしい部分も含めて、ジャンル映画を存分に遊び倒す、そんな確信犯的なB級感覚が心地いい。
緊張感とスリルは全編にわたって続くが、ブラッディな残酷シーンはほとんど無いので、求められるホラー耐性は限りなく低く、この種の映画が苦手な人も楽しめるだろう。
末っ子の悲劇的な死から始まり新たな命の誕生と共に終わる本作は、受け継がれてゆく家族の愛を描くファミリー映画としても優れた作品である。
しかし、本当にこの映画のシチュエーションになったら、私はどんなに頑張ってもイビキと寝言のせいで寝てる間に殺される気がするなあ(苦

今回は色々痛い話なので、「刺す動物」とか「痛撃」あるいは「皮肉屋」の意味を持つカクテル「スティンガー」をチョイス。
ブランデー45ml、ペパーミント・ホワイト15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
ブランデーの銘柄次第で味が大きく変わるが、濃厚なブランデーとスッキリとしたペパーミント・ホワイトのコンビネーションは、名前の通りに刺激的な大人なカクテル。
アブサンを2dash加えることで「スティンガー・ロイヤル」へと変化する。

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愛しのアイリーン・・・・・評価額1700円
2018年09月22日 (土) | 編集 |
幸せって何だっけ?

強烈。

おそらく、日本映画史上最も放送禁止用語を連発した作品。

こりゃ地上波放送不可だな。

コミュニケーションの断絶がもたらす、寓話的な悲喜劇。

安田顕演じる寒村に暮らす中年男・岩男が、フィリピンから若い妻・アイリーンを金で買ってくる。

だが、そこは保守的な村社会。
岩男を溺愛する老いた母親は、決してアイリーンを“嫁”として認めようとしない。
「ザ・ワールド・イズ・マイン」など、不条理劇で知られる新井英樹の同名漫画を、「ヒメアノ~ル」の吉田恵輔が映画化。
暴走する愛に翻弄される岩男を安田顕が好演し、アイリーンをナッツ・シトイ、彼女に憎しみを募らせる岩男の母親・ツルを木野花が怪演している。
※核心部分に触れています。

宍戸岩男(安田顕)は認知症の父・源造(品川徹)と母のツル(木野花)と三人で、地方の寒村に暮らしている。
四十路に入っても結婚の当てはなく、毎夜自慰にふける息子に、ツルはしきりに見合いをすすめるが岩男は受け入れない。
パチンコ店に勤める岩男は、同僚の愛子(河井青葉)に恋心を抱いている。
だが、彼女がその清楚なイメージとは違って、かなり乱れた男関係をもっていることを知り、激しく動揺。
誰にも告げずに姿を消してしまう。
しばらく後、源蔵が亡くなり、その葬儀の最中に岩男がフィリピン人の若い女性・アイリーン(ナッツ・シトイ)を連れて突然戻ってくる。
実は愛子に振られた岩男は、なけなしの貯金300万円を払って国際結婚斡旋会社に申し込み、フィリピンに渡っていたのだ。
だが、岩男を“理想の嫁”と結婚させようと目論んでいたツルはこの結婚を認めず、猟銃を持ち出してアイリーンに突きつけるのだが・・・



タイトルロールのアイリーン自身は、強いドラマを持っていない。

まだ十代の若い彼女は、ある程度したたかではあるものの、基本はただ幸せになりたくて、他人も幸せにしたいシンプルな人物だからだ。
実質金で買われる形で日本に嫁いでも、愛する人と結ばれたいと、簡単には岩男に体を許さない。
少しずつ日本語を勉強し、何も知らない岩男のことを好きになって、いつか本当の夫婦になろうと努力している。
彼女の問題は、周りが皆「ドラマを持っている」人々、即ち煩悩と葛藤の塊の様な人間たちばかりだということなのだ。


夫の岩男は相当鬱屈しているが、それでもまだ彼女を愛そうとするし少しずつだが心を通わせる。

ところが、どうしても息子に“理想の嫁”をとらせたい姑のツルが、伊勢谷友介演じるアイリーンを狙う女衒の塩崎にそそのかされて、要らん策略を巡らせたことで全てが壊れてゆく。
ツルに売り飛ばされたアイリーンを奪還するために図らずも塩崎を殺した岩男は、共犯者となったアイリーンとその高揚感の中で遂に結ばれるが、もともと女を口説くことも出来ない気弱な中年男。
時がたつに連れて殺人の記憶は彼の心にのしかかり、塩崎の仲間たちの脅迫めいた追及もあって、遂にはぶっ壊れてしまう。
彼の場合、不安と恐怖のはけ口は死の対照としてのセックスに向かい、アイリーンだけでなく、愛子やツルが見合いをさせようとしていた“理想の嫁”候補の琴美にまで誰彼かまわず手を出し、せっかく作り上げようとしていた幸せを自ら崩してしまうのだ。


実の母に障子の穴から自慰やセックスを覗かれてしまうプライバシーゼロの住環境、そんな家で子離れ出来ない親に親離れ出来ない子、根拠のない思い込みからくる人種差別に昔ながらの女性蔑視、有ること無いことゴシップがたちまち広まるコミュニティ、家族になろうとする相手の言葉すら学ぼうとしない傲慢さ、全ての要因がコミュニケーションを阻み「幸せになりたい」というごく単純な目標を遠ざける。
言わば日本の田舎の不条理で嫌な部分が全て顕在化する様な物語で、この居心地の悪さはニューシネマ系ホラーで描かれるアメリカ南部に匹敵する。

映画は現在設定だし、全く違和感ないのだが、実はビックコミックスピリッツ誌に本作の原作の連載が始まったのは四半世紀近く昔の1995年。
バブル期の80年代から90年代にかけて、「金はあるけど嫁は来ない」農村部の日本人男性がフィリピンに行って見合いをし、国際結婚するのがある種のブームとなった。
お金のために嫁ぐ女性は、日本に出稼ぎに来る女性と合わせて「ジャパゆきさん」と呼ばれ、映画やドラマでもモチーフになったりしたが、当然うまくいかないケースも多発し、金にモノを言わせた人身売買ではないかと批判されて社会問題となったのはよく覚えている。
もちろん幸せになった人もたくさんいたのだろうが、言葉も通じず文化も違う、自分よりもずっと年上の男性と家庭を持つことがイージーな訳がない。
新井英樹はそんな社会情勢に影響を受けて、当時の日本社会の問題点を赤裸々に描き出した訳だが、原作に比較的忠実に映像化された本作が、23年経った今も一定の現在性を保ち続けているのは、それだけの間社会が停滞しているということか。

キャスト陣はみな素晴らしいが、特に歪んだ愛に突き動かされるツル役の木野花の怪演が怖い。
普段は映画やドラマで気立てのいいおばちゃん役で目にすることが多い人だけに、そのギャップに圧倒される。

しかしアイリーンを執拗にいたぶる彼女自身も、かつて嫁いだ宍戸家で“子を産む機械”としての役割を果たせず、不条理な圧力にさらされて、その結果として一粒種の岩男を盲目的に溺愛するようになってしまったのが切ない。

映画のツルほど極端な人は珍しいだろうが、ああいうメンタルの人はまだまだ実際に沢山いそうだ。
どんどん自分の中の小さな世界に入り込み、コミュニケーションを拒否する彼女が、最終的に“声”を失うのは非常に象徴的。

古谷実原作の「ヒメアノ~ル」に続いて、漫画原作の不条理劇を見事なクオリティで映像化した吉田惠輔の演出は、土着的でねちっこく、まるでエキセントリックな平成版の今村昌平の様。
今村昌平の代表作の一つが姥捨の風習のある村を描き、カンヌ映画祭のパルム・ドール(グランプリ)に輝いた「楢山節考」だが、本作でも姥捨が重要な要素になっているのは面白い。
あの映画の村は長男しか結婚を許されず、老いた親は齢70歳になると山へ捨てられる。
村人の関心はもっぱら食べることとセックスに向いていたが、飽食の時代となった現在では食べ物に葛藤は無くなった。
しかしセックスに関しては別で、本作では実の親によって長男であっても「楢山節考」の奴(やっこ)の様に結婚を阻まれるのだ。
本作の村が「楢山節考」の村の現在の姿と考えると、ある意味精神的な続編とも捉えられる。
「楢山節考」の姥捨は子を幸せにするための母の自己犠牲だったが、本作の姥捨は子を不幸にしてしまったことへの自己懲罰だ。
共通するのは、どちらの母も新たな子孫の誕生を予感しながら死を迎えるということである。
本作でツルが体現しているのは、姥捨の風習があった時代から続く、日本の田舎の“原罪”なのかも知れない。

今回はアイリーンと飲みたいフィリピンのビール、「サン・ミゲル ピルセン」をチョイス。
サン・ミゲルは本国で9割という圧倒的なシェアを持つ、フィリピン国産ビールの代表格。
いくつかのタイプがあるのだが、暑い国のビールらしく基本的にはどれもライトな方向性。
典型的なピスルナーのピルセンが、喉越しスッキリで適度なコクもあり、日本人のビール好きには一番しっくりくる味わいだろう。
東南アジアのビール文化の例にもれず、緩くなって来たらビアジョッキにガンガン氷を入れちゃうのが現地流。

ところで、内容には関係ないけど、ラブホのシーンで自動ピストン椅子的な昭和SFチックな謎マシンが出てきたんだけど、アレは実在するのか(笑

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ショートレビュー「ザ・プレデター・・・・・評価額1500円」
2018年09月19日 (水) | 編集 |
80年代的、少年冒険SF。

スピンオフの「AVP」2部作を除いて、「プレデター」「プレデター2」「プレデターズ」と過去に3作が作られている「プレデター」シリーズの第4作。
ただし、プレデターの惑星を舞台とした3作目で起こったことは、地球には知られていない設定で、ロサンゼルスでプレデターと警官たちが戦った2作目の直接の続編となっている。
人類サイドとしても、ブサイクな宇宙人が地球に侵入して人間狩りをしているのは把握していて、それなりに対策を講じている設定だ。
日本での公開初日から、まるで二本の別の映画を観てきたかのように賛否が真逆の感想ツイートが流れてきていたが、なるほどコレは監督のシェーン・ブラックと共同脚本を務める盟友フレッド・デッカー、この二人の作家映画
特に今となっては「あの人は今」的に懐かしい名前となった、デッカーの色が妙に強いのだ。

今までの3作は、どれもより強い敵を求めるプレデターと、軍人や警察や犯罪者といった地球人の戦闘プロフェッショナルのバトルアクション。
それに対して、シリーズの定石は打っているものの、少年がキーパーソンとなり、ジャングルでも大都会でもなく、アメリカのサバーブが舞台となる本作のテイストは、過去のシリーズというよりも思いっきり80年代ジュブナイルSFの香りに満ちているんだな。
それもスピルバーグとかの“A”グレードのやつじゃ無く、笑っちゃうほどのプロットのアバウトさとかも含めて、デッカーが監督してた「ドラキュリアン」とか「クリープス」とか“B”グレードのヤツだ(笑
J・J・エイブラムスを筆頭に、ルーカス/スピルバーグで育った世代が今のハリウッドの主流になったこともあって、彼の「SUPER8/スーパーエイト」など、この時代にオマージュを捧げた作品も増えた。
しかし、後年の作家の作品には多分にノスタルジーとリスペクトが入っているのに対し、ブラックとデッカーは80年代にバリバリ現役だった人たちだ。
本作に描かれる世界は、あの頃を懐かしんで作っているのではなく、ガチに全然進化してないのである。

ギークな天才少年、パパがいない家庭、なぜか街外れに落ちる宇宙船にゲームスタイルのSFガジェット、内臓ドバーの無邪気なスプラッターシーン、これらはどれも80年代のB級SFやホラー映画の定番要素
あの頃のSFのノリが好きなら本作は絶対楽しめるし、逆にズレを感じてしまえばショボすぎてダメと思うだろう。
私は第1作の出演者でもあり、劇中でプレデターに血祭りにあげられた第一号となったブラックのセルフオマージュ的な描写や、人間を殺すだけで食わないんだから「“プレデター”じゃないじゃん」とネーミングそのものにイチャモンつけたりする悪ノリ気味のギャグ部分も含めて結構楽しんだ。
プレデター対策に当たる軍の部隊が、なぜだかやたらと味方を殺したがるのは引っかかったが、ある程度整合性に目を瞑っても、やりたいことをごった煮的にブチ込んでくる猥雑なサービス精神には喝采。
プレデターのペットの宇宙犬が、いい感じに感情移入キャラになって、最後には可愛く思えてくるのも良かった。
お世辞にも洗練されているとは言い難いし、全然今風じゃないので万人向けとも言い難いが、心の内の厨二病を刺激される楽しい娯楽映画だ。
だけど、よくこの脚本でOK出たなと思ったが、プロデュース陣もみんなあの頃のお仲間たちなのね。

これには水みたいな王道のアメリカンビール、「ミラードラフト」をチョイス。
典型的なのど越し重視のライトな味わいだが、週末の夜にB級映画を観ながら飲むのにはちょうどいい。
おつまみは脂っこいピザかフライドチキン。
因みに「プレデター」シリーズでは、あんまり皆んな語ってくれないスティーヴン・ホプキンス監督の2作目が一番好きだな。

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