酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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ショートレビュー「海辺のリア・・・・・評価額1650円」
2017年06月13日 (火) | 編集 |
それでも、生きている。


認知症を患った元スター俳優の桑畑兆吉が、介護施設を脱走する。
舞台や映画への出演だけでなく、俳優養成所を経営するほどの大御所だったが、台詞を覚えられなくなり20年前に引退。

やがて長女の由紀子と元弟子の行男夫婦にそそのかされ、財産を奪われて僻地の施設に追いやられていたのだ。

延々と能登の海岸を歩き続ける兆吉は、嘗て私生児を生んだとして勘当した、愛人との間にできた次女の伸子と出会い、束の間の旅を共に続ける。


タイトルの「リア」とは、シェイクスピアの「リア王」のこと。
ブリテンの王リアは、退位にあたって三人の娘に領地を分割しようとする。
長女と次女は、父にすり寄って歓心を買うが、三女のコーディリアだけは実直にものを言い、怒ったリアによてって勘当され、彼女をかばったケント伯も追放される。
しかし、リアが退位すると長女と次女は父を疎んじるようになり、行き場を失ったリアは荒野を彷徨い、狂気にとりつかれてしまう。
フランス王妃となったコーディリアは、フランス軍を率いドーヴァーに布陣。
父との再会を果たすも戦いに敗北し、リアと共に捕虜となってしまう。
コーディリアは処刑され、彼女の遺体を抱いたリアは哀しみに絶叫してこの世を去る。
実際にはリア親子の物語に、グロスター伯の二人の息子、エドガーとエドマンドの異母兄弟の陰謀劇がサブストーリーとして複雑に絡み合い、登場人物の大半が死んでしまう。
王の老いがもたらす心の弱さと孤独、誠実な者が必ずしも救われるとは限らないこの世の無情、因果応報の人間の業が、大いなる悲劇を引き起こす物語だ。


全てを忘れつつある兆吉が、それでもなお記憶している「リア王」の愛と狂気が、現実世界の彼の境遇とシンクロする仕掛け。

王は勿論仲代達矢で、黒木華演じる次女の伸子がコーディリアなのだが、彼女と兆吉を追い出した長女の関係にはエドガーとエドマンドも投影されている。

因みに、仲代達矢と長女を演じる原田美枝子の組み合わせは、黒澤明が「リア王」を翻案した「乱」とほぼ同じ。

「乱」は原作の娘を息子に変え、原田美枝子演じる長男の妻の楓の方が一族を滅ぼす魔性の女だったが、今回はオリジナルの戯曲どおり長女設定となっていて、この辺りはオマージュか。
兆吉の元弟子で良心の葛藤に揺れる阿部寛が、戯曲の長女の夫オルバニー公とケント伯を合わせた様な人物となっていて、小林薫が演じる由紀子の愛人がエドマンド的な役回り。

複雑な「リア王」の構成要素を集約し、映画の登場人物はわずか5人
しかも冒頭5分で、全員が姿を見せるというスピーディーな展開だ。
大半のシーンが能登の海岸で進行し、ほぼ全編にわたって、この映画の狂気の王たる仲代達矢をフィーチャーする。
シネマスコープ画面の背景になるのは、海や砂浜といった、いわゆる“ヌケのいい画”なのだが、被写界深度は浅く設定され、俳優の演技がクッキリと浮き立つ。

独特の台詞回しやカメラワークを含めて、全編ロケーションながら非常に演劇的なのが特徴で、その経歴も主人公とオーバーラップする、仲代達矢のキャリア集大成とも言える魂の演技は見ごたえたっぷりだ。

シェイクスピアの戯曲は壮大な悲劇で終わるが、21世紀の日本のリアははたしてどうなるのか。
父親への愛憎を抱えた伸子が、常に死を匂わせていて、小林政広監督だけに生温い結末にはしないだろうなと、終始ハラハラ。
本作のテーマが結実するラストショットは、本当に見事だった。


しかし、老いを描く日本映画は本当に増えた気がする。

今年だけでも、本作の他に「家族はつらいよ2」「八重子のハミング」といった作品が心に残る。

それだけ社会全体にとって、老いとどう向き合うかが切実なモチーフになりつつあるということか。

今回は舞台となる石川の酒、車多酒造の「天狗舞 古古酒純米大吟醸」をチョイス。
酒器に注いだ瞬間にふわりと立ち上がる優しい吟醸香、一口飲んで思わず「美味い!」と呟いてしまう、熟成されたまろやかな味わい。
全てが極めてハイレベルに仕上げられた、極上の日本酒である。
普段使いにはちょっとお高いが、何かの記念日などにはピッタリだ。

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20センチュリー・ウーマン・・・・・評価額1700円
2017年06月08日 (木) | 編集 |
この素晴らしき、女たちよ。

「人生はビギナーズ」で脚光を浴びたマイク・ミルズ監督による、自身の少年時代をモチーフとしたのエッセイ的ヒューマンドラマ。
40歳の時に出産したシングルマザーのドロシアは、15歳になった息子ジェイミーの育て方に迷い、歳の近い20代の賃借人のアビーと、息子の部屋に入り浸っている17歳の幼馴染ジュリーに助けを求める。

ほぼ一つ屋根の下で暮らす、3人の女性+ヒッピー崩れのおじさんウィリアムと、ジェイミーの関係を通して、思春期の葛藤と成長、背景となる混迷の70年代と、強いアメリカへの回帰を掲げたレーガノミクスの80年代の狭間の時代が見えてくるというワケ。
邦題はカタカナ化しただけの「20センチュリー・ウーマン」だが、正しくは複数形の「Women(ウィメン)」だ。

1979年のサンタバーバラ。
55歳になったドロシア(アネット・べニング)は、15歳の息子ジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)との関係に悩んでいる。
高齢出産で生み、女手一つで育ててきた。
今のとこは問題なく、母親思いの素直な良い子でいてくれる。
しかし、これ以上自分一人で息子を一人前の男に育て上げる自信が持てないのだ。
そこでドロシアは、家の一階の部屋を貸しているフォトグラファーのアビー(グレタ・ガーウィグ)と、近所に住むジェイミーの幼馴染のジュリー(エル・ファニング)に「複雑な時代を生きるのは難しい。助けてやって」とお願いする。
「男の子なんだから、男の方が良いのでは?」と戸惑う二人だが、ドロシアは「あの子には女性の方が良い気がする」と言う。
ジェイミーと3人の女性たちの、忘れられない日々が始まった・・・・


映画は、ドロシアの愛車である1960年に発売された2代目フォード・ギャラクシーが、突然の車両火災に見舞われるところから始まる。
この年はイラン革命による第二次オイルショックによって、アメリカの自動車産業は再びの激震に見舞われ、燃費の良い日本車のますますの躍進を許す。
11月にはテヘランのアメリカ大使館人質事件が起こり、ベトナム戦争の敗北とウォーターゲート事件によって、アメリカが自信を失った混迷の70年代は、古き良き時代を象徴するギャラクシーと共に、炎上したまま幕を閉じようとしているのである。


大恐慌から第二次世界大戦の激動期に青春を送り、戦争中にはパイロットを目指したというドロシアは、とにかくパワフルで物怖じしない。
技術職として男社会でバリバリ働き、家の使っていない部屋を、アビーとウイリアムに貸して副収入を得ているやり手の肝っ玉母さんだ。
当時としては高齢の40歳で出産し、息子ジェイミーとは世代の差を感じている(だからこそアビーとジュリーに助けを求める)。
ジェイミーを理解するためにクラブハウスに行ってみたり、パンクロックを聞いてみたり、新しい風にも比較的寛容だが、いずれ彼は"外での顔"を自分には見せなくなると考えている。
日々のエネルギー源は、メンソールの“体に良い”タバコだ。

賃借人のアビーは、ニューヨーク帰りのパンクなフォトグラファー。
50年代生まれの彼女は、胎内にいた時に母親が摂取した流産防止薬の副作用で、子宮頸がんになってしまい、地元サンタバーバラへ戻ってきた。
がんの再発に怯え、今を生き急ぐ彼女は、時代の波に敏感で、常に人生を模索している。
ドロシアにも「あなたの生き方を見せてあげて」と頼まれ、パンクロックやフェミニズムといった世界にジェイミーを誘う、人生のメンターとなる。
スポンジの様に"新し過ぎる価値観"を吸収してゆくジェイミーに、頼んではみたものの、ドロシアは戸惑いを隠せず、「あの子の外での顔を見られて羨ましいわ」とアビーに言う。
すると彼女は、ポラロイドで撮ったジェイミーの外でも変わらない笑顔の写真を渡すのだ。

そして、ジェイミーの2歳年上の幼馴染ジュリーは、初恋の相手であり、誰よりも近しい関係。
セラピストの母親にグループセラピーへの参加を強いられ、人間のネガティヴな面を見て育った彼女は、継父や脳性麻痺の妹とも馴染めなくて、ほとんど家に寄り付かずにジェイミーの部屋に入り浸っている。
ほぼセックスを通じてしか他人との関係を深められず、17歳にして男性経験は豊富だが、一番大切で心のよりどころであるジェイミーとはセックス厳禁
しかし、好きな子が毎日の様に自分のベッドで寝ていて、しかも何も出来ないなんて、ティーンの男の子にとっては拷問以外のなにものでもない。
当然ジェイミーとしては、友達以上恋人未満の状態を打破したいのだが、いわゆる腐れ縁になってしまって進展せず。
ドロシアが見るのはジェイミーの内での顔、アビーは外での顔、ジュリーは秘めたる顔を知っている。

マイク・ミルズの前作「人生はビギナーズ」は、彼と父親が亡くなる前の5年間の出来事に基づいた作品だったが、今回フィーチャーされるのは少年時代の母親との関係
ドロシアとアビーは、ミルズの母と姉がモデルだそうで、それぞれ物語の中での役割に合わせ、ある種のステロタイプに造形されながら、深みのある人間性とリアリティを失わない。
もう一人の賃借人のウィリアムを含め、登場人物の誰もがちょっとずつ拗らせちゃっている人たちなのだが、狭間の時代にあって彼らが皆とても活き活きと描かれている。
迷走する政治、パンクロックの台頭、ヒッピー文化の残滓、ウーマンリブによるフェミニズムの浸透といった時代を象徴するシンボルが、物語の中に満遍なく配置されており、 21世紀の未来から俯瞰する過去は、トーキング・ヘッズをはじめとする当時のヒットナンバーにのって、アナログTVの様な滲むRGBと共にリリカルに疾走する。
時代感を浮き立たせる、写真や映像のコラージュ的な使い方も巧みで、伝説のカルト・ドキュメンタリー「コヤニスカッツィ」が引用されていたのには驚いた。
もっともこの映画は1982年公開なので、少しズレているのだけど、セリフを排した上で、スローモーションやタイムラプス映像を駆使し描かれるのが、"平衡を失った世界"なのは、なるほど本作に通じるものがある。
物語の視線は、ある種の自分史ということもあってか、近過ぎず遠過ぎず適度な距離感を保ち続けていて、それが観客の心にちょっとビターだけど、二度と戻らない思春期のノスタルジーを呼び起こすのだ。

ミルズは、私小説的なエピソードをドラマとして再構成し、強烈な時代性と普遍性を併せ持つ、詩情あふれる秀作を作り上げた。
アネット・べニング、グレタ・ガーウィグ、エル・ファニング、世代の違う3人の女優たちが素晴らしく魅力的で、それぞれからキャリアベストと言える好演を引き出している。
今は大人になった一人の少年と、彼女たちの思い出を通して見る、幻想のアメリカの20センチュリー・クロニクルはセンス・オブ・ワンダーの塊の様な至福の時間なのである。

本作の舞台となるサンタバーバラは全米有数のワインどころ。
という訳で、スター・レーン ヴィンヤードの「カベルネ・ソーヴィニヨン ハッピー・キャニオン・オブ・サンタ・バーバラ」の2012をチョイス。
ベリー系にハーブ系が混じり合う複雑なアロマ。
複雑な味わいが、しっかりとした骨格に支えられる、ドロシアの様なフルボディのパワフルな赤。
これがファーストヴィンテージながら、高い評価を受けた一本だ。
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ショートレビュー「光・・・・・評価額1650円」
2017年06月07日 (水) | 編集 |
降り注ぐ、光の中へ。

リュミエール兄弟が、パリのグラン・カフェでシネマトグラフ・リュミエールを披露して以来、映画とは暗闇の中の光の芸術である。
では、映画から光を封じた時、それでもなお、映画は映画たり得るのだろうか。
河瀬直美監督の「光」は、ハンセン病をモチーフにした「あん」に続いて、視覚障がいという社会的マイノリティを軸に、人生における光=希望への渇望を描きながら、同時に「映画とは何か」という、映画作家として根源の難問に挑む意欲作だ。

主人公は、視覚障がい者のための、映画の音声ガイドを作る尾崎美佐子と、光を失いつつあるカメラマンの中森雅哉。
音声ガイドとは、スクリーンに映しだされた台詞以外の視聴覚情報を、声に置き換えたものだ。
一見脚本のト書きの様だが、より詳細で、ガイドを聞くことで、映像が無くても頭の中に画が浮かばなければならない。
美佐子が担当している劇中映画の、途中段階でのモニター試写後のディスカッションで、二人は出会う。
「あなたのガイドは主観だ」と彼は言う。
どのようなガイドを作れば、光を失った人たちにも映画を楽しんでもらえるのか。
藤竜也演じる劇中映画の監督に会った美佐子は、ラストの解釈は決まっていないと言う監督に対し、「それでも、最後は希望を感じ欲しいんです」と言う。
美佐子は自分のフィルターを通して、ガイドを作ってしまっている事に気づいていない。

彼女がなぜ希望に拘るのか。
敏腕カメラマンだった中森が、少しずつ消えてゆく視野と共に、人生の希望を失ってゆくように、美佐子もまた心に大きな傷を負っている。
美佐子の父親が蒸発して、それを切っ掛けに母親が認知症になってしまった様なのだ。
今はまだ、周りの助けを借りて実家で暮らしているが、いずれそれも難しくなることも分かっている。
そして、彼女がガイドを作っている劇中映画もまた、妻が認知症になった男の想いを描いたものなのである。
もはや妻は記憶を失っているが、男は何もできずに、ただ彼女を見つめるしかない。
自分と母の記憶に繋がる映画に、美佐子は無意識のうちに自己を重ね、希望を見出そうとしているのだろう。

時にぶつかり合い、絆を強めてゆく二人の心の旅路が、極めて映像的な劇中映画のラストを、どう音声ガイドで表現するかという葛藤に、象徴的に集束するのは上手い。

おそらく綿密に取材を重ねたのだろうが、音声ガイド作りのために、なんども繰り返されるディスカッションのシーンが秀逸だ。
視覚障がいの程度も人によって異なり、必要とするインフォメーションも微妙に異なる。
だが、全盲の女性の「映画は見えないけど、その世界に入れる」という表現には、見えることで気づかない、映画という芸術の可能性を教えられた気がする。

中森と美佐子は共に喪失を抱え、未来を生きるためには、過去に区切りを付けなければならないことを知っているが、大切なものを捨てるのは簡単ではない。
しかし例え大切なものを失ったとしても、見ることが出来なかったとしても、“光”は必ずそこにあるのだ。
文字通り光に包まれる二人の衝動的なキス、そして失踪した母を夕日の中に見出す描写は、まさにこの映画を象徴する名シーン。
そして、物語を通して喪失に向き合い、目に見える現象だけでなく、映画という芸術の精神性を理解できるようになった美佐子が、難しいラストをどう表現したのか。
そっと目を閉じる。
樹木希林の読む音声ガイドに耳を傾けると、暗闇にふっと光が見える。
スクリーンの中と外、そして劇中映画が溶け合い、ジワリと余韻が広がる、とても印象深いラストだった。

以前の河瀬監督の作品は、むき出しの"ワタシ"が強すぎて、正直ちょっと苦手だったのだが、ここ二作は手持ちカメラや極端なアップなど、テリングのスタイルで独自性を貫きながらも、筋立ては良い意味で地に足をつけたフィクションになっていて、ずいぶんと入りやすくなった。
役者の生かし方も相変わらず上手く、永瀬正敏と水崎綾女も素晴らしいが、美佐子の上司と劇中映画のヒロインを演じる神野三鈴が強い印象を残す。

今回は、舞台となる奈良の地酒、油長酒造の「風の森 純米 露葉風 無濾過生原酒」をチョイス。
口にした瞬間、微発泡の感触と共に、フルーティな香りがフワリと広がり心地いい。
発泡はそれほど長くは続かないが、キレとコクも申し分なく、米の豊潤な旨味を楽しめる。
キリリと冷やしていただきたい。

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LOGAN ローガン・・・・・評価額1800円
2017年06月03日 (土) | 編集 |
ヒーローは、決して死なない。

ヒュー・ジャックマンが、17年間演じ続けた孤高の"X"有終の美
ミュータントが滅びつつある近未来を舞台に、ワケありの少女ローラを守ることになった、ウルヴァリン最後の戦いが描かれる。
ジェームズ・マンゴールド監督は、前作「ウルヴァリン:SAMURAI」から続投。
あるキャラクターを描く完結編として、これ以上は考えられない素晴らしい仕上がりで、「アベンジャーズ」系を含めたマーベル映画全体でも、オールタイム・ベストと言える大傑作だ。
「LOGAN ローガン」は、アメコミ原作というジャンルを超えて、ハリウッド娯楽映画の歴史を受け継ぐ、新たな金字塔となった。
※ラストに触れています。

ミュータントが激減した2029年。
年老いたローガン(ヒュー・ジャックマン)は、”ウルヴァリン”の名を封印し、本名のジェームズ・ハウレットを名乗り、リムジンの運転手として生計を立て、メキシコ国境にある廃工場で細々と暮らしている。
廃工場の打ち捨てられた大型タンクの中には、認知症を発症し、その能力をコントロール出来なくなった90歳のチャールズ・エグゼビア(パトリック・スチュワート)が隔離されていて、ローガンとミュータントを探知する能力を持つキャリバン(スティーヴン・マーチャント)が介護していた。
長年の戦いによって疲弊したローガンの体は、埋め込まれたアダマンチウムの毒によって、ヒーリング・ファクターが無力化されつつあり、もはや不死身ではなくなっている。
そんなある日、ローガンはガブリエラ(エリザベス・ロドリゲス)と名乗る見知らぬ女から、ローラ(ダフネ・キーン)という少女をノースダコタ州のカナダ国境まで送り届けて欲しいという依頼を受ける。
面倒なことに関わりたくないと断るが、直後にピアーズ(ボイド・ホルブルック)という男が現れ、ガブリエラが盗んだものを回収しに来たと言う。
間も無くガブリエラは殺され、やむなくローガンはローラを廃工場に匿う。
チャールズは「彼女は新たなミュータントだ!」と喜ぶが、ローガンは戯言だと取り合わない。
しかし、ピアーズの部隊が押し寄せてくると、ローガンは驚きの光景を目にする。
ローラの拳から、アダマンチウムの鋭い爪が伸びたかと思うと、屈強な兵士たちを瞬く間に打ち倒してゆくのだ。
まるで嘗てのウルヴァリンの様に・・・・


ブライアン・シンガー監督による「X-MEN」第一作が公開されたのは、ニューミレニアム初年の2000年のこと。
アメコミ映画全盛の現在からはなかなか想像できないが、旧「バットマン」シリーズの終了以降、久しぶりにハリウッド・メジャーで作られた正統派アメコミ・スーパーヒーロー超大作であった。
このシリーズで一番人気となったのが、金属の爪を持つ不死身の男、ウルヴァリンだ。
「X-MEN」シリーズ本体の他、スピンオフとして「ウルヴァリン」三部作が作られ、「LOGAN ローガン」はその最終作に当たる。
本作は、「X−MEN」の歴史だけではなく、アメリカン・ヒーローの源流としての西部劇、さらには一部日本の時代劇の記憶をも内包する、非常に懐の深い映画になっていて、これはもうハリウッドは絶賛するしかないだろう。

殺人のスペシャリストが、ひょんなことから子供を守る、という話型は「レオン」や「ターミネーター2」、あるいは「子連れ狼」に至るまで無数にあるが、原作シリーズで本作のベースになっている物語は二本ある。
一本目は、オフィシャルに映画原案とされている、「ウルヴァリン:オールドマン・ローガン」だ。
ヒーローたちがヴィラン連合に敗れて、アメリカがヴィランたちの支配する王国となった未来。
"爪"を封印して戦いから足を洗い、カリフォルニアで妻子と共に農夫として暮らしているローガンの元に、盲目となったホークアイが訪ねてきて、自分の目となって、東海岸へ"ある物"を届ける手助けをして欲しいと言う。
ローガンは迷うが、農地の賃料の支払いが滞っていて、金のためにホークアイと共に旅に出る。
しかし結果的にローガンは、再びウルヴァリンとして生きざるを得なくなるというストーリー。
基本設定だけでも気づく人は気づくだろうが、この話の元ネタになっているのは、フロンティアの神話としての西部劇の終わりを描いた、クリント・イーストウッド監督の伝説的傑作「許されざる者」だ。
面白いのは、イーストウッドの映画では、最終的に老ガンマンが銃を置くのに対して、「オールドマン・ローガン」では再びの修羅の道へとキャラクターを導き、どちらかというと日本版リメイクの「許されざる者」に近い展開になっていること。
本作とはプロットは大分異なるのだが、ヒーローがほぼ死に絶えた世界観と、心の中に疼く怒りと贖罪を抱え、生きる希望を失った老ローガンのキャラクター造形は、この作品を色濃く反映している。
読み応えのある名作なので、オススメしておきたい。

二本目は、本作のヒロインである"ローラ"の誕生を描いた、「X-23 : INNOCENCE LOST」だ。
ウェポンX計画でウルヴァリンが脱出した後、研究チームはウルヴァリンの遺伝子コードを使ったクローン再生を試みるも失敗の連続。
そこで遺伝学者のサラ・キニー博士は、破損したY染色体を使わずに、X染色体だけを使った女性体クローンを開発し、自らが代理母となって出産する。
彼女こそ、23番目にして初めて成功したウルヴァリンのクローンで、遺伝的な娘。
X−23のナンバーで呼ばれ、最強の暗殺者として育て上げられるのだが、キニー博士とザンダー博士の組織内の内紛に巻き込まれ、生みの母であるキニー博士をも殺してしまう。
組織を壊滅させた彼女は、最後にキニー博士からの手紙で"ローラ"という名前を与えられる。
本作ではキニー博士の存在が無くなり、不完全なクローンであるX-23の誕生後に、ザンダー博士らが感情を排除した完全なクローン、X-24を完成させ、組織の看護師だったガブリエラが、不要な存在となった彼女を逃すという設定に変わっている。
「X-23 : INNOCENCE LOST」は、タイトル通りとても切ない物語なのだが、残念ながら日本語版は未発売。
英語版でも電子書籍版なら比較的安価に読めるので、こちらもオススメ。

ジェームズ・マンゴールドと脚本チームは、この二本を巧みにミックスし、新たな要素を加えてオリジナルのプロットを構成しているのだが、本作の一番ユニークなポイントは、アメコミ映画としては極めて例外的に、老いと継承をテーマとしていることだろう。
スーパーヒーローも人間である以上は老い、衰えるのは必定。
2029年という、過去のシリーズとかなり離れた時代設定が絶妙だ。
ウルヴァリンを不死身にしていたヒーリング・ファクターが失われ、必滅の存在になったことで、別人の様にくたびれた姿が、ぐっとリアリティを高める。
老いたのはローガンだけではない。
あの超明晰頭脳だったプロフェッサーXは、あろうことか認知症になってしまい、ローガンたちの介護なしには、生きることすら出来なくなってしまっている。
実際にはローガンの方が年上設定だが、まさかスーパーヒーロー映画で老々介護の現場を見るとは。
私事だが、最近小さな文字が見難くなってしまって、劇中でローガンが何度も老眼鏡(ダジャレではない)をかける描写に、「あーそうだよね、小さいと見えないんだよね」と思わず感情移入してしまった。
元々マイノリティの悲哀を描いていた「X-MEN」だが、ここでは老人と子供という、社会の中のリアルな弱者(喧嘩は強いけど)をフィーチャーするのである。

原案の「オールドマン・ローガン」に見られる、象徴としての西部劇の記憶は、映画化に当たってさらに大きな意味を持ってくる。
ラスベガスに到着したローガンたちが、ホテルの部屋で休んでいる時に、テレビで流れれているのが、あの「シェーン」なのだ。
グランド・ティトンの美しい大自然を舞台に、流れ者のシェーンが、心優しい農民家族のため、悪徳牧畜業者と彼の雇った殺し屋に立ち向かうこの映画は、単純な勧善懲悪西部劇全盛の時代に、銃による暴力の影の部分を描き、ある意味「許されざる者」の原点と言える名作だ。
ラスト近く、旅立つシェーンを引き留めようとする少年に、彼はこう言う。
「生き方は変えられない。一度人を殺してしまったら、もう後には戻れない。一生つきまとう」
この映画のラストに関しては、銃撃戦で脇腹を撃たれていることから、去って行くシェーンは馬上で死んでいるのではないか、という議論が昔からある。
おそらくマンゴールドもそう捉えているのだろう。
本作のクライマックスで、未来の希望である子供たちを救うために、ローラと共に最後の力を振り絞って戦ったローガンは、彼女の腕に抱かれて絶命し、葬儀のシーンでローラは上記したシェーンの言葉を引用するのである。
「ウルヴァリン」三部作は最初が「ウルヴァリン:X-MEN ZERO(原題:X-Men Origins: Wolverine)」で最後は「LOGAN ローガン」。
愛を知らないローガンとローラは最後に本当の家族になって、不死身の超人ウルヴァリンは、一人の父親ローガンとして死んだ。
「こんな感じなのか・・」という彼の言葉は、シリーズ17年の蓄積があるからこそ、心に染み渡る。

そして、本作はローガンだけではなく、ローラの物語でもある。
アニメ版・コミック版で彼女を創造したクレイグ・カイルは、ローラはマーベルのピノキオだと述べている。
名前のない殺人マシーンとしてして生まれ、過酷な運命に翻弄されてきた少女が、メンターであり父であるローガンと巡り会って、殺人の記憶を背負い、ローラとして生きてゆく決意を固めるまでの物語。
R指定となることを避けなかったアクションシーンのスプラッター度合いも、過去のシリーズを"ファンタジー"としてメタ的に内包しながら、リアルな世界へと落とし込むのには必要不可欠。
何しろこの父娘の武器は拳から生えた"サムライの刀"なのだから、そりゃ現実に使ったら血まみれになって当たり前である。
それでいて、銃を使うことに象徴的な意味をもたせているのも、本作が西部劇の流れをくむことを感じさせて上手い。
物語を通してローガンを理解し、本当の父として弔ったローラが、彼の墓に立てた十字架を"X"の形に直すのは、まさに魂の継承を表す胸アツな瞬間。
老いたるヒーローが死に、若い世代に精神的に受け継がれるのは、イーストウッドの「グラン・トリノ」を思わせるが、私はここでもう一本、「子連れ狼」を翻案したコミックをサム・メンデスが映画化した、「ロード・トゥ・パーディション」を思い出した。
ヒーローの肉体は時の彼方に去っても、魂は決して死なないのである。

ヒュー・ジャックマンは、次期ウルヴァリン役にトム・ハーディを推しているそうだが、コミックでは父の死後ローラが二代目ウルヴァリンを名乗っているので、映画も5年くらい間隔をあけて、ダフネ・キーン主演の女ウルヴァリンで良いのじゃないかという気がする。
まあウルヴァリンとしてでなくても、彼女のキャラクターはとても魅力的だったので、何らかの形で「X-MEN」の世界には戻ってきて欲しい。

今回は、ローガンの様な、いぶし銀のバーボン。
ジム・ビームの少量生産プレミアム銘柄「スモールバッチ ブッカーズ」をチョイス。
深く美しい琥珀色が印象的。
元々ビーム家のパーティで賓客に提供していたものを、あまりに評価が高いので商品化したもの。
深い熟成を感じさせるコクと、フルーテイな香りの中のほろ苦さ。
非常にバランスの良いバーボンで、古い友達と出会った時にでも、共に飲み交わしたい一本だ。
まずは最高の演技を見せてくれた、ヒュー・ジャックマンとパトリック・スチュワートに乾杯。
二人とも17年間お疲れ様でした!

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美しい星・・・・・評価額1650円
2017年05月31日 (水) | 編集 |
あなたは、本当は何星人?

ある日突然、内なる宇宙人に目覚めた家族を描く、ユニークなSF寓話劇。

火星人、水星人、金星人、そして一人だけ地球人のままの四人家族。
彼らはなぜ突然、自分は宇宙人だという意識を持ったのか。
半世紀以上前に発表された三島由紀夫の同名小説を、「桐島、部活やめるってよ」の異才・吉田大八監督が映画化。
リリー・フランキー、亀梨和也、橋本愛、中島朋子が、宇宙人家族を演じる。
昭和の異色SFは、平成の現在に何を語りかけてくるのだろうか。
※核心部分に触れています。

予報が当たらないことで有名な気象予報士の大杉重一郎(リリー・フランキー)は、妻の伊余子(中島朋子)、フリーターをしている息子の一雄(亀梨和也)、大学生の暁子(橋本愛)の四人家族。
多少の心配ごとはあるものの、概ね平穏な人生を送っている。
そんなある日、UFOと遭遇した重一郎の中に、「自分は火星人。この世界を救うために地球にやってきた」という意識が目覚める。
同じ頃、一雄は彗星人、暁子は金星人として次々に覚醒。
使命に駆られた三人は、世界を救うべく、それぞれの手段で奔走。
一方、自分だけ目覚めない伊余子は、マルチ商法にハマってゆくのだが・・・


三島由紀夫の原作が出版されたのは、1962年10月。
同じ月には、米ソが開戦寸前まで対立を深めたキューバ危機が起こっていて、核戦争が“今そこにある危機”だった、冷戦真っ只中の時代の作品だ。
暴力の連鎖による自滅へと突っ走る人類を救うべく、主人公一家が宇宙人に覚醒。
ところが、人類は不完全だから核戦争によって滅びるべきと考える、白鳥座方面の惑星の三人の宇宙人も存在し、人類を生かすべきか殺すべきか、重一郎との討論に突入するのである。

原作の出版から55年が経った現在でも、人類は相変わらず殺し合っているし、核の危機も去ったわけでは決してないが、少なくとも人類を絶滅に追いやるレベルの全面核戦争の可能性からは、一歩後退したのは間違いないだろう。
時代の変化に合わせて、原作の基本骨格は維持しながらも、変更点は少なくない。
大杉一家が宇宙人に目覚め、人類を救おうとするのは同じだが、それぞれの目的はより明確に差別化されて象徴性は高められている。
火星人の重一郎は、小説では金持ちの無職だったが、映画ではTVの気象予報士。
地球と同じハビタブルゾーンに属しながら、乾燥した赤い大地が広がる火星人故に、環境問題に覚醒。
愛と美の女神ヴィーナスの名を持つ、金星人に目覚める暁子は、ミスコンに出場することで、人類に蔓延する間違った美の概念を正そうとする。
フリーターの一雄は自転車のメッセンジャーをしているが、水星の英語名のマーキュリーはローマ神話の神々のメッセンジャーで、雄弁家を意味する。
両性偶有のマーキュリーは、液体でありながら金属でもある水銀に象徴され、対立する二つの要素が同時に合同を成し遂げる、政治によって未来を模索するのである。
まずは核戦争の阻止という、二元論的なシンプルさがあった冷戦期の危機に対して、現在の人類が抱えている問題はより複雑だということか。

三人はそれぞれに、自分の変化に戸惑いながら、人類を救うために地球人の出来ない役割を果たそうとするのだが、原作では木星人だった妻の伊余子だけは、なぜか地球人のまま。
彼女は好き勝手に生きる家族に翻弄されながら、「美しい水」という偽のミネラルウォーターを売るマルチ商法にのめり込み、それが生きがいになってゆく。
ここで伊余子は、人間同士で騙し合い、自然に優しい、体に優しいと言いながらも中味は虚構、しかし足掻きながらも繋がろうとする、矛盾した地球人の象徴としての役割を担うのである。
伊余子の役割の変化にともなって、家族ものとしての要素が大きくなったことも、脚色のポイントだろう。
冒頭の会食シーンから既に、一見平穏なこの家族が、内側では壊れかけているのが伝わってくる。
重一郎は後輩の女性予報士と不倫中で、就職せずにフリーター生活を続ける一雄のことも苦々しく思っている。
暁子は内向的な性格で大学で孤立、伊余子は家族の乖離を感じながらも成すすべが無い。

大杉家そのものが、大きな問題を抱えた人類社会のメタファーなのだ。

原作のキリスト教的な要素は、基本的にそのまま生かされている。
破滅へと突き進む人類を憂う重一郎は、原作では自らが人類全体の罪を背負って苦しまねばならないと考えていて、末期ガンとなって帰還を告げる宇宙からの声を聞く。
また暁子は金沢に住む同じ金星人を名乗る竹宮を訪ね、彼と共にUFOに遭遇した後に妊娠が分かり、自分が処女懐妊したと考える。
重一郎が現在の人類の罪を背負って昇天し、聖母となった暁子から次なる救世主=宇宙人が生まれてくるというキリストのループが意味するところは、人類救済のプロセスはまだまだ先が長いということ。
しかし、それほど気が長くない白鳥座方面の宇宙人は、元々三人だったのが、佐々木蔵之介演じる怪しげな議員秘書・黒木に集約される。
人類の未来に関する原作の討論は、テレビ局での重一郎と黒木の激しい論戦に置き換えられ、黒木が人類を終わらせる"ボタン”(原作のモチーフである核のボタンをイメージしたものだろう)を示すのだが、ここはキリスト教の一部が主張する人間の罪と終末を巡る決定論的と非決定論の対立を思わせる。
この論戦のシーンや、金沢の海岸で暁子と竹宮がUFOと交感するシーンの独特のグルーヴ感は、「桐島、部活やめるってよ」の"火曜日の屋上"と同様で、静かに沸き立つ熱量は吉田監督らしい。

地球が美しいのは、美しいと感じる人間がいるからだが、人間はその美しい自然に自分たちを含めない。

では我々自身は美しいのか?美しい地球に人類は必要なのか?というマクロ的壮大なテーマを掲げつつ、崩壊寸前の家族の再生という、ミクロな物語に収束させるのは面白い。
彼らが本当に宇宙人だったのか、それとも宇宙人だと思い込んでいる人たちだったのかは、ぶっちゃけどうでもいい。
問題は、宇宙人の視点を持つことが出来るかなのだ。
人類絶滅を願う黒木を同僚設定にしたことで、一雄の中で政治の持つ意味が曖昧になってしまったし、それぞれの宇宙人としてのテーマが、家族の中の自分に落とし込まれる終盤の展開もやや熟れてない気もするが、人間じゃない視点で人間を眺めたら、自分たちの姿がよく見えたというコンセプトは上手く表現されていると思う。
四人家族のキャスティングが絶妙で、怪優
リリー・フランキーのハイテンションな火星人っぷりには思わず引きこまれるし、亀梨和也はキャリアベストの好演。
中嶋朋子はいかにも身近にいそうなリアルな地球人で、橋本愛は一見して金星人っぽい。
映画を観た後、私は何星人だろうと考えたが、惑星ですらなくなった冥王星人な気がする(笑

今回は、鹿児島の神酒造が円谷プロとコラボして作った、その名も「宇宙焼酎 ゼットン」をチョイス。
ネタのネーミングではなく、実際にスペースシャトルで宇宙までいった麹と酵母が使われている。飲んだからと言って、宇宙人に目覚める訳ではなく、普通にまろやかで美味しい芋焼酎だ。
姉妹品として「ジャミラ」や「レッドキング」などもあり、ラベルもインパクト大なのでコレクションしても楽しいかもしれない。

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